司書のつぶやき(11)
公共図書館は本の敵?

文化情報専攻 13期生 大塚 奈奈絵

 2月2日(月)に紀伊国屋サザンシアターで開かれた日本文芸家協会主催「公共図書館はほんとうに本の敵?」というタイトルのシンポジウムに参加した。登壇者は、作家の佐藤優氏、林真理子氏、新潮社の石井昴氏、筑摩書房の菊池明郎氏、ジャーナリストの猪谷千香氏、東京大学の根本彰教授、司会は専修大学の植村八潮教授で、参加費は千円、会場はほぼ満席だった。
 このシンポジウムの半月前に売り出された『新潮45』2015年2月号の「特集「出版文化」こそ国の根幹である」では、冒頭に「わずか十数年で本や雑誌の売上はほぼ半減、街の書店も次々と廃業を余儀なくされている。人口減やネット・携帯・スマホの普及という構造変化に加え、アマゾン、 ブックオフ、図書館の過剰サービスが、出版の生態系を破壊し・・・」と図書館もやり玉に挙がっていた。シンポジウムのパネリストでもある林真理子氏の「本はタダではありません」、石井昴氏の「図書館の”錦の御旗”が出版社 を潰す」というタイトルだけで内容が想像できそうな図書館批判の記事も並んでいる。
 この分だと、シンポジウムでも、過激な公共図書館批判が繰り広げられるのかと予想して臨んだのだが、穏やかな雰囲気で終始する、何とも拍子抜けのするものだった。
 石井氏も、最初の「公共図書館を敵だと思ったことはない」という発言にはじまり、文京区立図書館11館の過去6か月の貸出上位タイトル、予約上位タイトルの一覧を配布して公共図書館の複本購入問題を繰り返し、公共図書館に新刊書の6か月の貸出猶予を呼びかけるのだが、『新潮45』の記事よりもずっとおだやかなお願い調の発言だった。とは言え、壇上には公共図書館の人はいないので、議論が繰り広げられるということもない。「利用者の図書館リテラシー」や「子ども達の学びの格差を埋められる図書館」、佐藤氏が紹介した沖縄県久留島高校学校図書館の話等々、図書館にとってよいキーワードもたくさんあったので、少々残念に思えた。後日、参加した方の話しを聞いても、皆さん、同じような感想を持たれたようだ。
 個人的には、司会の植村教授が中学生の時に自分で初めて本を買った時のエピソードに触発されて、中学1年の時に小遣いをためて初めて買った本のことを思い出した。
 私も植村教授と同じように、最初に買った本を今でも手許に置いている。高村光太郎の『詩集千恵子抄』、龍星閣出版で価格は360円。黄色い函を開けると緋色の絹の装丁に銀色で『千恵子抄』の文字。見返しも黄色の地に黒の正方形を置き、その中に緋色で花の咲く樹の枝がデザインされている。本文もクリーム色の地に活字がゆったりと美しく並ぶ。手に取って、ページを開いた瞬間に魅了された。その時の気持ちを今でも思い出すことができる。テキストと装丁が一体になって言葉が心に響く、そういう書物の魅力とともに自分で本を買うことの喜びを覚えた。
 今では、住んでいる団地に市立図書館があり、そこでも本を借りるが、手許に置きたい本は購入することが多い。よほど急いでいる時以外は、書店に頼んで取り寄せてもらう。図書館で見つけた本が書店では買えなくて、古本屋で探すこともある。周囲を見ても、図書館好きは、基本的に本好きの人々なのだと思う。そして購買意欲をそそられる本があれば、本を買う人でもあると思う。ついでに言うと私自身は図書館でベストセラーを借りたことはないのだが、1年待っても図書館でベストセラーを借りる人達にも、それなりの意見や考えがあると思う。だが、今回のシンポジウムの主催者にはそのような意見に耳を傾けるという考えはなかったようだ。
 終始穏やかにそれぞれが意見を述べただけで、各人の言いっぱなしに終わった感のある今回のシンポジウムだったのだが、そこに「出版文化」の享受者であり、本の買い手、図書館の利用者という「読者」が不在であったことが、何とも言えない物足りなさの原因だったように思われた。



≪ 大学院HPへ | TOPへ ≫