「虚仮の一心」

文化情報分野 山田 洋

 陳腐な表現だが、博士論文の筆を擱いた時はまさに感慨無量だった。私がシンガポールの社会を対象とする比較文化論的研究に着手したのは、20世紀末、1998年のことだった。同年、ある大学院に入学し、2000年に博士課程へ進んだが、残念ながら2006年に退学した。職業と学業の両立に限界を感じて、後ろ髪を引かれる思いで研究を断念した。好きな研究に没頭し論文を執筆することにやりがいを感じていただけに、学業から離れた後しばらくは目標を失った空虚感に苛まれた。
 仕事の忙しさや重圧が、そうした虚しさを忘れさせてくれることもあった。今思えば、二足の草鞋を履くことは極めて困難ではあったが、職業か学業のどちらかしかないという状況でなかったのは幸いだったかもしれない。だが、いつかは自分の研究を完成させたいという思いが強かった。ふとしたきっかけで通信制の大学院があることを知り、再び挑戦してみたいと考えるようになった。そして、妻の心配を余所にして受験した結果、2010年、日本大学大学院博士課程への入学を許可された。
 好きな研究を再開できた喜びは大きく、その後約2年半、以前の大学院時代にも増して研究に打ち込んだ。4年間の空白を埋め、新たに論文を執筆するため、使える時間のすべてを研究に費やした。休日は言うに及ばず、睡眠時間を削って出勤前にも執筆するといった日々が続いた。骨身を削る思いではあったが、好きなことに没頭できる幸せを感じていた。妻も温かく見守ってくれたが、私の余裕のない状況が負担を強いていたのだろうと思う。支え続けてくれた妻や家族に心から感謝している。
 指導教授の松岡先生に、常に親身で適切なご指導をいただけたのも、本当に幸せなことだった。深夜でも早朝でもメールにすぐご返信くださり、参考文献や理論に関するご助言を賜った。文化の動態を捉える視点の重要性を再確認できたのも、松岡先生のお陰だった。また、副査の竹野先生には、入学時に「困難だからこそ、やり遂げた時の喜びが大きい」という趣旨のお話を伺い、それを肝に銘じて己に克つことを心がけた。諸先生のご指導に心から感謝しており、この場をお借りして厚く御礼申し上げたい。
 お陰様で、400字詰め原稿用紙に換算して800枚の論文を書き上げ、幸運にも最終試験に合格することができた。ただし、底の浅い論考が多々あったものと、内心忸怩たる思いがある。もとより博士号取得が到達点ではなく、研究者としての出発点なのだと考えている。今後、研究をいかに深め、発展させられるか。思い返せば、15年前に研究に着手した当時、「シンガポールの文化には論じるべきものがあるのか」と懐疑的な声もあった。改めて、シンガポールの社会を対象とする比較文化論的研究の可能性を考えてみたい。
 1965年の独立から半世紀足らずのシンガポールは、言うまでもなくまだ若い国だ。伝統に根ざした文化を誇る日本と比べて、誇るべき文化がないと見る向きも少なくないだろう。だが、植民地期を含めればシンガポールの歩みは約200年に及んでおり、移民起源の多様な人々が異種混淆的・雑種的な社会や文化を作り上げてきた。Straits Chineseという、文化変容の度合いの高い華人の文化は、その典型例と言える。この特徴的華人が主導した国家建設や文化政策を巡る考察が、私の研究テーマである。
 Straits Chineseの指導者は、本質主義的な文化観を有し、文化等の問題に対して固定的・静態的アプローチを採用してきた。そうした文化観やアプローチには議論の余地があるが、その背景には、アイデンティティの曖昧化を危惧し、自他の差異を固定化し強調する意図があったと考えられる。独立後のシンガポールの文化政策には「アジア回帰策」と見られがちなものがあるが、それは本質主義的な「オクシデンタリズム」との関わりで理解され、また、植民地期も視野に入れて通時的に捉えられる。そうした仮説を立て、論考を進めた。
 そして、植民地期に活躍したLim Boon Keng、独立国シンガポールの「国父」Lee Kuan Yewの二人を対照する形で、シンガポールの文化や民族に関する取組を考察した。グローバル化への対応として固有の文化の保持を重視した両者は、華語や儒教を巡って類似した取組を行っている。グローバル化は両義的な対応を招くものであり、ナショナリスティックな動きをも促すとの指摘があるが、LimやLeeの取組にもそうした面が見られる。現代の地球社会における普遍的課題に関して、シンガポールの事例からは貴重な示唆が得られる。
 日本は民族や言語に関しては多様性に乏しいが、経済を始め様々な面で対外的依存度が高まるにつれて、多元的社会への変容を早晩余儀なくされると考えられる。そうした社会のあり方としてシンガポールは独特なモデルを示している。20世紀末頃より中国やインド等から「新移民」の流入が続き、その「国民」化のために「国民統合評議会(National Integration Council: NIC)」が2009年に設立されている。シンガポールでは、文化や民族を巡る取組が今後とも重視されると見て間違いない。
 グローバル化に対応しつつ、国民国家の枠組みも構築途上にある、流動性を持ち変容し続けるシンガポールの社会の態様は、アイデンティティや民族性の可変性を示唆している。2011年、Lee Kuan Yew等の閣僚辞任に伴い同国は新たな局面を迎えたが、新時代の指導層や国民が異種混淆性を意識して複合社会の創出と維持を志向することが期待される。文化を巡る政策の方向性として、国民国家の枠組みを越えた動態的な言語・文化理念である「複言語・複文化主義」が注目され、この理念に基づき研究を深めていきたいと考えている。
 なお、Straits Chineseやシンガポールの言語・文化政策を巡り、総合社会情報研究科紀要その他学会誌に以下のとおり論文を発表させていただいたので、ご高覧を賜れば幸甚です。

 「『ニョニャとババ』―Straits Chineseを巡る比較文化論的考察―」
 (http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf11/11-241-252-Yamada.pdf

 「共通語とナショナル・アイデンティティ―シンガポールの言語政策を巡る考察―」
 (http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf11/11-369-381-Yamada.pdf

 「Lim Boon Keng とLee Kuan Yew―Straits Chinese の言語政策を巡る考察」
 (http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf12/12-041-053-Yamada.pdf

 「シンガポール多元主義の中でのLim Boon Keng再評価―Straits Chineseを巡る比較文化
  論的考察」(http://gscs.jp/c_papers/c_files/magazine2011.pdf

 「「アジア的価値観」の意味論」
 (http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/9466/1/42058_9.pdf

<了>




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