『ハイ!』と言わない ホテルマン
国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭

プロローグ
 修論の完成には、論題の選択・項建の段階でアップロードされた場合には一定の評価を頂戴して、引用の多寡が時宜的に学術的にも時流を読み込む等々の努力が不可欠である。 努力は楽しい。しかしながら 結果が伴わない努力は時間の徒労と現実は厳しい。 努力は結果を生んで、こそ 果実として初めて努力が認められものである。 でも 肝心要の処が時間・労力・費用と最難関の関所が待ち受けている。 それが解らずに闇雲に情報収集・参考文献の読破をしても発展は無い。 そのことを肝に銘じての渉猟が不可欠である。恥ずかしいながら 渉猟と言うことは修論推敲の段階で、指導教授に懇切丁寧に教わったことが現在、習慣化・生活化している。 兎に角 肝心要の壁を乗り越えなれば 頂上の修士学位記は手中に出来ない。 恰も 旅程構築と極めて類似性がある。渡航計画は一寸したツメの甘さが生死に拘わる。 修論最終段階の院友に一服の清涼剤になれば、年末や期末に修士学位記のご褒美の海外渡航、等の構想の方々に我が失敗からの教訓と汎用性ある有用情報をと愚考した次第である。 今年のOPEN大学院inTOKYOの際は、数人の方々から「電マ執筆している方?」とお声を掛けていただき、良質な読み物へと決意を新たに推敲したものを以下、やや多岐に記述した。 今次渡航は、単独で米ハワイ州(以下HI )、ミズーリ州(以下MO)、ワシントンDC(以下DC )を9/6出国〜/915帰国11日間、HI は21回目、MO3回目、 DC8回目で米国は32回目、累計375 日間、49ケ国である。 今回の大統領選を見るまでもなく多様性と変化の可能性に富む寛容な米国人気質の一端にも触れた。巷間 良く見聞きする「摩天楼のNY」「保守的な中西部」「人種差別の南部」等々の日本人の受け入れやすい単純な紋切型の常套的で画一的な評価は通用しないことを空路、街中、列車中、ホテル更には私邸滞在や長躯 竜飛海中駅から鹿児島中央駅間の距離相当をレンタカーを駆って実感した。

1 野口悠紀雄流の効用
 目前出来をアッサリと見過ごしては勿体無い、自覚次第で全ての目前出来が自己成長の端緒に進化することに心した対応の継続であったから 現在が存在するものと心得ている。 マズやってみろ 試してみろ 考えてみろ 失敗してもくじけるな 考えても 試しても 実行が伴わなければ  解かる筈がない 自ら動けば 状況も動く この過程の経験者が勝者と敗者に別れる。 『多くの失敗を重ねられたのは皆様のご支援』とWinnerの声を皆様は耳にしない? との心境と意気込みで先達は旅をしたと確信するものである。

2 西へ往っても東へ行っても我が家の勝る処無し
 何故?  と言われるのは、近時の治安対策は防犯カメラの設置は最初に市役所に設置が殆どの区・市が踏襲している。 しかし その次はと見渡すと区部・市部では繁華街や駅前への設置が普遍的である。 だか 当町内は何と当市では 市役所周辺の次は最初の設置町会で、都下随一と設置式典で挨拶には驚愕した。治安の善さが寄与している事にはこんな隠し玉の役割は大である。 最近の犯罪捜査はTVの刑事物のドラマの如く管内地図に犯罪組成物件や容疑者写真を取り囲みガヤガヤではない。如何に早く防犯カメラ映像を解析して現場再現像の一般公開による情報収集が最先端の捜査手法に様変わりしている。 我が町内で目撃者無しの幼児交通事故に際には防犯カメラ君のお手柄第一号であった。 だから 将に『我が家の勝る処無し』である。

3 今次渡航での稀有な実体験
 M やRのホテルを激写した書に、個々の従業員は顧客の要望に$1,000.-迄は上司の決裁無しで対応とあったし、「フアーストクラスを利用する方の17の習慣」にもあった。 一般の認識として機内食は離陸後の巡航高度に達するとCAから「和・洋・中華そして肉・魚・等々」聞かれる。しかし、フアーストクラスでは「機内食提供時間」が聞かれ、搭乗客の都合に合わせるのである。 従って 自己の都合で食事時間が選択可能なのである。何故 ? 最大限に自己の生活の延長であるところに、殆どは「ノーオダー」で静かとの由、搭乗間際に顧客との会食であったり、到着を待って宴席の予定の方もいるかもしれないからである。 途上にHIで旧友との交歓や帰途にDCでも旧友との交歓があり、荷は人形3体もあることから、機内預入荷物は破損の虞ある人形は無理との由、で更に長躯を単独旅、年齢的にも無理が効かない当然の帰結として国際線はビシネス、国内線はファーストとした。 案の定 成田〜ホノルル間で、前日までの旅程構築での無理が祟り、深夜に脈拍急変で酸素吸入を受ける羽目に陥った。眼が覚めるとCAが脈をとり、「私と同じです。ご安心を」と「ビジネスの御客様だからではありません。搭乗客の安寧は私達クルーの生き甲斐です。」 将に It’s my pleasure! の精神を垣間見た。お蔭様で到着後に、Doctor on callでも太鼓判を押された。Kansas・DCと初期の計画を達成できた。 機内で眠れるとはいえ、日付変更線通過のジェツトラグの考慮や一日に6,112Kmの移動は決して日常ではなく、事前に逆日程で旅程構築と日常のルーテインワークを消化後に当日を迎えるべきとの貴重な教訓を得た。危なく「機内で倒れる」の記事になるところでした。

4 姉妹提携都市の市民の心意気
 当市 東村山市は米ミズーリ州Independence市と姉妹提携40年を迎えんとしている。 私共は16年前に女子高校生のホームステイを受け入れた。電マ14号に紹介記事がトルーマン高校の図書館に所蔵されている。 現在 36歳の彼女は州立大学・院を経て2児の母で弁護士として活躍中、その母Gailの折衝で隣接市KansasのMarry財団運営の人形博物館に家内の木目込人形と日本人形数体を寄贈した経緯がある。 今次はTHE NATIONAL MUSEUM OF TOY /MINIATURESとなった同館にGailの肝いりで遺作を所蔵する旨の通知を同館から受理した。GailはKansas大の教育管理課長を2年前にリタイァーしていることから、折衝したと思われる。 そのようなことから今次渡航はTHE NATIONAL MUSEUM OF TOY /MINIATURES の常勤管理専務のMrs. Jamie Berryから遺作を所蔵するとの知らせへの対応がメーンでした。 そこは指定の9/10 16:00にKansas大の広大な敷地の一角の小高い丘に毅然とした瀟洒な建物だった。宿からのタクシードライバーは、 到着時「1時間以内なら待ち料金は不要」と電話番号入りの名刺をくれた。 受付に来意を告げると即刻Mrs. Jamie Berry現れた。Gailの肌理細かい事前の折衝が効を奏し、受理・所蔵の旨の回答で、包装を解き同氏へ人形と教授免許を謹呈・記念撮影した。 館内の自由見学の許可を下さった。DCのスミソニアン博物館の米国民族博物館に勝るとも劣らぬ品揃えと展示方法とキャプションに照明方法に目を見張るものがあった。 以前の規模とは大きく異なりTHE NATIONALの名に恥じないものだった。是非 機会があったら、特に 女性や子供そして手芸や幼児・子供教育に関連の方々は、歴史的経緯と育成上の効果に寄与すると確信させる展開であったことが印象に残った。 トルーマンと言えば、日本人には忘れがたい、原爆投下、在日米軍司令官マッカーサ元帥解任は彼の政権下で断行されていた。

5 何故ハワイに拘る?
 HIまでは国際線だから、HIから国内線で旅費計算上リーズナブルな価格の恩恵に浴せることと40年来の旧友との交歓や世界で唯一テロの無い地だからである。そして続く長躯への英気を養い、癒しやDoctor on callが整っているからであり、今次で21回目でした。 同様にテロの無い地の豪州同様にCIQ(Customer Immigration Quarantine税関、 入国管理、検疫)は丁寧親切だか厳しい、実際に再就職時にホノルル警察本部長の勇退式と勇退祝賀式典の1週間の間に勤め先の株主総会があった。従って1週間の間に同行の家内をホノルルに置いて、単独で帰国自宅0泊の株主総会開催地函館泊で、東京発が空席無く、関空経由でホノルル再入国した時、CIQに見咎められ1週間以内に再訪は観光ではない。 と目的外入国と携帯品の調べと詰問に遭遇した。 そこに救いの女神が出現した。 数日前のホノルルに入国の際に、勇退式と勇退祝賀式典参列の書類を提示したら、フリーパスだった。その方が出国時にゲートに勤務していたので、この前の扱いに感謝$10の花束を贈った。「この日本人は勇退式と勇退祝賀式典参列の方」で無罪放免となった。 これは以前DCで市営の巡回案内付バスに乗車の際に 「私どもは公務員です。でも チップバ拒みません。首都の観光を楽しんでください」 の掲示が降車口に掲示してあったことによるものである。米国の多様性と寛容性を見る一幕でした。日本人のチツプはThank you tipだがPlease tipの方が一層の効果がある。ラスベガスでチップを弾んだら、2ランク上の席と料理とデザートに効果があったことが過る。心してPlease tipをすべしである。

6 DCの見どころと奇遇
 DCは緑豊かな公園都市との感を訪問の都度感じる。 都市名の由来は欧州から初に米大陸に到着したクリストファー・コロンブスに由来し、都市名は初代大統領に由来するWashington, District of Columbia=ワシントンDCと。 広さは東京の山手線の内側程で緑豊かな芝生や樹木の間をリスの走り回るのに何度も遭遇した。 S-11以降閉鎖のホワイトハウス見学は解除されている。それよりも博物館・美術館が凄い必見ですぞ。 目指すDC警視総監は8/29に全米アメリカンフットボール協会長へ転出と9/7にホノルルで聞いた。でもと秘書課を訪ねたら、お目当てのKendler上席秘書官は今日は休みとDavid主任の話。その時 隣の会議室から幹部連が出てきた。大柄のイケメン氏が私に 『来週チーフになる、今決まった』 と唇に指を当て内密にと。何と2012,5に前日チーフ表敬訪問後に名刺交換を忘れた私が翌日受付で手続中にKendler上席秘書官へ連絡、名刺交換を果たしてくれたPeter Newshamでした。 当時はAssistant chief of Policeで、現在はinterim chief of police.でした。 当時あまり親切な対応で『あのイケメンはチーフになるネ』同行の家内は私に耳打ちしたことを私は忘れない。 「何ていったの」彼に問われ、伝えた記憶があり、I became tell to herと足早に立ち去った。 前述のDavid主任に遺作を彼にと託した。

7 『ハイ!』と言わないホテルマン
 9/8にMO第二の都会Kansas cityのRホテルでの深夜の出来事である。 出国後5日目の目的地到着で、溜まったemailをとPCを開局するもネットに繋がらない。四苦八苦しても国際ローミングに到達できない。 フロントにメカニックの来室を要請した、即刻扉をノックする音。週末の金曜日の夜で用心のためドアーチェーンを掛け覗くと、工具箱を手にしたホテルのメカニックでした。 週末の超繁忙期の深夜に恐縮と告げ、PCの国際ローミングコネクトを当地のローカル局経由で、数回試すも繋がらない旨をつたえると、『ハイ!』と言わない。何と言ったか? It’s my pleasure! と還ってきた。貴方の要望に応えられるのは私の欣快とするところの趣旨。 It’s my pleasure! は3度目の経験である。 初体験は2001に初めてNY からFLへの際にも、It’s my pleasure! に驚愕した。 NYは世界のビジネス・ツーリスト・カルチュァーの集積地で、需要・供給の経済原則からもホテルの普通の客は、通り一片の対応である。 FLは航路時代から欧米随一の避寒地であり、セレブの集うところでした。空路時代にハワイにその座を奪われたとは言え、古き良き時代の恋愛小説には『貴男と結婚するから、ミンクコートのプレゼントかフロリダへハネムーン』と約束させられたとの描写に接した。 何と マンハッタンの超有名な五番街のNYのホテルのコンシェルゼェは一段と高い机で椅子に座り対応していた。2000sの初めの好景気を謳歌していだ時期だった。 だが FLの同格のホテルのコンシェルゼェは客と同じ高さの目線で立っての対応、目的のキーウェストへの寄港地なので2泊中、観察すると彼等は椅子には決して座らないで対応を計測していた。 同行の家内も同格のホテルでこの情景は青天の霹靂と言うので、ホテルのDuty Managerに「何時座るの?」とNYと落差を伝えるとIt’s my pleasure! と創業者の自伝書Spirit of Marriottを贈られたあの日ことが蘇る。 2001にゴルフ通ならご高尚のPGA年初のベンツクラッシツク開催地マウイ島のコースに近いRで昼食時、吹き抜けのレストランで食事中に更に眺望の善い席が空いた。 恐る恐るMay I ask you a favor?と移動を申し出ると、ウエターは笑顔で It’s my pleasure! と 何と テーブルクロスを新たに設え、剰え 食べ終えるとこだったデザートは新たな品だった。顧客の要望の先の先を忖度する室礼の初体験でした。 It’s my pleasure! と 言ってみたいものである。 旅の過程で多くの善意の見知らぬ方々のご高配に支えられた。


『親切は社会を結び付けている金の鎖である』 ゲーテ



THE NATIONAL MUSEUM OF TOY / MINIATURES
  常勤管理専務 Mrs. Jamie Berry氏
(私と同じ修士の方のようでした)
  2016/9/10 Kansas City
  教授認定書・免許状・遺作 受理・所蔵の記念写真 古今流真多呂人形



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