修士・博士論文奮戦記

文化情報専攻 14期生 松崎 茂理

 今春、博士前期課程から博士課程に進学しました松崎です。福島県の県立高校教諭で、教科は英語を教えています。幸い生徒や同僚に恵まれ、教員生活を20年以上楽しく過してきました。その自分が2年前に日本大学大学院の前期課程に入学した動機は内発的なものでした。数年前から「教職のかたわら、ライフワークとして知的な探究をしてみたい」と考えるようになっていました。この心境はゼミ(松岡先生)に集う多くの方々にも通底するようです。自分の身近なところでも、県内の校長を歴任し定年後に大学院に進み、充実した研究生活を送っている方がいます。
 専攻分野は学部時代と同じくアメリカ文学です。学生時代は教職課程の単位取得を優先しましたが、他方様々な作品に親しみました。1年次にはJ・C・オーツの短編を講読しました。都市近郊の空地で車内にいる(密会中らしい)男女に助けを求める少女が現れ、二人が少女の家へ向かうとボサボサの頭髪で酒臭い息を吐く母親が登場、二人と母親の間でかみ合わないやり取りが続くThe Madwomanは機会があれば読み返したい作品のひとつです。また3年次では、フォークナーに関する科目を選択しました。彼の描く底知れない深淵に圧倒された記憶が残っています。しかし長大かつ難解を以て鳴るフォークナー作品で卒論を書く勇気はなく、結局スタインベックの『怒りの葡萄』をテーマに取り上げました。
 大学院入学後は劇作家テネシー・ウィリアムズの作品を研究しています。スタインベック研究を続けることも考えましたが、最終的には平成24年の初めころから関心を持ち始めていたウィリアムズに関心が移りました。どちらかといえばヒューマニスティックで時には諧謔味を交えるスタインベックと違い、妥協なく人間心理の暗部を剔抉するウィリアムズの作風には時に辟易しながらも、結局のところは魅せられていった次第です。なお、ウィリアムズの戯曲が文学テクストとしてのみならず他の学術領域からも研究対象とされていることは入学してから知ることとなりました。
 さて、ようやく「奮戦記」を書くくだりになりました。自分は博士論文ではウィリアムズと彼より45歳ほど若い劇作家トニー・クシュナーの比較研究を行う予定です。まず必要なことは主要作品のテクスト精読です(原点です)。二人とも主に戯曲形式なのでページ数よりはボリュームが少ない点、純粋に労力として助かっています。極力英語で読み込もうと思いつつ、ウィリアムズの作品は概ね日本語訳が入手可能で、つい頼ってしまうことも。他方クシュナー作品はほとんど日本語訳がありませんので、資料の大半は英語で読むことになります。加えて文献の入手です。博士後期に入ってから日本大学大学院に文献複写を依頼することが多くなりました。初めは不慣れでお手数をかけましたが、徐々に手元に先行研究の論文等が集まりつつあります。また書籍は、Amazon等で調べお手頃価格なら購入するようにしています。英語圏への海外旅行を2回我慢すればいいんだなと思って何となく納得しています。
 さて、博士課程後期は結構スケジュールがタイトです。まず論文を一定量執筆する必要があります。論文の書き方には様々な方途がありますが、自分の場合は紀要論文を2年次末までに5本書くことを考えています。
 加えて、1年次の9月、2年次の5月、9月には中間発表、3年次の6月には予備試験、学位論文提出が10月、口述試験が12月、と盛りだくさんです。さらに、履修科目も前期課程と同様の日程でレポートを提出する必要があります。
 このように書きますと、「非常にしんどい」ように思えますが、何事にも対策はあります。前期課程2年間で自分が学んだ教訓は、「少しずつでも毎日研究を行う」ことの大切さでした。出来ることを毎日積み重ねていくと、1カ月とか3カ月のスパンでは相当な分量がこなせるものです。また毎日の継続は研究の質的向上も伴います。
 また、サイバーゼミには極力参加して、発表することをお勧めします。ここでの発表は紀要論文ひいては学位論文の準備にもなります。フィードバックも得られます。松岡ゼミでは、ほぼ毎回発表を行い中間発表や修士論文作成のペースメーカーとしていた方がおられました。実に慧眼な着想だと思います。自分もこの姿勢を大いに見習いたいと思っています。 さらに、指導教官(Mentor)には研究上の連絡や相談を「こまめに」行った方が良いです。「まとめて」では指導教官の負担が増します。ちなみに本学の先生方は、ご自分の研究や学務でご多忙な中、我々学生には極めて迅速に対応頂いています。この点頭が下がる思いです。
 以上、極めて雑駁な文章でした。何かの参考にしていただければ幸いです。



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