夏期スクーリングに参加して
―2013年度 文化情報専攻―

文化情報専攻 15期生 飯田 由美

 2013年7月19日から21日の3日間にわたり、市ヶ谷の日本大学会館において、夏期スクーリングが行なわれました。以下、文化情報専攻の参加者の皆さんによる感想です。



2013期 文化情報専攻
宮本裕司

私にとって、夏季スクーリングの授業は、実に価値あるものでした。
同学年といえど、ゼミが違えば、顔を合わせる機会もなく、どんな方がいらっしゃるのか知る機会もなかなかありません。

同学年の方と一緒に、先生と顔を合わせて授業を受けるというのは、勉強する醍醐味だと私は思います。
私たちは一人で勉強しているわけではありません。
それを実感する場が、面接ゼミであり、スクーリングであると私は考えます。

スピノザは言いました。
「人間とは、まこと、社会的な動物である」

人は誰も一人では生きられません。
どんなにお金を持っていても、サーブして下さる方や、料理を作って下さる方がいらっしゃらなければ、カフェでおいしいお菓子や紅茶を飲むこともできません。
「孤独を愛した作家」と言われている人ほど、自分の作品が社会で読まれることを渇望していました。
誰も社会とは無縁たりえず、他者と関係しながら、人は生きているわけです。

私たちがこの社会で生きていく以上、勉強もまた、一人でするものではないということを、スクーリングを通じて、感じ取ることができたのではないかと思います。

少し個人的な話しを書きます。
私がビジネス・スクールに通っていた時、それは何物にも代えがたい、素晴らしいひとときでした。
普通に生きてきたのでは出会えなかったような、志と知的レベルの高い人たちと仲間になれたこと、そしてその仲間と学びを深められたこと。
プライスレスだと思います。
やがて卒業前の最後の授業の日がやってきた時、そこにいた誰もが、「時間よ、止まれ」と念じました。
苦しくもあり、楽しくもあった、ビジネス・スクールの数年間。
あたかも無限にあると思えたその時間は、実際には、痛切なまでに有限だったのです。

クロノス的時間と、カイロス的時間という概念がありますが、いずれにしても時間は不可逆的なものであります。

大学で過ごした日々。
ビジネス・スクールで過ごした日々。
私がこの文章を書いている、あるいは、皆さんがこの文章を読んでいる、まさに今この瞬間。
これらは戻ってはきません。
つまり、人生に二度目はない。

そのような中、もう一度学ぶ機会を与えられたことを至上の喜びとし、社会の一隅を照らしていきたいと私は思うのであります。



2013期 文化情報専攻
小林寛典

 夏季スクーリングに参加することによって、わたしは新しい世界に触れられたような気がしています。ここしばらくは、読書にしても、映画にしても、自分の興味のあるものに偏って接してきました。人付き合いも同様で、自分に合うと思った人とのみ、付き合ってきました。それはそれで、居心地の良い楽しい日々だったと思います。
 しかし、自分の存在というものは異質なものに接してこそ認識できるもので、また、成長できるものなのかもしれません。
 今回のスクーリングで学んだことは、ほとんどはわたしが今まで接したことのない世界でした。昔の自分だったら、直接自分に関係のない分野の学問には興味を持たなかったことでしょう。しかし、今は信じられないことに、知らないことすべてに興味を持ちつつあります。新しく出会った同学年の皆様も、さまざまな経験を経てこの大学院に辿りついた方ばかりで、聞く話すべてがとても刺激的で、見習うべき点が多々ありました。
 このような気づきを得ることができたことを本当に嬉しく思っています。これから修士論文作成に向けて苦難の道が続くと思いますが、それを学ぶ喜びに変えて頑張っていきたいと思います。
 スクーリングの機会が一度だけというのが、とても残念です。ぜひ、2年次にも必修にしていただければと思います。先生方、どうもありがとうございました。



2013期 文化情報専攻
日高真規子

夏季スクーリングに参加し、個性あふれる諸先生方、そして同期の皆様から多くのことを教えていただく機会を得ることができました。

 まず、自らの意志で決めた修士課程への入学ですが、夏季スクーリングの時期は、特に、莫大な量の手つかずの課題と次々にやってくる修正レポートの締め切り日の嵐を目の前に、心が折れそうになっておりました。そんな折に、夏季スクーリングに参加し、共に学ぶ同期の皆様との何気ない語い中で教えていただいたことは、どなたも様々な環境の中で、ご自身の最善をつくし、頑張っていらっしゃるということでした。結果的に、改めて自分の怠惰を振り返る機会を与えてもらうことができました。

また何より有益であったことは、松岡先生をはじめ諸先生方の熱意あふれる講義から、修士課程の授業内容の奥深さを認識することができたことでした。課題に取り組む際の大切なヒントを与えていただけたことも大変に貴重であったと思います。先生方、本当にありがとうございました。
 「専門的な知見を広げたい」と切望し、大学院に入学いたしました。しかしながら、長年の希望が叶ったのにも関わらず、今現在、満足できる学びができているかといえば、残念ながらまだまだ勉強不足であることは否めません。これ迄提出した課題に関しても、論理も文章も拙く、お恥ずかしものばかりです。 
 こんな私ですが、同期の皆さまと、2年時の学位記伝達式に出席できることを目標として、日々邁進いたしたいと思っています。皆様、お互いに切磋琢磨して頑張りましょう。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。



2013期 文化情報専攻
飯田由美

 「授人以魚、不如授人以漁」
 これは中国の老子の言葉です。日本語では「魚を与えれば一日の飢えをしのげるが、魚の釣りかたを教えれば一生の食を満たせる。」という意味になります。私は香港で教員をしていますが、この言葉のような教師になりたいと思っています。答えを与えるのではなく、自分で答えを考えて見つけ出すことができるように導くことが、私の仕事だと感じています。

 教員としての毎日の授業の中で疑問に思うことが多く、また改善できることはないかと思い、この大学院への入学を決めました。5月末に出産したので、新生児を抱えての勉強です。また教員として働いてもいますので、仕事と育児、これだけでも忙しいのに、教材を読んでレポートを作成し提出しなければなりません。入学してまだ数か月ですが、正直、あきらめようかと思ったことが何度もあります。そうした気持ちを抱きながら、夏期スクーリングに参加しました。また6日間子供を預けなければならなかったので、日本へ向かう飛行機の中ではとても不安を感じていました。

 それでも、スクーリングに参加して本当に良かったと思います。先生方の授業はとても興味深く、様々な視点から自分の研究テーマについて考えることができました。また同期の皆様と初めてお会いし、たくさんのパワーをいただきました。お忙しい中、自分の目標のために勉強したいと思う同期の皆様とお話しでき、心強く思いました。ゴールまでともに頑張ることができそうです。

 この大学院は、まさに最初に引用した老子の言葉のような場であると日々実感しています。課題を提出するたびに、担当の先生方から丁寧なコメントとご指導をいただき、どのように課題に取り組めばいいのかというアプローチの仕方を学ぶことができます。これは今後の私のキャリアにとって、非常に役立つことだと信じています。

 こうした機会を与えてくださった先生方、そしていつも親切丁寧に対応してくださる事務局の皆様、本当にありがとうございました。このご縁を大事に前向きに学んでいきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



文化情報 一年生次

「文学とは何か?」
私は、子供の頃あんなに好きだった本をいつのまにか読まなくなったことを改めて感じた。スクーリングと軽井沢での合宿、本を読まなくなった私には、残念ながらあまり理解できなかった。課題もいっぱいあるし、これから前途多難だなと思いながら帰路へついた。でも、軽井沢から京都に戻った時、雨が降っていて暑くていつもの京都の重い空気を感じた瞬間、なぜだかとても爽やかで心がとても軽くなったことを感じた。
私は、病院で働いている。病院は、私の日常。だけど、ここ数年私が担当しているプロジェクトの患者さんは、末期に近い患者さんが多く、何人の患者さんが亡くなられただろうか。死に向かっていく患者さんのいろいろな生き様を感じることになり、否応なしに人生の最後について考えてしまう。私は、この数年、ずっと人生の最後について、知らないうちに考え続けてきたことにふと気がついた。それも京都駅で。
文学とは何か?学ぶとは何か?言葉では上手くいえないけれど、何となくこういうことなんだ。と思った。スクーリングと合宿で授業を聞いたり、いろんな人と話をしたりした。いつも生きている世界とは違う世界で生きている人の話を聞くことでいつもとは違う考えにたどり着く。そして、ただとりとめもないことをただ考える。それだけのことだけど、私の心は解き放たれた気がした。 私は、輪廻転生を信じている。なので、いつも思う「また、来世で会える」と。そして、現世で読んだ本を来世で読んで、この話なんとなく読んだ気がするな。とか思ったら楽しいだろうと一人で思ったら、本を読みたいなと思った。



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