アリストテレスの4原因説
人間科学専攻 8期生・修了 川太啓司

 アリストテレス(前384−322)によれば「真理についての研究は、或る意味では困難であるがしかし或る意味では、容易である。その証拠には、何びとも決して真理を的確に射当てることはできないが、しかし全体的にこれに失敗しているわけではなく、かえって各人は自然に関して何かを語っており、そして一人ひとりとしてはほとんどまったく、あるいはごくわずかしか真理に寄与していないが、しかもすべての人々の協力からはかなり多大の結果が、現われている。したがってこのように真理が、あたかも卑しい話に戸口まで行けない者があるとか、あるようなものであるとすればこの意味では真理の研究は、容易である」(1)と述べている。しかし、全体としては、何らかの真を捉えてもその各部分についてはこれを捉えられないという事実は、それらが困難であることを明示している。それは、在るのではなくてわれわれ自らのうちに在る。というのは、あたかも真昼の光に対する夜鳥の目がそうであるように、そのようにわれわれの霊魂の目にすなわち理性もまた、自然において何よりも最も明らかな事柄に対しては、そうだからである。

 アリストテレスによると「われわれは、単に我々の同意しうる意見をもつ人々に対してのみでなく、さらにいっそう皮相な意見を述べた人々に対しても、感謝するのが至当である。なぜならこの人々でも、われわれに先んじて知的性能を練ってきてくれた点で、何らかの貢献をしている人々であるから」(2)というのである。もしホメロスが生まれていなかったならば、われわれは今日までの我々の有する神話的な宇宙生成説の大部分を、有しなかったに違いないだろう。しかしまた、このホメロスもヘシオドスがいなかったならば、存しえなかったであろうことは推論されるのである。このような事柄と同じことは、真理に関しても同じことが言えるのであるがこのような人々が、生まれるのにはさらにその原因として或る他の人々が、存したからである。哲学が真理の学と呼ばれるのは、当を得ているし理論的な学の目的は真理であるが実践的な学の目的は、行為であるからと言うのは実践する人々も物事のいかようにあるかを、考察しはするがしかし永遠なものではないし相対的なものや今ある物事を、研究するだけである。

 われわれは、物事の原因を知らなければそれらの真を知っているものとは、認めることはできない。ところで、同じ性質を有するものは、或るものの性質がそれによって他のものたちにもその同じ名前が、属するに至るような性質であるときこの或るものが他のいずれよりも高度に、この性質を有している。アリストテレスによれば「たとえば火は、最も熱いものであるがそれは火が、他のすべてにとってそれらの熱さの原因で、あるからである。だから、そのように派生的に真であるものにとっては、それらの真理性の原因たるものはそれ自ら最も高度に、真なるものである。それ故に、常に永遠的に存在するものどもの原理は、それ自らが常に最も真なるものであることが必然である」(3)としている。なぜなら、それは単にあるときには、真であると言うようなものではなくまたそれにとって、他の何ものかがそれの存在の原因として存するというような、ものでもない。かえってそれ自らは、他のものにとってそれらの存在の原因なのであるから、こうして各々のものは夫々その有する存在の度に応じてその程度の、真理性をもっている。

 アリストテレスの四原因説は「原因についてそれが、いかなるものでありまたその数はいくつあるかを、検討しなければならない。われわれの研究は、ただ知らないために知ることも、この知の対象についてその何ゆえに理由を把握するまでは、対象を知っているとは思わないししかも物事の理由を把握することは、まさに物事の第一の原因を把握することであるからそれ故に、我々は第一の原理と原因を把握することを生成・消滅その他、あらゆる種類の変化についての試みにこうしてこれらについての諸原理を、知りさらにこの原理にまで探究の対象を還元するように、努力しなくてはならない」(4)のである。ある意味でそれは、事物の材料が事物の原因である。すなわち、事物のそれは、生成した事物が含まれているところのその材料と事物の内在的な構成要素が、質料を原因と呼ぶ質料因である。たとえば、銅像の場合は、青銅であり銀杯の場合は銀がそれにあたりまたこれを包摂する類もこれらが、銅像や銀杯の原因である。

 しかし他の意味では、事物の形相または原型がその事物の原因と言われる。そして、これらのものは、その事物がそもそも何であるか事物の本質を言いあらわす理論的なものが、これを包括する形相因である。だからそこでは、また物事の転化または静止の第一の始まりの起点は始動因か起動因をも意味する、ものである。たとえばある行為への勧誘者は、その行為に対して責任ある者は原因者であり父親はその子の原因者であって、また一般に作る物は作られる物の転化させる物であり、また転化させられた物のであり原因である作用因と、いわれるのである。さらに、物事の終局をなす物事の目的であるためには、それを目指しているその目的をも原因という、目的因がある。たとえば散歩の原因は、健康であると言うその人は何ゆえに何のために散歩するのかとの問いに対して、われわれは健康のためにと答えるであろうがこの場合に我々は、こう答えることによってその人の散歩する原因をあげているものと、考えているのである。

 このようにアリストテレスは、原因を四つ挙げてそのうち起動因・形相因・目的因は、プラトン(前428−347)の形相のなかに萌芽として含まれていたものを、明確に育て上げた結果でありこれに対する質料因は、純粋に質料としていわば素材性が徹底させられエロスを、内包すると言うようなプラトン的な親和性を払拭させられた純粋な、材料として立てられている。すべての現実的な存在者としての個物は、アリストテレスによるとこれらの結合によって生じたものであり、形相と質料の合成物である。これらの四原因は、相互間に親和的な関係が成り立つということになる。たとえば、大工がそれに従って手を動かすところの起動因は、大工が目の前にしている設計図としての形相因であり、またその形相因とは大工の作り上げる目的因としての家に、繋がるものである。それ故に、アリストテレスは、これら3原因を形相因にまとめて具体的な事物を、形相と質料との両者から成る両者を合わして一体をなす結合体と、呼んでいる。

 アリストテレスは、四原因の関係を二分しはするが細かに見ると原因は四つになる、と主張しているのである。 アリストテレスの四原理である四原因説は、形相と質料との関係のうちにプラトンのイデア説の批判から直接的に、彼の体系の枢軸をなしている質料と形相という二つの根本規定が、生まれてくる。アリストテレスは「完全を期する場合に、概して形而上学的原理あるいは原因を、四つ挙げている。質料・形相・運動因・目的がこれである。家屋を例にとれば、質料は木材であって形相は家屋の概念と運動の原因は建築師の目的は、現実の家屋である。しかしながら、すべての存在の以上四つの根本規定は、つきつめて見れば質料と形相との対立に還元される」(5)と述べている。運動因という概念は、二つの観念的な原理である形相因および目的因と合致する。すなわち運動因は、完成されていない現実態すなわち可能的な存在を現実態あるいは完全な現実態へと、質料を形相へともたらすのである。しかし、不完全なものが完全なものへ向かって運動する場合には、必ず完全なものが概念上この運動に先立っておりその概念的な、動機をなしている。

 したがって、質料の運動因は、形相であり人間を生み出す運動因は人間であって彫刻家の芸術的な、直観のうちにある彫像の形相は彫像を作りだす運動の、原因である。また健康は、それが快的な運動因となる以前に医者の観念のうちに、あるのである。したがって健康は、或る意味において医術の働きをなし家屋の形相は建築術の、働きをする。しかし、同じようなことは、あらゆる生成と運動との動機は目的であるからして、運動因である原因は目的因と究極的な原因との同一、なのである。家屋の運動因は、建築師であるが建築師の運動因は実現されるべき目的となるものは、その家屋である。この例を見てもわかることは、形相および目的という根本規定も両者がエネルゲイアすなわち、現実態という概念のうちで結びつき合うかぎりでは、合致する。すべての物の目的は、その完成された存在である概念であるすなわち形相であって、物のうちに可能的に含まれているものを開示して完全な現実態へと、もたらすことにあるからである。

 アリストテレスによると質料とは、形相を捨象して考えられる場合にはまったく述語をもたず無規定で、区別のないものである。それらのことは、すべての生成の根底に常に存在しておりまったく反対の形相さえ受け入れるが、それ自身としてはすべての生成したものとは異なっており少しも特定の形相を、持たないのである。それらのことは、何にでもなりうるものであるが現実的には何でもない、ものなのである。たとえば、椅子に対しては、木材があり彫像に対して青銅があるようにすべての規定された物の根底には、質料があると考えられる。そして、この質料という概念によっては、存在するものは存在するものからも存在しないものからも生ずることが、できないのに一般に或るものがどうして生成することができるか、という多くの論議を招いた難問を解決したと、考えているのである。このようにアリストテレスは、これまでの先行哲学から批判的に継承発展させて綜合することで、質料はイオニア自然学から学び形相はプラトンから動力因は多元論から、そして目的因は彼独自の思想を加えることで4原因説を、主張したのである。

[引用文献]
(1)アリストテレス『形而上学』出 隆訳、岩波書店、1968年、p.51
(2)同上書、p.52
(3)同上書、p.52
(4)広川洋一『ソクラテス以前の哲学者』講談社学術文庫、1997年、p.127
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』上巻、谷川・松村訳、p.186


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