ミレトス学派の物活論
人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司
G・W・F・ヘーゲル(1770−1831)は、タレスの哲学的な記述について「しかし我々が、それについて知っているところは極めて少ない」(1)として多くは、間接的にアリストテレスによっているとした。広川洋一によるとタレス(前585年頃)の記述については「彼が予言したと伝えられる前585年の皆既日食によって、その盛時が定められている。アリストテレスは、自然的な宇宙の生い立ちを神話や超自然的な説明にたよる神話語りの人々とは、異なった新しい道を踏み出した自然学者たちの思考方法を前者のそれと区別し、その新しい思考方法つまり哲学の創始者として、タレスを挙げている」(2)のである。しかし、アリストテレス(前384−322)が、手にしたタレスに関する証言がその当時においてもすべて、間接的なものにすぎなかったことを考えればタレスの人物像は、ましてその思想を正しく見きわめることは極めて困難だ、と言うことである。タレスに関する証言としては、彼は日蝕を予言したり土木技師として河川の流れを変更させて、ペルシャの脅威に対抗してイオニア連合を提言する多彩な能力を持つ実践家であった、と伝えられている。
そのタレスが、天文現象や技術的なことがらに関心をもっていたことや、実際的な才能をもつ七賢人の一人とも目されていたことなどが、プラトンのうちにも記述されている。広川洋一によれば「タレスはアリストテレスの最初に哲学した人々の大部分は、素材のかたちで考えられる原理のみを、万物の原理とみなした。このような哲学の創始者タレスは、水をそれであると主張するという見解のなかに登場してくる。しかし、このアリストテレスの意見をもとに、タレスが、あらゆる生成変化の元にあるものは何か、という明確な問題を提起した人物と断定するのは困難だとも思われる」(3)のである。しかし、他方においては、タレスが単に或る特定の自然現象である地震や日蝕などを合理的な、説明にのみ関心をもち自然万有を全体として捉えるより普遍的で、綜合的な視点を欠いていたと言うべきではない、と思われるのである。アナクシマンドロス(前546年頃)やアナクシメネス(前570年頃)らは、自然万有の在りようを綜合的な全位置的な仕方で問題にした人々が、他ならぬタレスの後継者とされたことはそれがアリストテレスの、新解釈であったとしてもそれは重く見なければ、ならないからである。
タレスの言葉とされる(大地は水の上に横たわる)とは、おそらく水を元のものとする彼の宇宙生成説のなかによく適合するものであった、と考えられる。自然万有は、自ら生成するだけでなくまた水へと還る。かくして水は、永遠で神的なものでもある。そこでは、日蝕や大地の存在形態など個別な事象に係わる合理的な、思考と合理的な説明を超えた地平を、望見することになる。すなわち宇宙万有を、全体としてその視野のうちに取り入れ統一的に説明し理解しようとする思考方式に、出会うことになる。あらゆる物の原理とされた水は、しかし単にわれわれのいう物質ではありえない。元の物としての水は、生命原理であるつまり魂に他ならない。生命原理としての元の物は、水からなるこの自然万有は生命をもつ、自然なのである。タレスの言葉として伝えられる(万物は神々に充ちている)とは、魂であるプシュケとしての水が宇宙全体に遍在することを、語るものである。広大な宇宙万有にあまねくゆきわるものは、物みな生命と活動を与えるものこそギリシャ人にとって神的なものに、他ならなかったのである。
タレスが哲学史上において提起した哲学的な命題は、すべての物の原理であるアルケーは水であってすべては水からなり、水に還るという命題である。しかし、物の根本的な始源が、水であると想定したにすぎなかったから彼はすべてを、神話で説明するその先行者たちやその宇宙発生説の立場を、超えはしなかった。哲学史家は「タレスがその自然的原理を神話的表現とは違った仕方でうちたてようとした試み、したがって哲学へ学的方法を導き入れようとした試み、これがはじめて彼に哲学の創始者という意義を、与えるのである。彼は自然の合理的な説明という土地に足を踏み入れた最初の人である。------しかし思うに、すべての物の種子と栄養物とが湿っており、温かいものが湿ったものから生まれ、一般に湿ったものがしなやかで生命をもち生命を与えるものである、という知覚によって彼はこのように想定するように、なったらしい。タレスは、水の濃厚化と希薄化とから直ちにすべての物の変化を導き出したらしく、その過程そのものには立ち入った規定はしなかったらしい」(4)とシュヴェーグラー(1819―1857)は述べている。
ミレトス学派が、哲学を始めてつくり出したと言われる理由は彼らが神話的に、世界を説明しようとする態度を捨て世界を実在のものから説明しようと、したところにある。すなわち、彼らは、神々という世界を超した存在者によって世界の一切を説明しようとするのではなく、世界のアルケーを世界のなかに求め世界の現象の生成と、変化するなかにあって変化しない根源的な物質を、探究したのである。タレスは、これを水と考えアナクシマンドロスは無限定なものとしアナクシメネスは、空気と考えたのである。タレスが、なぜアルケーを水と考えたかの理由は不明であるが恐らくは、水が生活に不可欠なものでありまた上げ潮や引き潮などを見ても水自身が、変化して自ら動くものと思われそのうえ水は無限に存すると言うことによるものと、思われたからである。アナクシマンドロスは、こういうタレスの素朴な思想を超えて水のような、経験的な物質はすべて際限をもちそれから一切の物が、生じてくるようなアルケーであることはできないとして、無限で限定されない物質を想定しこれをアルケーとした、と見ることができる。
このようにアナクシマンドロスは、万物のアルケーの探求という問題意識を継承したのであるが、そのアルケーが水であるという解答を受け入れることは、できなかったのである。というのは、火や土や空気など限定された個々の事物が水という特定のものから、生成すると考えるのは不合理であると彼は、考えたからである。そこにおいて彼は、個々の事物が生成する前の元の物であるアルケー自体は何ら限定されていないもので、なければならないと考えた。そして、それを彼は、無限定なものと捉えたのである。そのことは、無限定なものが限定を受けて水や土などの個々の特定の事物として生成して、その結果この多様な自然的な世界が生まれると、考えたのである。そして、さらにアナクシマンドロスは、この生成や消滅にはひとつのシステムがあると考えた。もろもろの存在するものについては、無限定なものが限定を受けてそれから生成してくるところのものへと、消滅しもするがそれは必然に従ってのことである。
これに対してアナクシメネスは、万物のアルケーは空気であると考えたのである。そこで彼は、アナクシマンドロスのいう無限定なものが事実上は空気に他ならない、と考えたのである。すなわち、その空気は、われわれの周りに無限に広がっておりしかも特定の性質をもっていないように、見受けられるのである。さらに彼は、その空気からその他の事物が生成する過程について、述べている。すなわち空気は、希薄になると火になりそして逆に濃密になるに従って風になり雲になり水になって、土になり石になりそしてその他のすべてのものがこれらの物から生ずる、と言うのである。また、その空気であるわれわれの魂が、我々を統括しているように気息すなわち空気が宇宙全体を、包み込んでいる。だから、空気が原理であると言うことは、同時に宇宙が生命体であるという思想が、語られているのである。そこでは、その世界がコスモスと呼ばれていることに注目したい。そのコスモスという言葉が、アナクシメネスによって宇宙を指す言葉として使われたとき彼には、宇宙が秩序ある世界として認識されているに、違いないからである。
アナクシメネスが、再び空気という経験的な物質をアルケーと考えたのはアナクシマンドロスより、退歩であるとも考えられるがしかしその論拠はアナクシマンドロスのいう、無限定なものがすなわち空気に外ならぬと考えた点に、あると思われる。これらの哲学では、水や無限定なものや空気というような物質がそれ自ら生きて動くものであり、自らの一切のものに変化すると言うように考えられているが、このように物質自身が生命をもつと捉える考え方を、物活論というのである。このようなミレトス学派の哲学は、現代の自然科学の取り扱うような自然を対象としている。しかしながらそれは、それにも係わらず彼らの学問が哲学であって自然科学でなかったと言うことは、何よりもまず彼らが近代の自然科学者のように自然を、探究するという自覚をもっていなかったと言うところに、求めなければならない。彼らが万物のアルケーは、何かと問うことによって世界を全体として捉えようとしたことは哲学的な、世界観の形成の始まりであった。
このようにイオニア地方のミレトス学派の自然研究は、自然をその対象としたというよりはむしろあらゆる存在と、世界全体をその対象としたのであってただ世界全体を自然として捉えた、と言うことのうちにある。自然と言うものは、われわれの精神に対して対立するものであると言うような、意識は彼らにはなかったのであって我々人間もまたそのなかに、その一部として含まれている世界全体の探求が彼らの課題で、あったのである。一切の物のアルケーを自然物のうちに求めたのは、決して自然というものが他の物よりも優れたものとして、意識されていたからではなく彼らが自然以外のものを、知らなかったからである。それだから、水とか空気とか云ってもそれは、現在われわれの考えるような自然科学的な物質ではなくて、それ自体が生きて動くものであって自ら一切のものに変化するものと、考えられたのである。このようなミレトス学派の世界は、生気に満ちた物活論的な世界であり一定の秩序を持った世界で、あったのである。
[引用文献・注]
(1)ヘーゲル『哲学史』上巻、武市健人訳、岩波書店、1996年、p.233
(2)広川洋一『ソクラテス以前の哲学者』講談社学術文庫、1997年、p.49
(3)同上書、p.50
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』上巻、谷川・松村訳、岩波文庫、1999年、p.35