修士論文奮戦記  −格闘の末に得たものは−

国際情報専攻 17期生・修了 押切雅光

 ちょうど3年前の今頃、夏から秋へと季節が変わる頃でした。わたしは大学の卒業(秋期)を控え、次の進路に迷っていました。たまたま行った大学院説明会、そこでの階戸先生との出会い、さらにオープン大学院への参加が、本学で研究を行おうと思う気持ちを確固たるものとしました。

 準備不足で臨んだ院試も何とか合格し、なんとか無事入学ができました。入学後の修士論文との格闘、4期に分けて書こうと思います。これが、未来の修士の皆様の修論を書く助けになれば幸いです。

●1年前期
 やりたいテーマは決まっていました。海外駐在員として滞在していた台湾で、経営者も一般従業員も意思決定が速いと感じていました。その秘密を解き明かせないかというのをテーマにしました。と、そこまでは良かったのですが、1年目は履修最大限の5科目を履修したので、10本のレポートに追われ、ほぼ全く修論は手つかずという状態でした。但し、レポートに書く企業の事例には台湾に進出した日本の老舗旅館『加賀屋』を取り上げるなど、将来日本と台湾の企業の比較をできるように意識してレポートに取り組みました。
 9月中旬にはゼミでの発表の機会に恵まれ、自分のやりたいこと、それまで調べてきたことを発表しましたが、惨憺たる結果でした。自分の考えをどんどん深堀りしなければならないこと、専門的な知識が圧倒的に不足していることを思い知らされました。早いこの時期に発表できたことは、修論への取り組み方を考え直す良いきっかけになりました。

●1年後期
 後期にもなると、少しはレポートの書き方にも慣れてきます。ですが、後期はレポート期間が前期より2か月短い3.5か月しかありません。1月中旬まではひたすらにレポートに集中するしかない状況でした。レポート提出修了後の1月中旬から、遅まきながら文献調査です。グーグルスカラーなどで検索を行い、ネットで入手できないものは公共図書館や国立国会図書館などで文献を集めていきました。文献を集めてわかったのは「意思決定」という切り口にすると文献はほぼなく、あと1年で修論完成は難しいだろうということでした。3月には「意思決定を支えるガバナンスと組織」と本丸の意思決定ではなく、少し周辺部分の研究を行うことに自分では決めていました。

●2年前期
 レポートは修了最低限の単位数を狙うなら1科目でいいのですが、先生からプラス1科目受けたほうがいいとのお話があり、2科目の受講となりました。5月には修論のタイトル提出です。その時、先生に少し本丸の意思決定から周辺の組織とガバナンスに研究テーマを変えたいとお話しし、快諾してもらえました。それでテーマにサブタイトルを足し『台湾企業の意思決定の速さ 意思決定の速さを支える組織とガバナンス』としました。文献は、日経ビジネスなどの台湾企業の経営者へのインタビュー記事、台湾から日本への留学生が台湾企業を研究している文献などを中心に集めていきました。本格的に修士論文を書き始めたのは7月になってからです。この段階では目次などを入れてもまだ10頁にも満たない分しか書けていない状態でした。自分のテーマにあう文献が少なかったこともあり、修論を書きながら関係ありそうな文献を探す状況でした。試行錯誤しながら論文を書き進めていました。8月はゼミ恒例の軽井沢合宿ですが、そこで先生からバーリ―&ミーンズの「現代株式会社と私有財産」を読むようにとヒントをいただき、合宿から帰ったあと、むさぼるように読んだのもいい思い出です。

●2年後期
 10月には修論の中間発表があり、ここで先生方から有益な示唆をいろいろいただくことができ、ここで少し軌道修正をしました。この時期はひたすらに書いては消し、消しては書いての時期です。自分の思っている最終ゴールに行くのも厳しいのがわかってきましたので、修論はもしかして現れるかもしれない自分の後に続く人が私の修論を読んだときに私がどう考え、どう行き詰り、どういう風に考えていったのかをわかるようにしようと意識して書くようにしました。次の人には自分と同じ袋小路に迷いこまずに、その先に早く行ってほしいと思ったからです。(同じ領域の研究をしたい人が現れるかどうかはわかりませんが。)
 11月末には 先生に初稿を提出です。そのあとイエスもノーも返事が来ずに1週間ほど悶々とした日々を過ごしていました。そのあとは「ノー」と返事が来なかったのだから、このまま書き続けていいだろう。」と割り切り、書き進めることにしました。
 12月になっても、修論をどんどん先に進めたかったのですが、1月の提出を考え、一定の区切りをつけるべく、書き進めたものの論拠が弱い部分などの補強を図ることにして、修論での研究範囲は11月末までに書いてきた範囲で止めることにしました(そうじゃないといつまでたっても完成版ができない)。これ以上範囲を拡げないことにしたといえ、改めて読み返すと論拠の弱いところなど多く、手を入れる必要があるところがたくさんありました。さらに文献を探し、どんどん修論に手を入れていきました。
 結局、暮れも正月もなくひたすらに修論と格闘していました。学校への修論提出日は1/13でしたが、忘れもしない1/4 それも図書館に文献を借りにいく道すがら先生からお電話がありました。

 先生:「正月だし、声が聞きたいと思って。」
 私: 「もしかして 修論の件ですか?」
 先生:「どんな状況かと思って。」
 私:「今 図書館にいって 一本文献を仕入れようと思っています。それで今日中にだします。」

 と ついつい今日中といってしまい、ギリギリ1/4の夜遅くに第2稿をだしました。キツかった。(本当は もう2,3日くださいと言いたかったのですが、先生にわざわざお電話いただいたのに 無下にすることもできず。)
 1/9には 事務課に副製本を送付しました。
 1/21には面接試問があり、そこでも指摘がいくつかあり、その後さらなる推敲を行い
 2/12には修論正本を事務課へ提出。その後3月初旬に修了式の案内がくるまでの日々が長かったこと、長かったこと。

 やっと無事に3/25の修了式を迎えることができました。

 修論と格闘して得られたものは、新しい視点、自分なりの視座、広い視野など数多いですが、一番の宝は物事の本質を見極めようと深く考える習慣を養えたことだと思っています。今後の人生を変えていく2年間の時間をかけただけの価値がある収穫でした。

 また、夏から秋へと変わる季節が巡ってきました。思い返すと大学院の2年間はぜんぜん季節を感じる間もないほどに忙しかったです。ですが、今思い返すといい思い出です。

 最後になりましたが、階戸先生はじめ大学院の先生方、OB、ゼミの皆様、多くのアドバイスをいただき、結果修論をよりよいものとすることができました。(事務課の皆様も大きく支えていただきありがとうございました)


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