2015年度オープン大学院 文化情報専攻シンポジウム


 2015年10月17日(土)に市ヶ谷の日本大学会館第二別館においてオープン大学院が開催されました。文化情報専攻では、例年、その時々に問題となっている「文化」と「ことば」のテーマを取り上げ、文化研究と言語教育研究に取り組む卒業生・在校生・教員がそれぞれの立場で参加し、協働で作り上げていく「シンポジウム」を開催しています。2015年度のテーマは、

「移動する人々の時代のことばと文化を考える」
http://atlantic.gssc.nihon-u.ac.jp/~gssc_alumni/event/event_021.html
(GSSC同窓会HP)

でした。ヨーロッパを中心に世界規模で広がる移動する人々に対して、ことばと文化の研究は何ができるのかという課題をめぐって、日本とドイツに在住の、日本語教育と英語教育、異文化間理解教育に携わる卒業生・在校生がそれぞれのテーマで発表を行い、会場でディスカッションをし、議論を深めました。 会場に参加した保坂ゼミの文化情報専攻博士前期課程1年生から、シンポジウムのコメントが届きましたので、下のとおりご紹介いたします。

 その後起きた2015年11月13日のパリのテロ事件。
 ことばと文化に携わる者に何ができるのか、文化情報専攻では、これからも引き続き考えていきたいと思います。

文化情報専攻言語教育研究コース
保坂 敏子
(2015.11.18)



オープン大学院文化情報専攻シンポジウムから見えたもの
本廣田鶴子

 文化情報専攻シンポジウムテーマ「移動する人々の時代のことばと文化を考える」は、四人の方々の発表と松岡先生のまとめで、バイラムの相互文化的市民性をキーワードに私たち一人ひとりが今後考えていかなければならない課題を浮き彫りにしてくれる手応えのあるものでした。
 移動する人々の時代は、まさに今であり、そこに生きてグローバリゼーションのただ中で英語教育や日本語教育に関わっている私たちは、多様な人々の間で何を合意にするか、を考えていく責務があるとも言えます。今年のノーベル平和賞がチュニジアの「国民対話カルテット」に与えられ、その受賞理由が多元的民主主義の構築に寄与したというものだったと松岡先生からご紹介がありました。私たちの社会はこの時代に何を合意していくのか、日本語教育に関わる私は日本語教育を通じて何を実現していくのか、考えるための指針を与えていただきました。発表者の皆様、先生方、ありがとうございました。



「移動する人々の時代のことばと文化を考える」感想
三橋朗子

 9月3日に、トルコ沖で水死したこどもの映像が難民の悲劇の象徴として世界を駆け巡った。メルケル首相は「人道主義は欧州の不偏的価値観」と発表、精力的に難民受け入れの政策を取った。
 保坂先生のおっしゃるように、このニュース画像を欧州での出来事と思わず、global citizenとして取り組まなければならない。国家としての枠にこだわっていたら解決は不可能である。そこで言語教育が目指すものとして、平田さん発表のバイラムの相互文化的市民性の育成という理念が教育に必要になっていくと考えられる。
 それは移動と移民の長い歴史に根差したドイツでもそのvisionを持ち続ける努力をするべきであるという佐藤さんの発表、グローバル社会への視点を重要視する英語教育の将来像を紹介した桐ケ窪さんの発表、相互交流につながる日本語教育を考える大川さんの発表に共通した「移動する人々の時代の言語教育が目指すもの」であった。
 今後とも、国境を越えた良き市民となれるよう勉強を続けていきたいと気持ちを新たにした。

 保坂先生、松岡先生、 発表をなさった皆様
このような機会を与えてくださいまして心より感謝申し上げます。



オープン大学院シンポジウムから
立澤亜沙希

 昨日、オープン大学院に参加してきました。
 シンポジウムでの4人の方々の発表、松岡先生、保坂先生からの情報等々、収穫が多く、短い時間でとてもいろいろと考えさせられる濃い内容でした。
平田さんの発表では「バイラムの相互文化的市民性」という考え方のご紹介を頂きました。これについては今年の7月に細川先生監修の下、翻訳版が出ているそうです。さすが細川先生が監修というだけあって、スクーリングでの細川先生のお話を思い出しました。バイラムの考え方はさらに上を行くものだと感じました。グローバル化という言葉だけが独り歩きせず、そして日本も世界に遅れないように、今後、特に未来を担う子供たちに何をしていかなければならないのか考えさせられました。
 佐藤さんはなんとドイツからのご参加で、ドイツでの難民の受け入れをはじめ、「グローバルシティズンシップと教育」についてお話しいただきました。ドイツでは国の政策としてだけでなく、基本的な市民の態勢として「数を問わず難民を受け入れる」ということに驚きました。市民のレベルでそういう考え方が根付いていること、これには教育が欠かせない、やはり子どもの時からグローバルな考え方、広い視野を持てるような教育をすることが大切であり、日本も参考にするべきだと思いました。
 桐ケ窪さんは遠く宮城からお越しで、日本での英語教育についてお話しいただきました。子供たちに英語英語と言って、方針だけが進んでいって、英語を学ぶ意義、英語を学ぶ理由など、子供たちに伝わるのかという不安と、英語の前に日本語は大丈夫なのか?と不安になってしまいました。日本もグローバル化に遅れないようにという焦りなのではないかと感じます。
 大川さんはバッサリ髪を切られ、マダムという風貌で、かっこよかったです。(すみません、発表に関係ありませんが)日本語教師の立場から「移動する人々」の時代に求められることを発表いただきました。私も日本語教師なので、大川さんの発表がひとつひとつ胸に刺さる思いでした。日々、いろいろな環境に接している日本語教師が率先して移動する人々とそこに住む人をつなぐサポートをしていければいいと思いました。
 内容はもちろんのこと、短い時間にたくさんの発表でしたので、皆さん早口だったのですが、それでも要点を抑え、とてもわかりやすい発表で、ひきつけられました。発表の仕方も参考になるシンポジウムでした。ありがとうございました。
 そして、お忙しい中、ご準備いただいた、松岡先生、保坂先生、大川さん、三橋さん、ありがとうございました。参加者としてとても有意義な時間を過ごさせていただきました。



オープン大学院シンポジウムで考えたこと
大川たかね

 シンポジウムではお世話になりました。ありがとうございました。
 「移動する人々」という一つのテーマについていろいろな立場からの発表があり、大変勉強になりました。
 私は日本語教師という立場から発表の準備をしたのですが、準備を進める中で、語学教師は言語知識を教えるだけではなく、多くの素養が必要だということを、あらためて認識しました。
 難民や移民の問題は、日本では他人事に感じている人が多いと感じます。この「他人事に感じる」意識が、日本が世界の中で非常に遅れていることの証明ではないかと思いました。教育に期待されるのは、お互いのあり方を尊重する気持ち、異なったものを認め合う寛容な姿勢、多様な価値観を受容する強さなどを育てることですが、それは英語教育にも日本語教育にも言えることです。地球上に存在する宗教や政治、経済の多くの問題からも、相互理解が簡単ではないことがわかります。ノーベル平和賞で民主主義の活動が取り上げられましたが、それくらい「民主主義」や「共生」というのは実現が困難なものだといえるのでしょう。相互理解を地道に進めていくことが地球の市民として必要だと、あらためて感じました。
 また、日本語教師は移動してくる人々と接する仕事で、移動の背景には政治的な理由も経済的な理由もあるので、世界情勢に敏感である必要を再認識しました。





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