アレントの社会生活と人間の条件

人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司

 ハンナ・アレント(1906−1975)は、主著である『人間の条件』のなかで活動的生活の内的な意味と関係する、人間の条件について叙述している。そこでは「活動的生活という用語によって、私は、三つの基本的な人間の活動力、すなわち、労働、仕事、活動を意味するものとしたいと思う。この三つの活動力が基本的だというのは、人間が地上の生命を得た際の根本的な条件にそれぞれが、対応しているからである」(1)と述べている。この活動的生活という人間の条件は、われわれの日常的な生活過程における人々の間で培われた倫理的な世界観を、捉えることが求められている。そこにおいては、社会的な関係と人間的な在り方を吟味し人間性と人格を兼ね供えた理性的で、感性的な人間を把握することにある。そうした、社会関係のうちにわれわれ人間は、歴史的にも社会的にもどんな困難に遭遇してもそれらを、克服するだけのたくましい力と手際のよい処理方法を、身につけてきたのである。このような経験からの知性は、知恵という言葉の意味こそ実は問題になっている人間の条件を、最も良く表現しているものである。

 われわれは、社会的に培われてきた経験と理性的で感性的な人間と協働のうちにある、人間的な思想を把握することにある。そのことの意味は、生きることを助ける哲学的な世界観というものは自分だけが、生きればよいと言うことを前提とすると言うような、狭いものではない。もちろん、われわれ人間の生命は、自分自身のものに違いないがしかしこの世のなかで生活を続けるには、各人は一方において互いに矛盾する面を持つが他方では、また互いに持ちつ持たれつの相互扶助と相互浸透の関係で、結ばれているのである。活動的生活における労働の意味を捉えるにアレントは「労働とは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。人間の肉体が自然に成長し新人代謝を行い、そして最後には朽ちてしまうこの過程は、労働によって生命過程のなかで生み出され消費される生活の必然物に拘束されている。そこで、労働の人間的条件は生命それ事態である」(2)としている。われわれ人間は、労働という生業のうちに常に行為をしなければ生きていくことが、出来ないし自らの事由によってその行為を、選ばなければならない。

 アレントの活動的生活において「労働は、固体の生存のみならず、種の生命をも保証する。仕事とその生産物である人間の工作物は、死すべき生命の空しさと人間的時間のはかない性格に一定の永続性と耐久性を与える。活動は、それが政治体を創設し維持することができる限りは、記憶の条件、つまり、歴史の条件を作り出す。また、労働と仕事と活動は、未知なる人として世界に生まれる新来者が絶えず流入することを予定し、それを考慮に入れ、彼らのために世界を与え保持する課題を持っている」(6)としたのである。われわれ人間の条件を把握するには、各人が人生の営みのなかで自らの行為を選ぶ自由を持っていることを、捉えることにあるだろう。だがしかし、われわれ人間は、常に倫理的な在り方に従って行為するものではなく、自らの欲望にかられしばしば倫理的な在り方に、背こうとするのである。だから、自分の意志と倫理的な在り方との完全な一致は、われわれ人間にとって永遠の課題なのである。

 われわれ人間の前提は、日常的な衣・食・住という生活過程における生きた人間の、社会生活なのである。それ故に歴史の前提は、われわれ人間が社会的な存在者であることを自覚し主体的に、歴史の担い手として造りうるために生きていくことが、その前提なのである。そこでのわれわれ人間を取り巻く現実の社会は、人間のこの基本的な要求に対して必ずしも適応しているという状態に、あるわけではない。活動的生活と仕事の意味をアレントは「仕事とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。人間存在は、種の永遠に続く生命循環に盲目的に付き従うところにはないし、人間が死すべき存在だという事実は、種生命循環が永遠だと言うことによって慰められるものでもない」(3)としたのである。さらにアレントのよると「仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の人工的世界を作り出す。その物の世界の境界線の内部で、それぞれ個々の生命は安住の地を見出すのであるが、他方この世界そのものはそれら個々の生命を超えて永続するようにできている。そこで仕事の人間的条件は世界性である」(4)と捉えたのである。

 われわれ人間は、労働という生業のうちに常に行為をしなければ生きていくことが出来ないし、自らの事由によってその行為を選ばなければならないことは、自明のことである。われわれ人間の存在は、労働という生業のうちに日常的な生活過程における不充分な状態が、人間らしく生きるという人々の社会生活をいつも脅かし続けて、きたのである。こうした人間的な存在は、活動的生活のうちに日常的な衣・食・住という生活過程において、各人の意志に反して仕組まれている現実社会が、そうなのである。われわれ人間は、どんなに不幸な状態に置かれても生き続けたいという欲求があることは、自明のことである。そこにおいては、生きていけないような条件のもとで生きる人間の矛盾が、あるわけである。われわれ人間が生きることを欲求する社会に対しては、生きることの妨げとなっているところに人間の苦悩に満ちた、生存があるわけである。そうした苦悩を克服するためには、道徳的な世界観を把握することのうちに人間らしく生きるために、様々な工夫と正しい人間の在り方としての思想を、捉えることにある。

 そこで人々の内なる社会的な行為を把握するには、われわれ人間にあって理性的な存在者として主体的な人間の在り方のうちに、実践的な世界観を認識することにある。アレントは生活過程における「活動とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行われる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件と、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間ではなく、多数の人間であるという事実に対応している。たしかに人間の条件のすべての側面が多少とも政治に係わってはいる。しかしこの多数性こそ、全政治生活の条件であり、その必要条件であるばかりか、最大の条件である」(5)と述べている。多数性が人間活動の条件であるというのは、人々が人間であるという点ですべて同一でありながら、だれ一人として過去に生きた他者が現に生きている他者と、将来生きるであろう他者と決して同一では、ないからである。人間にとって何より大事なことは、生命を繋いでいくことである。現実に生きている人間が、生き続けることを欲して行動するところにあらゆる重要な問題の発生する、根源があるわけである。

 アレントによれば、人々の日常的な活動的生活における「人間の条件というのは、単に人間に生命が与えられる場合の条件を意味するだけでないというのは、人間が条件づけられた存在であるという場合、それは人間が接触するすべてのものがただちに人間存在の条件に、変わるという意味だからである。活動的生活が営まれる世界は、人間の活動力によって生み出されるものから成り立っている。しかし、その存在をもっぱら人間に負っているものは、それにもかかわらず、それを作り出した人間をたえざる条件となっている」(7)と述べている。われわれ人間の歴史の前提は、いうまでもなく生きた人間的な個人の生存であって、また一切の人間的な存在が一切の歴史の第一の前提として歴史を、作りうるためには人間は生きていくことができなければならない、ということが前提である。ところが、人間を取り巻く環境世界の事情は、人間のこの基本的な要求に対して必ずしも都合のよい状態に、あるわけではない。人間を生きにくくさせている条件は、従来つねにいたるところにあって人間の生活をいつも脅かし、続けてきたのである。

 人間というものは、どんなに不幸な状態に置かれても生き続けたいという本心は、なかなか捨てきれないものでありそこに生きていけないような条件の下で、生きる人間の矛盾がある。この三つの活動力とそれに対応する諸条件は、すべて人間存在の最も一般的な条件である生と死や出生と可死性に、深く結びついているのである。われわれ人間にとっては、人間に勝る貴重なものはないと言うことを自覚することによって、人間は人間にとって最高の存在であることを認識する、ことのうちにある。われわれ人間の本質は、この社会的な関係のうちに社会化された人間の総体とする人間性と、人格を兼ね供えた理性的で感性的な、人間なのである。だから、われわれ人間は、人間らしく生きるための日常的な生活過程における基本的な行為のうちに実践的な、世界観の把握が求められている。そうした人々の関係することのうちには、基本的な矛盾の関係にあるものでない限り人間の生命を守る立場は、互いに繋がりあっている。だから、われわれ人間の生命は、始めは自分の利益から出発しても他人の利益も守るという立場へと、転化しない限り各人は自分の利益を最後まで守り通すことは、到底できないだろう。

 われわれ人間の生命は、一人では守りきれないもので個々人の生命を大勢の人々の結集によって、守り抜こうという方向へ転化させるのも我々の生きる理性的で、実践的な世界観なのである。われわれ人間の条件は、生きることを欲する人間に対して生きることの妨げとなっているところに、これまでの人間の苦悩に満ちた生存があったわけで、その苦悩を切り抜けるための悪戦苦闘のなかから、生きるための様々の工夫が生まれ生きぬくための賢い知恵が培われ、生きるための道具としてのいわゆる生活の知識が、育まれてきたのである。活動的生活と人間の条件は、日常的な生活過程のなかで育まれてきたものであるが、その言葉の真の意味もこのことが分かったときに初めて、理解することができる。われわれ人間は、人間的自由を自覚することで人間生活の本質に関わることを、取り上げて全面的に発達した人間としてすべてのことを、心得た人間の能力をあらゆる方向へ向かって発達させ、活動させる人間なのである。人間的自由の本質は、日常的な生活のなかで人間らしく生きるものであってこれは人間の社会的な、条件の問題なのである。

[引用文献・注]
(1)アレント『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、2007年、p.19
(2)同上書、p.19
(3)同上書、p.19
(4)同上書、p.19
(5)同上書、p.20
(6)同上書、p.21
(7)同上書、p.22




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