ハイネの哲学的思索[ハイネ]

人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司

 ハインリヒ・ハイネ(1797−1856)は、周知のようにドイツの有名なロマン派詩人であるが、また彼は他の著書において汎神論的な立場からであるが、宗教批判とドイツ古典哲学の本質についても、詳述している。その一般的に哲学は、自然や人間社会の思想の発展法則を研究する科学であるから各人が持っていなければ、ならないものである。だから哲学は、大学でのみ論じられるものではなくて多くの人々の間で研究され、論じられるべきと彼は言っている。ハイネによると哲学は、元来こうしたものであるから哲学の社会的な意味を人々に判り易く、説明することを求めている。彼のこの著書では、ドイツ古典哲学の成立と発展過程が叙述されている。そのなかでハイネは、汎神論的な宗教とカトリック教との関係を明らかにし、次いでルターの活動を紹介してスピノザの汎神論を叙述し、カントからヘーゲルまでのドイツ古典哲学の発展を、詳述している。このドイツ古典哲学の内容は、形而上学的な体裁をしているが当時のドイツにおける封建的な事情のなかで、彼は思想的な変革を希求しドイツ古典哲学のなかにこの革命的な性格を、正しく読み取っていたのである。そこにおいては、カントからヘーゲルにいたる発展をフランス革命と比べながら説明することで、みじめなドイツの変革を求めていたのである。

 ハイネによると「ドイツの偉い哲学者は、ふとこの著書を見るようなことがあったら、私がここで述べていることの如何にみじめな様子を見て、もったいぶって肩をすぼめてあざ笑うことだろう。けれども、ドイツの哲学者たちは、私の僅かばかりの意見が極めてはっきりと明らかに言い表されていることに、よく注意していただきたい。君たちの論文はなるほど大そう奥深く、そこ知れんほど奥深く、大そう意味深く、びっくりするほど意味深くあるけれども、またびっくりする程わけがわからないのだ」(1)と述べている。人々が求める問題との乖離した哲学は、何の意味もないことを明らかにしている。それだから、多くの人々は、知識に飢えているのだから誰にもわかりやすく叙述することが、求められているのである。ハイネによれば「ドイツの哲学者の大部分のものが宗教と哲学とについての自分らの意見を人民に判りやすく述べようとしないのは、才能がないからではないだろう。いや、ドイツの哲学者は自分らの思想からおこった結果がおそろしいので、その結果をあえて人民大衆に知らせようとしないのだ」(2)と批判している。

 唯物論の本質についてハイネは「太古から人間の思考の本質について、心の認識作用の最後の根底について、つまり観念の成立についてふたつのあい対立する意見が存在していた。一方の意見ではこうだ。人間は外界からのみ観念を得る。人間の心はまったく空虚な容器であって、そこで感覚を通じて入ってきた表象が、ちょうど胃におさまった食べ物のように消化される」(3)というのである。こうした意見を主張する人々は、もっとうまい例えを用いて人間の心を白紙のようだからその白紙に、毎日の経験が決まった書き方に従って何か新しいことが記述される、と言うのである。さらに、観念論の本質についてハイネは「これと相対立する意見ではこうだ。観念は人間に生まれつき供わっている。人間の心こそ観念の本来の住居である。外界の経験や、経験の仲立ちとなる感覚は、人間の心のなかにもとから住んでいたものを認識させるにすぎない。つまり人間を心のうちでねむっていた観念を呼び覚ますだけだ」(4)というのである。

 さらにハイネは「デカルト哲学のうちにある観念論的な傾向がフランスでは、決して栄えなかったというのは意味深いことである。------フランスで観念論哲学が信用を無くしてしまったのは、おそらく次のような事情によるのであろう。人民は自分の使命を果たすために必要なものを本能的に勘づくものだ。そのころのフランス人民は、18世紀の末にようやく爆発したあの政治革命への道をすすんでいた。その政治革命をやるためには、斧がそうして斧に劣らず冷酷な唯物論哲学が必要であった。キリスト教的心霊主義はフランス人民の敵の仲間になっていた。それゆえに感覚主義が当然フランス人民の戦友となった」(5)と捉えたのである。ところで、フランスの感覚主義者は、ふつう唯物論者であったので感覚主義は唯物論からのみ成立するという、間違った意見が生じたのである。そうではなくて感覚主義は、汎神論の結果として現れてくる場合もあるのだ。そして、この汎神論から現れた感覚主義の姿は、すばらしく立派なものであるとしている。けれどもハイネは、フランス唯物論の立てたいろんな成果を否定したわけではない。

 ハイネによると「フランス唯物論は過去のわざわいに対してよく利く解毒剤であり、助かる見込みのない病人に使う、最後のいちかばちかの薬であり、梅毒にかかったフランス人に用いた水銀剤であった。そしてフランスの哲学者が選び出して師とあおいだのはジョン・ロックである。ジョン・ロックこそフランスの哲学者の求めていた救世主であった。ロックの著書『人間知性論』はフランスの哲学者の福音書となった」(6)のである。この書の内容は、真理であるとフランスの哲学者はかたく信じたのである。ロックは、デカルトの弟子となりそしてデカルトからイギリス人として、学べることは力学も化学も組み合わせたり組み立てたり計算したりすることも、何もかも習い覚えた。だが、イギリス人のロックには、ただ一つだけどうしてもわからないことがあった。つまり、生得観念が人間に生まれつき供わっていると言うことである。そこにおいてロックは、人間は経験によってのみ認識に至るという学説を、完成させたのである。

 ハイネによればロックは、人間の心を一種の銭箱にしてしまった。人間そのものがイギリス流の機械になってしまった。そして、このことは、ロックの弟子たちが組立てつくった人間にも当てはまる。もっともその弟子たちは、自分の学説にいろいろ違った名前を付けて互いに区別しあおうと、しているのである。その弟子たちは、自分らの学説の最高の根本原理からひとりでに出てくる結論を、等しくおそれている。コンディヤックの仲間は、いやそれどころかおしまいにはラ・メトリと同じ組に入れられた時に、ぞっとしたのである。けれども、やはり同じ組に入れられなければならぬのである。それ故にハイネは、18世紀のフランスの哲学者と今日のその後輩を唯物論者と、呼んだのである。ラ・メトリの『人間機械論』は、フランス哲学から最後に当然うまれでるべき帰結であった。そして、この本の名前のうちには、すでにフランス哲学の世界観そのものの結語が言い表されている。これらの唯物論者は、たいていは超越神論の信奉者であった。

 そして、ハイネによるとカントの認識論は、物自体は認識できないと言うことである。カント以前の哲学者は、人間の認識の根源についていろいろと考えてきた。そして、すでに説明したように経験以前にも人間には、元来から観念が供わっているという学説と人間の観念は経験によって、初めて得られるという学説とが二つの違った道を取って、進むことになったのである。けれども、人間の認識能力そのものは、人間の認識能力の範囲あるいは限界についてはあまり、研究しなかったのである。そこでは、この認識能力そのものを研究するのがカントの仕事になった。カントは、人間の認識能力を容赦なく吟味してこの能力の奥そこをきわめこの能力の限界を、あまねく確定したのである。そして、カントは、悟らねばならなかった人間はこれまで知り抜いていると思っていたが、非常に多くの物を実は知ることができぬと言うことを、把握したのである。けれども、人間の知り得ないものがあると言うことを悟るのは、やはり有益なことなのである。

 ハイネによると「われわれにこの道は当れぬと教えてくれる人は、正しい道を教えてくれる人と同じだけ親切につくしてくれるのだとカントは証明してくれた。われわれは、あるがままの物自体を知ることはない。ただ、その物がわれわれの心に映ることを知るのである」(7)と述べている。ハイネは、カントの認識論を簡単な言葉で示したがここまでくれば誰にでも、分かることである。『純粋理性批判』では、いわゆる現象と本質とを論じているところがカント哲学の最重要の部分であり、中心点と見なさるべきである。つまり「カントは物自体とものの現象とをはっきりと区別した。人間は物自体については、それが現象として人間に現れてくる様子しか知ることができぬ。また、あるがままの物自体はそのまま現われては来ない。そこでカントは、物自体の現れてくる姿を現象と名づけ、物自体を本体と名づけた。人間は、物自体の現われてくる姿、つまり現象は知ることができる。けれども、物自体つまり本体を知ることはできない」(8)としたのである。

 だから、カントは、対象である事物の本質である物自体が本当に存在するとも、存在しないともわれわれには知り得ない、としたのである。そもそも本体という概念が現象という概念と並置されたのは、判断に当たって人間に認識できない物自体には触れないで認識できるものだけを、取り上げるためなのである。だからカントは、多くの学者がやったように物を区別して人間にとって、存在しているものを現象と名づけ存在していないものを、本体と名づけたのではない。こうした区別は、哲学的な仕方ではないものである。カントのいわゆる現象と本体というのは、これらの学者のいうのとは違って人間の認識の限界を、示す概念なのである。それだから神は、カントのいわゆる本体であり物自体なのである。ハイネは「カントによれば神はひとつの本体である。カントの論証によれば、われわれがこれまで神と呼んでいた、経験を超越したあの観念は、人間の頭脳がこねあげて作ったものだ。神とは、人間の生まれつきの幻想によって成立したものだ」(9)と述べている。だから、ハイネによるとカントは、われわれ人間の認識能力について吟味するなかで神の本質を捉えられないし、何も知り得ないとしたのである。

[引用文献・注]
(1)ハイネ「ドイツ古典哲学の本質」伊藤勉訳、岩波文庫、1986年、p.24
(2)同上書、p.24(3)同上書、p.95
(4)同上書、p.96 (5)同上書、p.97
(6)同上書、p.98(7)同上書、p.173
(8)同上書、p.175(9)同上書、p.175




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