東日本大震災からの再校
―宮城県亘理町立荒浜中学校―

文化情報専攻 15期生 桐ヶ窪 牧子

 東日本大震災から3年5ヶ月。津波で大きな被害を受けた宮城県亘理町立荒浜中学校は、校舎が再建され、8月18日(月)に落成式を迎えました。8月25日(月)から、新しい校舎で、2学期が始まります。


荒浜中学校新校舎(平成26年8月完成)

地震からの歩み
 2011年3月11日、午前中に荒浜中学校では卒業式が行われました。母校との別れを惜しむ生徒たちが全員帰宅したのは午後1時すぎでした。その約1時間半後、地震が発生、荒浜地区に津波が到達したのは午後4時前後のことでした。
 数百人の地域住民と学校にいた教職員は3階に避難、備蓄食料や毛布もないまま2日間を過ごし、3日目に屋上からヘリコプターで救出されました。校舎1階は津波により全壊状態、流れてきた材木や自動車が入り込み、水が引いてからも足の踏み場もない状態でした。
 約一週間後、地域消防や自衛隊により、現地復旧、行方不明者捜索―幸いにも在校生は全員無事でしたが、保護者や卒業生、地域住民の中には、津波の犠牲となられた方々がいました―のために、やっと一部のがれきがどけられた道路を通って、校舎の片付けが始まりました。校舎に入り込んだがれきの片付けや泥出しを、数多くのボランティアの方が行ってくださいました。泥で汚れた職員室の中から、最低限必要な書類や備品を、近隣の逢隈(おおくま)中学校に運び、4月末から借り校舎での新年度をスタートすることになりました。学齢期の児童生徒の大部分は、隣接する逢隈小学校体育館に住み、そこから通学することとなりました。
 当初は1年くらいの間借り生活、と考えていたのですが、2年経ち、資材調達や建設用地の整備に時間がかかり、3年があっという間に過ぎました。その間、震災後に入学した生徒たちは間借り校舎で卒業し、それぞれ高校へ進学していきました。


被災2週間後の荒浜中学校校庭と校舎

多くの支援
 亘理町荒浜地域は約80%が津波の被害を受け、多くの住民は亘理高校、亘理小・中学校、逢隈小・中学校での避難生活を余儀なくされました。間借り生活の間に、日本全国ばかりでなく、海外からもさまざまな支援をいただきました。
 企業や自治体、個人やNPOからの食料、衣料の支援は言うに及ばず、各地の学校の生徒会、PTAとの交流、募金活動、学用品の寄付など、たくさんの支援のおかげで、震災後の学校生活を軌道にのせることができました。スポーツ選手やタレントの避難所訪問を、休日のイベントとして、子供たちは心待ちにしていましたし、そうやって子供たちが楽しく遊ばせてもらっている間に、保護者は出かけていって自宅を片付け、被災書類の申請などの手続きを行い、新しい住まいや働き先を探すことができました。避難所の皆が仮設住宅に入れたのは、震災から4ヶ月、もうじき夏休みという頃のことでした。
 さらに阪神・淡路大震災を20年前に経験した関西地域では、各県が東北の被災地区をそれぞれ分担して長期の支援に来てくださり、災害派遣された自衛隊の方々も緊急支援の枠にとどまらず、常に献身的な作業をしてくださいました。  亘理町には愛知県の消防と兵庫の自衛隊が担当となり、約4ヶ月の間滞在し、サポートしていただきました。
 現在も、当時支援してくださったいくつかの学校やNPO団体、個人の方々との交流は続けられています。震災以降、支援や各地域との交流を通して、被災地域の子供たち、地域の住民の視野が広がり、地域の復興にも新しい発想や柔軟な思考が生かされていると思います。

新しいスタート
 これから新校舎での生活がいよいよスタートします。新校舎は、災害時における地域住民の避難も想定し、一階は吹き抜けの高床式構造、障害者用トイレ、エレベーター、備蓄倉庫などを備えた造りになっています。
 体育館(写真左側)と校舎(写真右側)はつながっていて、緊急時の避難行動やバリアフリーも考慮された、木の香りのする校舎です。全校生徒は87名と、震災前の約半分となりました。
 荒浜中学校は宮城県南部、亘理町に位置しています。最寄り駅はJR常磐線亘理駅、車でのアクセスは仙台東道路亘理インターより南下、または国道6号線から東の海岸沿いへ向かって約15分です。お近くにお越しの際はどうぞ校舎をご覧ください。


8/18 亘理町主催 新校舎落成式にて

これまで寄せられた皆様の善意やご支援に、本当に感謝しています。これからも、新しい荒浜中学校の歩みを見守ってください。ありがとうございました。




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