基本的人権と民主主義の思想
人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司
基本的人権の思想を吟味するには、われわれは思想としての民主主義が平等原理の上に成り立つものと、把握することにあるだろう。その原理を成り立たせているものは、人間の基本的な権利についての認識である。人間の権利という概念には、生命・自由・幸福追求の権利によって根拠づけられた人格と人間の尊厳という思想が、包括されている。人間の尊厳という思想には、人間の自由という側面があり人間の自由は人間の権利であるばかりではなく、理性のある人間として人格と人間性を兼ね供えた人間の存在を、求めるものである。すなわち人間は、本質的に自由であり自らの行為を選択し意志を決定することで、その行為をすることによって行為の主体として行為に対する、責任を負うわけである。しかしまた、われわれ人間は、自由であればこそ人間の権利としての自由も成り立つのである。だから、人間の権利の思想は、人間の権利としての自由を拠りどころに真の人間としての自由が存するのである。
われわれは、基本的人権の思想を吟味するに最も大切なものとして人間の生命を、捉えることにあるだろう。われわれ人間は、他に譲り渡すことも他に代わることも出来ないかけがえのない生命を自覚するとき、ここにはじめて生命の絶対的な価値を見出すことが、出来るのである。そのことの意味は、一人ひとりの人間が歴然として持っているかけがえのない生命の本質的な意義であり、理性的で主体的な人間としての尊厳と人格を求める、ものであるだろう。その思想的な意味は、人間らしく生きるための能動的な人間を、尊重する思想である。そして基本的人権は、各人が自らの事由によってその行為を行う営みのなかに、存在するものなのである。人間の持つ生命が存在すると言うことは、われわれにとって否定できない事実といわねばならない。われわれ人間の生命は、一度死んでしまえば二度と生まれ変わることは出来ないものである。さらに、人間の生命は、このような意味でかけがえのないものであり他によって、代わることができないものである。
われわれ人間は、人間として一定のゆずり渡すことのできない基本的な権利を持つという認識が、広く一般社会に成立していなければおよそ人間の権利という思想は、成り立たち得ないであろう。かけがえのない人間の生命は、二度と生まれ変ることも他にゆずり渡すことも出来ないものである。われわれ人間は、人間として尊重されるための諸権利を生まれながらにして、持っていると言う人間の権利という考え方は市民革命期に、形成された思想である。このように、人間のもつ権利が基本的であると言うことは、それが国家や社会によって与えられた秩序よりも優先する、と言うことである。国家や社会秩序の維持が優越しているところでは、権利はただ条件つきでのみ形式的に容認されるにすぎない。人間の権利は、国家や社会によって与えられた秩序を犠牲としてもなおかつ権利が、主張されなければならないと考える時にはじめてそれは基本的な、権利となり得るのである。基本的人権を保障する制度としての民主主義の実現は、われわれが持つ一般的に民主主義的な国家においてであるとされている。
基本的人権は、形式的には資本主義革命後の憲法で成文化された人権を指し示すものであり、その内容は生命・財産・思想・信仰・言論・出版・結社の自由などの、権利の思想である。歴史的に見ても基本的人権の思想は、革命後のイギリスの権利章典やフランスの人権宣言などに記述され、その後の憲法にも採用されるようになった。しかし、現実の資本主義社会では、基本的人権は支配階級の権利としては実現されているが、人民にとっては不充分にしか実現されていないのが現状である。基本的人権の思想は、やがて働く労働者が増加し強大になり階級間の闘争が激化するなかで、労働者の要求する団結権・ストライキ権・労働権・生存権などを、資本家階級は部分的には認めざるを得なくなり、資本主義国家においても憲法上これらの権利を採用する、ようになったのである。第2次大戦後の日本・フランス・イタリアなどの憲法がそれである。だがしかし、資本家階級は、これらの権利を事実上でも法律上でも踏みにじってきたのが、現実なのである。
基本的人権は、一人ひとりの人間の生命のかけがえのなさを認めることによって、成り立つものであるならば各人の生きる権利は、他人の生きる権利を尊重し他人の生きる権利を犠牲に、しない限りにおいてのみ自らの基本的人権と自由を、行使することが許される。それらの権利には、良心・思想の自由・宗教の自由・集会や結社の自由など、精神的自由や正当な理由もなく適正な法の手続きも経ないで、逮捕・監禁・処罰することを禁じる人身の自由や、為牲者が勝手に国民に課税することなど経済活動に、干渉することを排除する私有財産の不可侵などの、経済的権利は国家権力といえども侵害できないもので、自由権と呼ばれる。これらの諸権利は、イギリスの権利章典をはじめアメリカの独立宣言やフランスの人権宣言などで保障されている。だがしかし、これらの革命を指導したのは、市民階級であったことから自由権の内容には有産者本位の考えが見られるし、また全国民の人権保障としては選挙権に見られるような、不充分なものであった。
すべての国民の人権を真に保障するためには、全国民から選ばれた代表者によって作られた法律によって、統治することが求められ19世紀初頭から選挙権の拡大がはかられ、参政権が人権の内容として次第に各国で、加えられるようになった。イギリスでは、1832年に選挙法が改正され実地され第二次大戦後までに、ほとんどの国々で男女普通・平等選挙制が、採用されてきた。もう一つの自由権は、社会権が新たに人権保障の体系に加えられたことである。産業資本主義が確立した19世紀半ば以降の先進諸国では、貧富の差が益々激しくなり貧困・失業などの問題が重大な政治や社会問題となり、自由権のなかでの経済的自由権の修正を余儀なくされた。この国家は、個人の私的生活や経済活動に干渉せずに自由放任主義や夜警国家の立場をやめて、経済・労働・厚生・社会政策を積極的に取り組む福祉国家の立場を、とるようになったのである。その内容は、弱い立場にある労働者を法律によって保護する労働法が各国で、制定されたのである。
われわれは、第二次大戦後に基本的人権の国際的保護の必要性を宣言したものに、国連憲章があることを承知している。この国連憲章においては、基本的人権の尊重が世界平和の一般的な基礎をなすものとして、各加盟国によって規定されたことは基本的人権の国際的な保障の理念からして、画期的なものであったといえるだろう。こうした国連憲章は、その前文において「基本的人権と人間の尊厳および価値と男女および大小各国の同権とに関する信念を改めて確認し------人種・性・言語・または宗教による差別なく、すべての者のために人権および基本的自由を尊重するように」とされている。さらに、国連憲章を内容的に具体化したものとして採択された世界人権宣言は、各々の加盟国に対して法的拘束力のあるものではないが、すべての人民と各国々とが達成すべき共通の基準として布告されたもので、将来において到達すべき目標を指し示すものである。
このような世界人権宣言は、自由・参政・社会権を基本的人権の三種の体系とし、世界の国々においても体制の違いによって力点の置き方は異なるが、ともかくこの三種の人権を憲法において保障されているのである。こうした人権を真に保障するためには、先ず国民全体の利益を反映した法律を制定し、それに基づいて統治することが必要だし一方では権力の専制化を防ぐことが、要求されている。こうした代議政治と三権分立主義は、近代民主政治の二本柱である。民主政治においては、議会が国の最重要な機関であることや、また権力の分立が必要であることを最初に明確にしたのは、ロックであった。イギリスでは、18世紀末までに議会を中心に内閣は議会に責任を負うとする、議院内閣制がほぼ確立したしアメリカではモンテスキー的な、大統領・議会・裁判所とに厳格に権力を分立する、大統領制を確立した。今日の資本主義国においては、この議院内閣制と大統領制を各国の条件に応じて様々に組み合わせた、政治形態をとっている。
やがてそのことは、内実を求めて各国が保障すべく実施手段としての世界人権規約が追って採択され、各国々に布告されたのである。その世界人権宣言の内容は「第一条すべての人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利とにおいて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、同胞の精神をもって互いに行動しなければならない」としている。ここにおいては、人間の権利が強調され第二条以下では個人的な人間の権利と自由の保障の問題が、多くの項目で繰り返し取り上げられている。そして、それらの項目の思想的前提となるものは、人間の基本的な権利の思想でありそれを保障するための法的根拠を、指し示すものである。こうした世界人権宣言の思想は、アメリカ独立宣言に見られるような抵抗権や革命権に繋がるような、人間の権利の思想ではないが人間の尊厳と権利の思想である、と言うことが云えるだろう。その意味で世界人権宣言は、基本的人権の思想であるから人間的自由の思想と関連させながら、今世紀に生きるわれわれ人間にとって現実の問題であり、今日的課題として捉えることに意義がある。
我が国においては、明治憲法時代には人権保障の範囲が著しく狭く制限され、かつ天皇主権主義をとったために議会の地位は低く、その権限はきわめて弱かったし議院内閣制も憲法で保障されずに、内閣は行政の責任を議会に対してではなく天皇に、負うっていたのである。しかし戦後は、新憲法の制定によって国民主権主義・平和主義・基本的人権の三大原則が確立され、国会は国権の最高機関である議院内閣制の立法機関として、その地位を確立し国会・内閣・裁判所間の三権分立主義や、議院内閣制と地方自治制も確認され民主主義国家として、出発するに到ったのである。しかし、その内実は、いくら憲法や法律によって民主主義的な原理や制度が保障されても、それらを充分に理解し運用できなければ真の意味での民主主義が、実現されたとはいえないだろう。とくにわが国のように民主主義の伝統と経験が浅い国では、この点に充分に留意する必要がある。
[参考文献]
世界人権宣言1948年第3回国連総会で採択「国際連合と人権」(1945−1995)国連広報局発行