司書のつぶやき(10)
気仙沼図書館

文化情報専攻 13期生 大塚 奈奈絵

 今年8月末、3日間の夏期休暇を利用して宮城県気仙沼市の気仙沼図書館支援活動に参加した。気仙沼図書館は高台にあるため、東日本大震災の際の津波の被害は免れたものの、震度6弱の強い揺れで建物の一部が損壊し、2階の閲覧室と書庫が使えなくなった状態でサービスを続けている。けれども、屋根や2階部分の亀裂が大きくなり、雨漏りもひどくなったことから、2階の書庫にある資料のリストを作成して箱詰めにする必要があり、必要な人員が確保できないため、宮城県図書館を通じて日本図書館協会やsaveMLAK(i)等に支援の呼びかけがあった。私のところには、日本図書館協会の震災対策委員会に所属している退職した職場の先輩のKさんから、コンピュータにデータが記録されていない郷土資料の古い雑誌がたくさんあるので、古い雑誌の整理の経験のある人に参加して欲しいという連絡があった。職場で呼びかけてみたところ、中堅のIさんが8月の初めの作業に参加してくれた。8月前半の3日に加え、8月の後半に約1週間の作業を予定しているということで、私も後半の作業チームに3日間加わることにしたのである。
 東北新幹線の一関駅で大船渡線に乗り換えて約1時間半、気仙沼駅からタクシーに乗った。運転手さんは街を走りながら3.11の被害を色々説明してくれた。気仙沼図書館まで歩いていけるということで予約したホテルは海岸の近くにあり、創業は100年近くに遡る老舗だが、1、2階は津波で大きな被害を受け、その部分を改修して操業していると教えてくれた。ホテルの周囲はあちこちで土地の「かさ上げ」工事が行われ、巨大なショベルカーがあちらこちらで動いている。高々と土が盛られて、私の身長よりも高く土が積み上げられた場所もある。海岸に近いために、周囲には津波の傷跡がそのままに窓ガラスの割れた廃屋も多い。昼間の作業を終えて、食事のために復興屋台村の駐車場に車を止めると、そこが以前はどこかのお宅の玄関だったことが分かったり、3年を過ぎても津波の爪あとは生々しい。ここに住んでいた人たちの多くはまだ仮設住宅に住まっているということだ。
 気仙沼図書館に集まった図書館員のボランティアは、宮城県図書館の職員以外に、公共図書館の職員、大学図書館の職員等と様々である。仙台から日帰りで来ている人もいれば、中にはアメリカの大学図書館で働いていて、夏の休暇で帰った関西から泊りがけで参加したという人もいた。私のように気仙沼に始めてきた人もいるが、震災直後から数ヶ月間派遣されて市役所の支援に入り、その後も何回も作業に来ているという人もいる。宮城県図書館から来ている責任者を除いては、各自が都合のつく日に参加するため、メンバーは日々変わり、ほとんどが初対面の人達の集合である。普段の業務では経験したことのない状況だったが、前半のチームの申し送りを元に行う共同作業は問題なく進んだ。志を一つにして、各自ができることを黙々と進めるとても気持ちのよい経験であり、地元の新鮮な魚介に舌づつみをうつ昼食や夕食時の歓談は楽しかった。
 その一方で、人員だけではなく、図書館のLANやPCの整備等の不足は明らかで、雨漏りのためにカビがひどい資料や地震時の落下で破損した資料も多く、心が痛んだ。本格的な補修や修復は難しく、応急対応がやっとである。気仙沼図書館は、ある篤志家が寄贈した資料をもとに発展した図書館で、地元の多くの人々が大切に育んだ歴史を持っている。地域の図書館にとって、地元の歴史を刻んだ資料は、未来に伝えなくてはならない、かけがえのない情報源である。表紙に「この号の何ページに気仙沼の記事があります。」という寄贈者の書き込みのある古い雑誌を箱に入れながら、新しい図書館が建設されて、この資料が郷土の歴史を知ろうとする人々の役に立つ日が来ることを心から願った。

(i)saveMLAKは博物館・美術館 (M) 、図書館 (L) 、文書館 (A) 、公民館 (K) の被災・救援情報サイト。http://savemlak.jp/



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