前期古代ギリシャ哲学の概観

人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司

 前期古代ギリシャ哲学の共通した傾向は、自然を説明する原理を見出すことである。そこにおいては、もっとも直接的なものや眼の前にあるものとすぐ捉えられるものが、最初に人々に探求心をおこさせたのである。自然の変転きわまりない形態は、その多様な現象の根底に変化のうちにも恒久的に存する第一原理がある、と彼らは考えたのである。このような原理は、何であり何が事物の本源的なものであってもっと正確に言えば、どんな自然の元素が根本元素であろうかと彼らは、問題にしている。これに答えることが前期イオニア自然哲学者の問題を、なしているのである。そこで或る者は、この根本元素を水とし或る者は空気とし或る者は混沌たる原物質と、考えたのである。ミレトスのタレス(前585年頃)は、万物の始源は水であると言ったときに自然的な世界への好奇心に惹かれ、われわれの目の前にある常に生成変化している世界の元に在るものは何か、という哲学的な関心をもちそのアルケーとしての水をあげたのは、すべてのものを生み出す養分やすべての物の種子が水分を含んでいるからである、としたのである。(1)

 このようにタレスは、自然的な世界のアルケーを水だと捉えそれによって自然的な世界を、生成にあるとしたことはこれまでの神話的な世界観から抜け出た、合理的なものであった。そして、タレスの考える水は、生命をもたない単なる物質ではなくて、生気にあふれ自ら動く物活論的なものであり、その水から成り立つ自然的な世界からなる生命体だと、考えたのである。これに対してアナクシマンドロス(前570年頃)は、アルケーを無限定なものと捉えそしてアナクシメネス(前546年頃)は、「空気である私たちの魂が、私たちをしっかりと掌握しょうとしているのと同じように、気息と空気が宇宙全体を包み囲んでいる」(2)としたのである。このようにアナクシメネスは、万物のアルケーを空気であると考えたのである。さらに、アナクシメネスは、空気からその他の事物が生成するという過程について、次のように述べている。こうした空気は、希薄になると火になり濃密になると風になり雲になり水となって、土になり石になる。空気であるわれわれの魂が、統括しているように空気が宇宙全体を包み込んでいるという空気が、原理なのである。

 この問題のより高い解決を試みたのは、ピュタゴラス学派であった。彼らは、物質の感覚的な具象の方面ではなく形式的で社会的な関係と、諸次元の方面が存在を説明すべき根拠であると、考えたのである。したがって彼らは、関係規定すなわち数を原理とし数がすべての物の本質であると言うのが、彼らの命題であった。その数は、感覚的な直観と純粋な思想との中間に位置するものである。数と尺度とは、物質が延長したものや時間的で空間的に分割できるものである限り、物質と関係があるにすぎないが物質の直観なしには数えることも、測ることもできないだろう。このように彼らは、物質に即しながらも物質を超えていることがピュタゴラス主義の本質であり、立場でもあった。ピュタゴラス(前570年頃)は、世界は数と数における比例が原理であるとして世界は数的な秩序によって、支配されていると考えたのである。つまり、彼は世界の原理を、ミレトス学派のように元素に見出すのではなくてむしろその構造のなかに、見出そうとしたのである。

 エレア学派は、与えられたものをまったく越えあらゆる物質的なものをまったく捨象して、その捨象したものとあらゆる併存と継起の否定と純粋な有を、原理としたのである。これによって彼らは、ミレトス学派の感覚的な原理とピュタゴラス学派の象徴的な原理のかわりに、叡智的な原理を立てたのである。エレア学派は、純有という原理のためにすべての有限な存在と世界の存在を、犠牲にしてしまった。しかし、自然と世界とを否認しとおすと言うことは、不可能であった。この二つの物の実在は、否応なしに人の注意をうながしエレア学派でさえ様々な留保をつけて、また仮説としてではあるがやはりそれについて、語ったのである。しかし彼らには、その抽象的な存在から感覚的に具体的な存在へと後戻りするいかなる意志も、もはやなかった。かれらの原理は、定有と生起とを説明する根拠でなければならなかったが実際には、そうではなかったのである。そこで生成は、生起を説明すべき原理を見出すという課題が避けがたい、ものとなっていた。

 このような問題をエレア学派のヘラクレイトス(前500年頃)は、有は非有以上の実在性をもたないから有と非有との統一である成こそが、原理であるとすることでこのことを、解決したのである。彼によると事物の有限な存在の本質は、不断に流転し果てしない流れのうちにあると言うことである。そこでは、ミレトス学派の原物質のかわりに原力という概念と、分析的な方法によって見出された原理から存在するものと、その運動とを説明しようとする最初の試みが、見いだされるのである。ヘラクレイトス以来の生成の原因という問題は、常に哲学の主要な関心事であったし発展の動機であり成は、有と非有との統一である。ヘラクレイトスの原理をこれら二つのモメントに意識的に分解したのは、アトム論者やエンペドクレス(前495―435)であった。ヘラクレイトスは、成の原理を持ち出しはしたが経験上の事実として、持ち出したのであって成の法則を語っただけで成の原理を、説明したものではない。そこでは、この普遍的な法則の必然性が証明されねばならなかったし万物は不断の流れのうちに、永遠の運動があるとしたのである。

 こうした人々は、物質と動かす力とを動的に合一することから両者を意識的に、はっきりと区別することや機械的に分離することへ進んで、行かざるを得なかった。すでにエンペドクレスにあっては、物質は不変の存在であり力は運動の根拠であったのである。ここにおいては、ヘラクレイトスとエレア学派のパルメニデス(前475年頃)との繋がりが、見いだされるのである。しかし、動かす力は、まだエンペドクレスにおいては神話的な力や愛と憎しみであったし、デモクリトス(前420年頃)においては「遇人は偶然の贈り物によって形づくられるが、この種のことがらをよく理解している者は、知恵の贈り物のよって形作られる」(3)無意識の必然であった。したがって、自然を機械的に説明するという方法は、生成が説明されたというよりは単に書き改められたに、すぎなかった。エンペドクレスによると世界は、火・空気・土・水の4元素から成り立っておりそれら自体は、生成も消滅もしない。だから真実は、不生不滅の4元素の混合と分離があるだけであってそこでは、この関係を惹き起こすのは愛と憎しみという原理を、引き出したのである。

 そこでアナクサゴラス(前500―428)は、生成を単に唯物論的に説明することに絶望して物質と並んで世界を、形成する叡智をおいた。そしてかれは、精神が世界とその一定の秩序と合目的性との究極的な原因である、と考えたのである。これによって哲学は、偉大な原理と観念論的な原理を獲得したのである。しかし、アナクサゴラスは「知性が運動を創始したとき、知性は動かされたものの一切から切り離され、知性が動かしたかぎりのものはすべて分離されたものが動かされ、分離されるうちに、回転運動は、さらにいっそう分離を惹き起こすことになった」(4)と述べている。しかし彼は、この原理を完全に貫くことはできなかった。宇宙を概念的に把握することは、存在するものを理念から導き出す代わりに彼はやはり再び機械的な、説明にあった。その世界を形成する理性は、実際には最初の衝撃としての動かす力としてしか、役立っていない。それらの知性の働きは、極めて弱いものにすぎない。したがって、アナクサゴラスは、より高いものを予感したとはいえ先行者たちと同じくやはり、自然哲学者にとどまっている。だから精神は、彼においてはまだ自然を支配する真の力が自分だけの力で形成する、宇宙の魂として現れていない。

 さらなる前進は、精神と自然との相違を明確に理解することで精神が、自然的な存在よりも高いものであることを、認識することである。このような課題を、引き受けるようになったのがソフィストたちであった。彼らのなしたことは、客体を与えられた権威のうちに捕われている思想を矛盾にまきこみかっては、主体よりも優勢であった客体を主観的な思考の優越の意識をもって、まぜっかえすことであった。ソフィストたちは、一般的な政治的で宗教的な啓蒙という形で主観性という原理を、発達させたのである。もちろん彼らの仕方は、否定的であって当時の人々がもっていたすべての観念を、破壊したにすぎなかった。ソフィストたちの教えは、もとより多数の人々がその社会的な関係のうちに導かれていた諸原則を、言い表したにすぎない。実際に経験的な主観の絶対性は、すなわち何が真で正と善であるかを捉えるものではなくて、当時の生活の分野で見られるエゴイズムがこの原理の実用的な、適用にあるとした。こうしたソフィストたちの思考は、非理性的なものであったがこれまでの神話的な世界からの変化を、捉えるべきである。

 ソフィストの代表格であるプロタゴラス(前440年頃)は「人間が万物の尺度である。すなわち、そうあるものどもについては、そうあるということのそうあらぬものどもについては、そうあらぬということの尺度である」(5)としたのである。そうした物事の判断基準の説明を、人それぞれで人の数だけ真実があると述べて、それ自体として成立する絶対的で普遍的な真理の存在を、認めなかったのである。このようにプロタゴラスは、あくまで真理は主観的で相対的なものであって人それぞれであると、相対主義を述べている。ゴルギアス(前483―375)は、もっと過激に不可知論を主張して「この世には何ものもあらぬ」(6)という存在否定論を展開して、何かが存在するとしても人はそれを把握し理解することができない、としたのである。その根拠については、人は事物を把握し理解するに言語による思考をするが実在と言語の思考は、一致しないとしている。ソクラテス(前469―399)は、はじめて経験的な主観性という原理に対して絶対的な主観性という原理と、自由な倫理的な意志という形における精神が優勢となり、思考は積極的に自分を存在より高いものあらゆる実在の真理と、理解したのである。

[引用文献・注]
(1)『初期ギリシャ哲学者断片集』山本光男訳編、岩波書店、1967年、p.6(断片15)
(2)広川洋一『ソクラテス以前の哲学者』講談社学術文庫、1997年、p.60(断片2)
(3)p.172(断片197)
(4)p.314(断片13)
(5)p.362(断片1)
(6)『初期ギリシャ哲学者断片集』山本光男訳編、岩波書店、1967年、p.108(断片242)




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