マウイ・ノカ・オイ
MAUI NO KA OI=Maui is the best! マウイは最高

国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭

プロローグ
先に本学修了者の市長当選・就任祝賀会が大阪で開催された。その折りに複数の方々から『米国立公園の紀行文は観光案内よりも役立った』『機内での振る舞いがトッテモ新鮮で客室乗務員とスグ仲良くなれ楽しかった』との声に背中を押された。
一年半程前まで8年間教鞭を執っていた本邦初の危機管理学部を創設の千葉科学大学の授業では、学生は『今日の教員は如何なる人物? 』とGoogleでググルのは常でした。そして最後の講義の際のアンケート曰く『夏季休暇でホームスティの際には命金とホールドアップは誰も教えなかった。でも先生の危機管理の授業で事前に教わって本当に良かった』『大学院は修論から旅ガイドまでアップしているんだ。凄い』は教師冥利に尽きる。
執筆者は、情報源から利益や優遇を享受しない公平中立な立場と自身のヒヤット体験等の教訓を法と倫理・道徳・経験に照らし検証済の精緻な情報に厳選する義務を堅持している。
1991以降の渡航経験は手元の記録で年平均28日間で、準備は巷間耳にする広告頁の多い案内書は避け、時にはFBI. CIAとMI5A,MI7や訪問国の大使館HPに訪問都市HPも得難い貴重な情報と言うよりもIntelligenceに遭遇する機会が多く尋ねる価値があった。
だから本篇はハワイで行ってみたいけど二の足踏んでいた。ハナとした拘りが潜んでいる。
高峰秀子・松山善三共著「旅は道連れアロハオエ」で『これほど配慮、これほど静寂、これほど心地よさを持つホテルは、世界中にどこにもない。』と絶賛した素晴らしい宿に3 泊4日滞在(2015/05/15-18 )した。往時はインターコンチネンタル系で、今はワイキキに点在するアウトリーガー系のパームスワイレアスパでも変わらぬ『装い 振る舞い 室(しつ)礼(れい)』のおもてなしの三要素での接遇を享受した。
具体例にはチエックインは通告時間から2時間も遅延した。でも、Non problem!だった。フロンドデスク棟から200mも離れた我がコンドミニアムの天井にある扇風機の操作盤が不明とフロントへ電話すると夜間態勢にも拘わらず即刻駆けつけ、電気製品に疎い当方のことを斟酌した振舞いで滞在者の自尊心を聊かも汚さないホスピタリティで調整後は、再度Non problem! Mahlo ! と笑顔で足早に夜の闇に去って行った。
ハナへはマウイを出立の前日に目指した最新の情報を検証したものを以下に届ける。

1 何故ハワイでマウイ島?

途上の癒しの小渓

空港は島中央部のカフルイ空港の他に西マウイとハナに近距離プロペラ専用空港もある。この島は地政学的にはN21°W156°総面積は1,902.3㎡で、東京都より一回り小さな大きさでハワイ8島の2番目に大きい島である。1番はハワイ島で四国の半分の面積だ。
今回はアロハやマハロの他にマウイ・ノカ・オイを耳にした。この島のキヤッチフレーズはThe Valley Islandだった。従って 海と山を同時に楽しめることを意味する変化に富んだ自然が自慢で、今はハワイ州の首都はご承知のホノルルだが、ハワイ王朝時代の首都はマウイのラハイナであった歴史にある。
この島は『コンデナス・トラベラー』誌の「ベスト・アイランド」に20年以上トップが納得できる。「トム・ソーヤの冒険」などの著者マーク・トーゥエンが未だ作家として出始めの1966年代に半年近くハワイ諸島を廻り辿り付いたのがアイオァ渓谷。1790のマウイ王カラニクペエリとカメハメハ王の宿敵決戦場でここを『太平洋のヨセミテ』と絶賛している。
他に1875出版の『ハワイ紀行』で英イザベラ・バードは「ハワイで過ごした半年間はとっても幸せなものだった。」とハワイを世界に知らしめ、憧れのハワイ航路の黄金時代は1925で、1950年代は日本も「憧れのハワイ航路」がヒットしている。
1927に「ピンクパレス」の愛称で日本でも知られたオアフ島ワイキキロイアルホテルが開業、ロスからハワイは5日間の航海は$125と当時は高額で「欧米の富豪の楽しみ」と限定されていたのが映画産業の勃興と同時に黄金時代を迎えた。
1929の大恐慌で一時激減するも、船会社の大規模な宣伝と放送のラジオは以降40年も続く『ハワイコール』をハワイの波の音とハワイアン音楽で発展に寄与した。
1991に撤退したパンアメリカンは1935にサンフランシスコ-ホノルル-マニラ-香港の定期航路就航は、5 日間の航路が5時間半に短縮され急激に発展した。戦後に日本企業がワイキキの浜辺を整備したことはあまり知られていない。ワイキキの超大型ホテル入口右に日本企業名を冠した小さな博物館に観光客はあまり立ち寄らない。

2 ハナへの道 -天国への道-
コースは617の急カーブの前には「警音器鳴らせ」の標識が多数あり、相当の運転技術が必要の難コースと記載があった。でも 現実は確かに慎重な運転は不可欠でも「警音器鳴らせ」は見当たらなかった。
2006にテネシー・ノースカロライナ両州に跨るGreat Smoky Mountain, NPや2009にワイオミング・モンタナ・アイダボ3州に跨るYellowstone, NPは10MPHBの速度制限のある急な勾配の坂やカーブには「警音器鳴らせ」はあった。だが ハナへの道には狭いが無かった。情報がやや遅れている観光案内には注意が必要である。One Lane Bridgeの標識は道中に56箇所も出くわす、意味はこの先に車1台分の幅しかない橋の存在の意味で、先に橋に近づいた車両に優先権がある。対向車が無い場合は徐行通過、往きには橋の手前で当方を待ってくれ、親指と小指を立てるハワイ独特のサインで待機するマナーの善い車に出遭った。帰路は見習って先に停車すると同じサインで笑顔の返礼が気持ち善かった。
無論 ガードレールは皆無で、慎重に余裕のある旅程のドライブは必須である。可能な限り早朝発で、帰路は午後3時には帰路出発との案内が一般的である。今時の記録はワイレアの宿を8:30am出発、前述の絶賛のイオア渓谷に寄ってカフルイを10:35am発、途中3度も休憩13:40pmにLong Drive to Heavenly Hana.の末にたどり着いた。復路は休まず2時間35分だった。この島の中心都市カフルイから約80Kmの道のりは、困難であっても辿り着いたハナは緑の鬱蒼たる原生林と静寂そのもの。静かな太平洋の孤島との錯覚に陥り海岸線の壮麗を体感できる。
タッタ1軒の店舗 HASEGAWA GENERAL STOREがある。親戚ではありません。1800年代に砂糖キビ農場の絶頂期に多数の日本人移民の先々代が移民契約解約後も留まり1910創業で現在に至っている。先代の時期にHotel Hana Mauiに宿泊中の往年の名優ダニー・ケイの曲をアレンジのPウエストンがこの店の名を関したレコードが当時のハワイブームで一躍ハワイ中に名を轟かせた由。

3有用情報 要✔
✔国外免許-国際免許GA州以外はNon problem 海外での運転は国外免許の交付を受け地理情報や現地情勢等を書籍等で渉猟・検索の上、最新情報で武装して向かう訳である。
大切なのはネット情報の更新・アップロード時期の確認と観光案内書や各種現地資料は必ず奥付の確認、同一地域の情報は最新のものを厳選した直前情報を取込むことが要諦である。特に奥付が最後の頁に小さく貼付したものは怪しい。地域情報は発刊日の前後に数値・記載事項の矛盾にもフォーカスする用心深さが道中の安寧と楽しさに繋がる。
通称 国際免許はここ10数年渡航前に必ず交付を受けRent –A-Carを借りた。
でも 現地では提示しても全く無視され一瞥もされないのが実情である。日本の免許証の提示とクレジット・カードが必須で-\2,400.-で交付された国外免許は見向きされない。何故か 写真がラミネートされていないとの返事。以前にも世界の流れに叶った写真のラミネート化を窓口に提言、情報提供したが昨年までは変化が無かった。写真張替が簡単なので危険だとは現地の共通した声だった。
米・欧・豪では写真ラミネートでした。2020五輪・パラリンピックを控え改革の時期と再度『国外免許のラミネート化』をと提言する。
✔ナビゲーター・Rent-A-Car特定社シフト
海外旅行の際のドライブの90%はナビゲーターの力量に負おうところが大きいので厳選は最大限に私情やシガラミを排することが安全への最短距離でもある。近年はNever lost名のナビ設置のRent –A-Carが多い。当然に付帯設備利用料は加算される。
車を借りる際には、特定社にシフトすることが安全・経済両面からベストだ。
2013にマイアミからキーウエストへ1週間借用時、マイアミのホテルに近い店でChick outCした際に、Never lostの反応が鈍いことに気が付き店に戻った。店員に告げると「ここは車庫で屋根が電波を妨げている。」との対応、でも 数回同店周辺をドライブしても不具合は回復しな。再度同店に寄るとNon problem ! に続けて『日本語対応は、ここから日本へ行って帰る時間でユックリだ。』と面白いことを言うし、キーウエストは数回訪ねている。更には事前にGoogleルート検索を印字した地図もあり、出発した。依然として不具合は回復しないままでした。返却時にも伝えた。帰国後の請求は¥18,000.-の付帯設備利用料金は当然加算されていた。
ハーツの東京支社に調査依頼すると現地問合結果は、不具合は無い旨でも、『今迄の弊社利用実績から日本支社でその費用は補填します。』と2ケ月後に振込まれた経験から標記の結論に達した検証済の情報である。
✔617の急カーブと 56橋(車1台のみ通行可の橋)
距離は宿泊地同島中南部のワイレアは空港のある島中北部カフルイから27Kmでワイレアからカフルイを経て同島中東部ハナへは27+68=95Kmだから往復約200Kmのドライブとなる。東京~越後湯沢(上越新幹線の)に相当することに加え、前述の617のカーブと 56の石橋がある。「天国へ道」「天上界への道のり」との所以は、ドライバー泣かせであるものの、ハンドルを3回半の目一杯回すカーブの連続や鬱蒼たる森林の中の滝が道端に迫り、ヘヤーピンカーブを形成する渓谷美や迫りくる濃い色の原生林が道端に覆いかぶさる木々からの微風がドライバーを励ますからかとも思う絶景の連続である。
悪戦苦闘とは思いきやハナに到着時は、達成感と事前調査との整合性に満足する高揚感に浸れる。このことが『天国のような』雲にでも乗った気分に浸ることの征服感も満喫可能である。
何時ものナビケーターは一本道で仕事が無いことヘヤーピンカーブの連続で車酔いではなくカーブ酔い?で何時の間にか船を漕いでいた。途中2度のハナガーデンランドジュース休憩約30分を含めて、片道案内書には2乃至2時間半を、3時間05分と旅メモにあった。復路はOne Lane Bridgeで道を譲り2時間55分で走破した。

島唯一の日本人経営の雑貨店

エピローグに替えて
何故旅を? 1990s野口悠紀雄は非日常と準備のための旅行が若い学者時代に学会出席の合間の楽しみと言う。確か 旅は想い出のための投資で、見知らぬ人にHave nice trip! やBon Voyage !と言って別れた名も聞かずの人の心にも私のことが世界のどこかで生きていることは素晴らしい。

通信教育部への本学へチャレンジ勧奨
この感触は通信教育部夏季スクーリングで本学入試勧奨活動を継続中と同じ感触である。
だから 街中でも1964TOKYO Olympic 以降訪日外国人には支援の手を差し伸べている。このスタンスを電マガDに記載したことが東京五輪物語特集取材班の眼に停まり、4月に自宅に記者はその電マガのコピー持参で2回も取材に訪れた。結果は写真入り4段抜の土曜日の全国A紙の掲載でした。残念至極なのは日大大学院在籍中の文字が2012のM紙のように掲載されなかったことである。
私は旅行業者・航空会社・観光案内ライターでもない。
NPOのJSCIの理事として年次国際総会の前後に足・宿・空の総べてを個人負担で驚異と安価効果の準備を旅程に反映させる。だから客観的、中立的観察眼からの汎用性に富む情報提供が可能なのだ。再訪の時は E Koma Mai (Welcome) と言われたいものです。

Travel east or travel west, a man’s house is still the best.
東に西に旅しても我が家に勝る処なし
Travel render life more modest.
旅は謙譲の徳を生む

【注釈】
A: エムイチゴウでありません。エムアイファイブです。Military Intelligence, section 5英国諜報部第5部国内英連邦担当。同じくMilitary Intelligence, section 6英国諜報部6部国外諜報担当。我が政府機関にはカウターパートナーは存在しない。
B: 10MPH=10×1,6=16km/h
C: 車両借出=Check out 返却=Chick inでホテル投宿時と逆です。
D: 電マ38号「 思わぬ反応-縁は異なもの-」2009.10.1




≪ 大学院HPへ | TOPへ ≫