映画「んで、全部、海さ流した。」で私がみた3.11
文化情報専攻 15期生 韓 英恵
「んで、全部、海さ流した。」は石巻出身の庄司輝秋監督が文化庁委託事業「ndjc若手映画作家育成プロジェクト」により制作した30分の短編映画である。舞台は監督の故郷である、3.11の被災地石巻。そこで暮らす元ヤン少女・ヒロエとデブ少年・達利が出会い、一つの嘘から長浜の海を目指すロードムービーである。
ヒロエは高校中退後仕事もせず、仲間や家族からも疎外され生きていた。そんなある真冬の日、塾の面接のあとデブ少年達利に出会う。のけもの同士のふたりは次第につるむようになり、二人で犬が引かれた事故を見たことをきっかけに、ヒロエは達利の妹がトラックにはねられて死んだことを知る。それを聞いたヒロエは「長浜の海で、死んだ人の形見を燃やすとその人が蘇る」という嘘をついてしまう。しかし海までは遠い。頼れる人もいないヒロエはそれでも達利のためになんとかしてやりたいと思い、自分の援助交際の客・小林を呼ぶ。三人で海を目指す途中で「魂が蘇るなんて嘘だ」と気づいてしまう達利。しかし、長浜に着き、形見を燃やすことを決行したが、結局全部燃え切らなかった。そんな状態にヒロエはポツリと自分の無力さを吐く。
「なして全部燃えきんねんだかなあ。でもさ、燃えきんねえならさ、嘘でもホントでも関係ねえべや。あの犬もチエコちゃん(妹)も、みんなも、もう戻ってこねんだがらさあ。」
その夜、車中泊をする三人。ヒロエは眠れずに爪をいじる。と、車の窓から朝日の光が入ってくる。水滴でぼやけた窓を拭くとその燃え切らなかった形見のそばで一匹の犬が戯れている。嘘をついたヒロエだったが、あの時死んだ犬が戻ってきたようで、少しの光が見えたような気がした。
このあと、ミュージシャンの中川五郎さんの歌と現在の石巻の復興の様子の写真と共にエンドロールが流れる。中川さんの「みんな強くてみんな弱い」という歌詞は東日本大震災で失ったものの意味を監督のメッセージを込めて唱っているように聞こえる。
私は3.11というものを「絆」や「がんばれ!東北」だけではない、人々の想いや自分の無力さ、そして生きるという単純なことだけを正直にフィルムで撮りたいとずっと思っていた。そんな中出会ったこの作品で、監督の想いを知った時、私の夢は叶ったと強く思った。
初めて2012年12月にロケで石巻を訪れた際、私の観ていた石巻の津波の映像や土地の映像を忘れるほどの町の復興ぶりに私は驚いた。大型複合施設があり、車も通り、人も歩き、自分はいつの時代の映像を見ていたのかと思うくらい、町の復興は進んでいるように見えた。しかし撮影が進むにつれて、私は長浜方面や、女川地区へ行くことが多くなった。家はだんだん少なくなり、潮の匂いの中、家があると何故か救われた思いでその家に近づけば、その家には誰も住んでおらず、カーテンは破れ、玄関がない状態だった。家主が行方不明で壊すことすらできない家々が無数に存在していた。
そんな矢先、2012年12月6日に起きた、マグニチュード7の大きい余震。私はその時、長浜の海の撮影で海の近くのコンビニにいた。また石巻に緊張が走った。鳴り続くサイレンとラジオからの「津波警報」。ロケバスのテレビに映る石巻だけが真っ赤になったあの映像は今でも覚えている。すぐに高台に避難し、3時間待機した。
その日の撮影は中止となったが、監督はバチがあたったんだと感じたと制作インタビューで答えている。その時に思いついたセリフが最後の言葉である。当時、最後のセリフは「あの犬もチエコちゃんもみんな戻ってこないんだからさあ」と犬と達利の妹のチエコちゃんを強調するものとして存在していたが、最後の「みんな」のあとに「も」を付け加えることで、自分が石巻で感じた、そこで生きる人々の無力さや絶望感を表せると感じた。
たった一週間の石巻の滞在だったが、ヒロエという人物の魂を吸い込み、石巻の空気を生まれてからずっと知っているような気がした。今回は被災地の津波で亡くなった家族の想いなどではなく、「石巻で住む普通の少女が生きる、ある物語」というような解釈で撮っていたということだ。もしも、ヒロエが石巻に住んでいて、3.11が起きたあとでどんなことを思っていたのだろう…という気持ちを添えて創った作品である。映像は文章では訳せないほどの壮大なエネルギーを持っている。私はこれからもそれを大いに自分の人生で活用していければと思う。
この撮影を通し、3.11の残した跡を改めて考えることができた。この映画を通し、「がんばろう!東北」、「絆」だけでない、現地の人々がただ生きる、それを撮りたかったという夢が叶ったのだ。3.11以降、東北のイメージは「津波」や「被災地」が強く、メディアで流れる東北と私が観た東北はかけ離れていた。少なくとも、石巻市は違っていた。被災地という言葉から離れようと人々は必死に生きていた。生きていく中で、人は挫折し、無力さも時には感じる。私たちは東北を3.11という悲劇を乗り越えてがんばっている人々というように勝手に同情に似た美化をしてしまっているのではないだろうか。だから、私は、そうではない本物の東北の人の気持ちを演じ、撮り切りたかったのだ。そこには隠しきれない、痛み、無力、矛盾がまだまだ残ってもいた。
最後にパンフレットにある監督のことばを載せたい。
「自分はひとりじゃない」そう感じられる瞬間があったなら、生きることは少し楽になるんじゃないでしょうか。死を弔う術も知らず取り残されている、そんな少年と少女が「自分たちなりの希望」を見つけようともがく様を本作では描きました。シリアスさだけでなく、日常のおかしみも描いています。石巻の方だけでなく、映画を観た誰かが自分の戸惑いを肯定できたなら、私は嬉しく思います。
(映画「んで、全部、海さ流した。」公式サイト http://www.cine.co.jp/nde/)