ファシズムの思想とイデオロギー
人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司
ファシズムとは、イタリアの極右政党であるファシスト党の思想を指して呼ばれてきたものである。そこにおいては、一般的に思想としてのファシズムを旗印とする運動として発生し、なによりも軍部や官僚のなかの反動的な分子による政治的独裁であって、それ故に必然的に立憲政治や議会制を否定し三権分立主義をも破壊し、一党独裁をもたらしたのである。イデオロギー的には、自由主義や民主主義の排撃と全体主義的な国家主義や民族主義的な軍国主義の効用を主張する。そして、指導者原理に基づいて独裁者を神格化し、社会を権威主義的に編成しようとしたものである。その方法と仕方は、直接的なテロリズムや国家権力による暴力的な弾圧という手段によって行われるが、間接的には無理解な大衆によるあらゆる機会を捉えての排外主義的な行為と共に、マスメデイアを利用しての世論操作による強制的な国家統制にある。こうしたファシズムは、イデオロギー的には何ら合理的な理論の裏付けを持たぬデマゴギーであるが、しかしそれなりに独自の思想的契機を大衆に対する情緒的なアピールの見地から、その内容を歪曲する。
要するにファシズムは、議会制民主主義を否定する独裁政治のことであり、全体主義的な政治形態であるファッショ化に思想的な基盤を与えるものである。思想としてのファシズムは、政治形態としてのファシズムに対する大衆の支持を獲得するためのものであり、大衆をごまかし抑圧と支配するための欺瞞に満ちた手段に過ぎない。したがって、そのなかには、支配者自身の本質的な事柄ではなくとも大衆が考えていることや、それが間違っていることであっても遅れた大衆が喜んで受け入れそうな観念等が、ふんだんに取り入れられている。そこにおいては、高級官僚や政治家の汚職や腐敗などに対する非難追求をやってのけるのである。その方法と仕方は、汚職や腐敗に対する非難から政党無用論まで導入され資本主義の利潤追求に対する攻撃によって、ユダヤ人の排斥が理由づけられるたりする。だからといって独裁者は、決して本気で資本主義を攻撃しているわけではないのであって要するに、大衆の目を欺きファシズムの階級的な本質をごまかすためにプラマッチクに何でも利用して、軍事独裁を追し進めていくにすぎない。
こうしたファシズムの思想や政治形態が発生する背景としては、第一次大戦後の資本主義の行き詰まりのなかで、イタリア・ドイツ・日本・スペイン・ポルトガル・韓国等の諸国で見られた非合理な大衆支配を、再編強化する金融資本のねらいがあった。当時の支配階級は、資本主義が一般的危機の段階にはいって国際的・国内的に矛盾が激化し、資本主義体制の危機が深まるにつれて、従来のやり方である政治形態での支配の仕方では、もはやその支配を維持し続けることが困難になってくるなかで、発生したものである。そこで支配層は、そうした危機を克服しその支配を維持するために資本主義的な民主主義の諸制度をも制限し、さらに否定することで支配体制を強化したのである。そうした支配層の目的が実現する時に、そこに政治形態としてのファシズムが成立したのである。そこでは、議会制民主主義を否定しその機能を停止させ司法権の独立を認めず、政党その他の組織を解散させ言論・集会・結社等のあらゆる民主的な権利を否定し、一切の反政府的な言動を暴力的に弾圧したのである。さらに、諸外国に対しては、排外主義的で暴力的な恫喝外交と軍事的な侵略政策を強行するという政治手段が、とられたのである。
ファシズムの主要な目的は、民主主義的な組織の徹底的な破壊にあるがそれは直接的なテロリズムや、国家権力による弾圧によって行われた。ファシズムの危険性は、そのような目的達成の過程においてその支配体制に反対するすべての国民に対して、暴力によって妨害し思想・良心・言論・出版・集会の自由等の国民の自由の権利を、奪ったことにある。そうしたファシストの行動は、国民の人権を保障する様々な民主的な諸制度である議会制・議院内閣制・裁判制度・地方自治制度・政党・労働組合組織などを破壊しながら、ファシズムの思想を大衆の生活領域にまで拡大し大衆の思想と感情を内側から画一化することで、全体主義的な独裁政治を樹立したのである。したがって、ファシズムの支配は、単に進歩的な勢力を破壊するだけでなくて一切の民主主義的な思想や制度まで、徹底的に破壊したのである。そして、そこにおいては、指導者原理に基づく偉大なる指導者の神格化と大衆の自発的な思考に対する蔑視や、戦争の賛美と女性の社会的政治的な活動に対する偏見や軍国主義重視の傾向を、生み出すことになる。
ファシズムの根本原理である全体主義の思想は、民主主義や自由主義の国家論に対立する反動的な思想である。これまでの国家論の概念では、国家を生むものは国民であるとしてきたが全体主義の思想においては、そうではなくて国民は国家によって作られるものであると主張する。ヒットラーは「われわれが闘争する目的は、わが人種、わが民族の存立と増殖の確保、民俗の子らの扶養、血の純潔の維持------」であるとしている。こうした考え方は、国民である個人は国家や民族という共同体という全体のうちに、無条件に従わなければならない。そして、国家である共同体の利益のためには、すべての国民は個人や階級の利害を超えて奉仕しなければならない、とされている。さらに彼は「ドイツ国の領域が、ドイツ人の最後のひとりにいたるまでも収容し、かれらの食料をもはや確保しえなくなったときにはじめて、自国民の困窮という理由から、国外領土を獲得する道徳的権利が生ずる」としている。このような海外侵略を正当化するファシズムの思想は、戦争を賛美する欺瞞とデマゴギーが満ち溢れている大衆支配の考え方である。
しかしそこには、或る共通の性格と特徴が存在することも否定できない事実であり、それはポピリズムを包含したマスメディアを利用した思想的な装いで、大衆をひきつけ欺くことができたのである。その内容は、国家社会主義という衣をまとい大衆の支持を得るやり方に加え全体主義というファシズムの根本原理を、基礎付ける思想である。この全体主義の原理は、資本主義的な利潤追求に対する大衆の不満に表面的に答え、共同体に従うということでエキセントリックに、政権や官僚の不正や腐敗を追及するかに装うという仕方で抗議をして見せるが、本質的には資本主義社会の支配層と同質の立場をとる。国家的な共同体に従うということは、実際にはその共同体を指導している個人に従うことを意味する。その全体主義は、二次的な原理として指導者原理が導入されてくる。全体主義は、民主主義の否定にあるが指導者原理はとりわけ平等の否定にある。それは平等の否定を優れた人間の指導によって理由づけられる。結局それは、専制と独裁政治を強力な指導者の名のもとに理由づけるばかりでなく、支配者の国民に対する関係までも指導するという理由で、反民主主義的な仕方でそれを美化し正当化するのである。
そこにおいてすべての国民は、その指導者の下で国家国民の共同利益のために資すべきであるから、その指導者が決定した一切の事柄について従わねばならないと主張する。こうした指導者原理は、国内で適用されるだけではなく民族主義や排外主義と結びついて他国や他民族についても主張される。その世界観は、民族の平等を主張するものではなく民族間の相違や民族の価値の違いや優劣を主張するのである。それ故に、世界を支配する優れた民族は、より強い民族の勝利を求め劣悪な弱小民族の従属を要求する。つまり、強い民族においては、優れた人間が指導し支配しなければならないように優れた民族として他国の民族を、指導し従属させなければならない。こうして民族主義を伴う指導者原理は、他国への侵略と戦争政策を弁護する帝国主義のイデオロギー的な支柱となる。このような国家は、まず国民の生活を保障すべき責任を有することを主張する。国家が国民を養うことができない場合には、異民族に属するものは国外に追放されるべきであり、そうすることで民族の生存を確保し国民生活を安定させると主張する。
ファシズムの支配の仕方は、それまでの権力の統治形態において実質的には国民の声が反映されていないと批判し、自由主義の権力分立を国民の要求の名のもとに破壊することで、大衆の支持を集めようとする。そこにおいては、既成政党が国民の要求にこたえていないと感じられるときに、国民の要求が無視されて信用を失った政党からなる議会が批判され、指導者原理から基礎付けられ否定される。だからそこでは、破局的な政治状況を一人の神格化された独裁的な指導者による解決が求められる。その仕方や手法は、エキセントリックな言動や荒唐無稽の発言を乱発することで既成の政治を破壊するというポーズをとり、大衆の支持をうけようとする。その方法は、権力の監視する役目を放棄したマスメディアと一体となった世論操作のなかで形成されていく。しかし、ファシズムは、いかに大衆の支持を取り付けても大衆と支配層の間には有機的な関係が存在するはずもなく、大衆の抑圧は強化され矛盾が発生し不満が、蓄積するという状況を生み出す。このようにファシズムは、国民的であるかのような態度を取りながらもその内実は、旧来の資本主義の中枢をなす金融資本による搾取と抑圧の強化を、推し進める思想なのである。
だから、思想としてのファシズムは、かかる欺瞞とデマゴギーに満ち溢れているものであって、それは民主主義を否定する全体主義と平等を否定する指導者原理に基づく、軍事独裁を理由づけるものである。こうした思想としてのファシズムは、すでに明らかなように資本主義社会の一般的な危機のもとで体制の変革を求める大衆の志向をねじまげ、抑圧することによって資本主義の危機を克服しようとする支配層の目的によってもたらされる危険な政治形態を、包含したものである。要するにそれは、資本主義社会における発展した金融資本による反動的で排外主義的な政策に基づく軍事独裁であり、自由と民主主義の全面的な否定である。その思想としてのファシズムは、このような政治形態を支え理由づけるものであってその思想的背景は、反動的・反民主主義的・排外主義・暴力主義的なものであり、政治形態のファシズムを基礎付ける理論的な根拠である。したがって、ファシズムの思想は、自国民を抑圧すると同時に海外侵略を正当化する極端な帝国主義者の軍国主義イデオロギーと成り得たのである。マスメディアが権力の監視役を放棄し、人々が考えることをやめたときにファシズムの暴走が始まるのである。
[参考文献] ヒトラー『わが闘争』平野・他訳、角川文庫、平成23年