修士論文奮戦記

国際情報専攻 17期生・修了 細野康男

1. 大学院に入学した理由
 今振り返れば、前期課程の2年間はあっという間の時間であった。一応、2年間を無事に修了できたということは、2歳年齢を重ねたということになるが、年齢相応以上の社会的活躍ができているかどうか日々自問自答している毎日である。仕事として論文ほどの長文の文章を書くことはないが、業務での思考、会話、プレゼンテーション、資料等々を通じて、きちんと世間様に貢献でき、そのような評価をもらえるよう日々精進していることは間違いないと言える。
 さて、上記のような日々を送っているわけであるが、日本大学大学院に入学した理由は大きく二つあった。一つ目は、指導教官である階戸教授と約8年来の知り合いであったことから大学院をご紹介頂いたこと。二つ目は、より本質的なものである。約3年前頃にビジネスに必要な各種スキル、とりわけ考え抜く力を伸ばしていきたいと考え、首都圏の様々な大学院を調査、見学を繰り返していた。その中には、いわゆる昨今ビジネスパーソンに流行していると映るMBA課程も含まれる。そこで、日本大学大学院を選択したポイントであるが、仕事をしながら大学院に通うわけであるので、なるべく現在の実務に生かせる、応用できる内容を学びたかったこと、そして、論文という形で自分自身の考えを、根拠を以て論理立てて書ききるという経験がきっと肥やしになるだろうと思い、論文を課す大学院を望んだことである。
 おそらく、これから苦しいことが沢山待っているだろうなと予想しながら、一方で、自分自身追い込むのが好きなマインドから、意気揚々と入学日を迎えたことを鮮明に覚えている。

2. 在学中のレポート、修士論文作成の苦労
 冷静に考えると、本来大学1年生時点でマスターすべきことをマスターできていなかったことを痛感させられた。純粋にレポートの書き方そのものについてである。大学院1年生時代は10年以上前の大学生のノリでレポートを書いていたが、先生からの赤ペンの多さに辟易した。同期や先輩のレポート等々を拝見するなどして当たり前レベルを確認し、やっとレポートとはこういうものだということを理解できるようになったのが2年生になってからであった。視点を変えれば、もったいない1年生を過ごしたようにも見えるが、自分としては、世間レベルと言うと、たった1ミリしかない前進かもしれないが、主観的には大きな前進であったと自負している。
 修士論文にしても、常にカオスの状態であったと強烈に記憶している。リサーチクエスチョンに対する自分の仮説を成立させるための、エビデンス集め、それらの分析、ロジック作りに非常に苦労した。階戸先生はじめ先生方、同期や諸先輩方の温かな、且つ切れ味鋭い指摘に深い感謝と冷や汗を感じながら、日々苦行を送っていた。元来、文章を書くことがあまり好きでない自分であるが、試練を課し続けることで、いつか閾値を超え、文章を書くこと、しいては論文を当然のように書ける自分に成長できることを信じて、苦しみながらも修士論文を仕上げ、無事合格単位を頂けるに至った。修士論文自体の自己評価は不完全燃焼であったと反省しているが、論文そのものの出来よりは、論文を書くとはこういうことなのだということを体験、理解することができただけでも大きな成果であったと捉えている。非常に甘い自己評価であるかもしれないが、これはこれで、業務で小論文的な文章を書く際の良い習慣になったと思っている。しかしながら、大学の卒業論文は一体何だったのか?大学4年間の勉学については、逆に反省と後悔の念で一杯である。

3. 最後に
 論文書きは正直とてもきつかった。もう一本書けと言われると絶句すると思う。ただし、自分を追い込むのが好きなのか、もう一度論文書きにトライしてみたいという矛盾した気持ちが両立している。論文という社会が認める、指定する一定ルールの下できちんと自分の考えを筋道立てて述べ、そこに適切で建設的な批評を受け、またそれに対して考えを論じる。こういうプロセスを当たり前にできることが一流の人間、社会に貢献できる人間の一つの証左なのだと思う。このような経験を今後蓄積していけるよう、自分の生活を工夫していこうと思う。工夫の仕方が、再度の大学院入学なのか、はたまた別の方法なのか。日本大学大学院、再びご縁があれば何卒宜しくお願い致します。


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