博士論文執筆を振り返って
文化情報分野 山田 敦子
本大学院で、修士課程から博士後期課程までお世話になり、この度「ジョージ・マクドナルドの文学世界」で、博士(総合社会文化)の学位を戴きました。
振り返れば、修士論文提出時、さらに研究を深めようと決意してから、博士論文提出まで8年という歳月が流れました。この間に十分な研究ができたかといえば、依然として入口に佇んでいるという感じは拭えません。では何が変わったかと問えば、自明のこととはいえ、一つの課程の終わりは次のステップの入口に過ぎず、研究に終わりはないということを明確に自覚できたことです。これは、博士論文提出という過程を経たからこその自覚であり、この自覚が次のステップへと自らを押し出す力となっていることを考えれば、苦戦の意義もそこにあったと言えます。そこで、反省も踏まえて、博士論文執筆に必要なことは何であったかを振り返ってみたいと思います。
@不測の事態を覚悟すること
どんなに意欲と覚悟を持って臨んでも、思いもよらぬ事態に見舞われることがあります。そんな事態を受け止めるには、研究レベルにおいても生活レベルにおいても、不測の事態は起きるものだということを事前に充分覚悟しておくことが肝要かと思います。遭遇する困難、苦悶は固有のものであり、自ら乗り越える他ありません。研究とは、単に研究だけの問題ではなく、付随するさまざまな問題を乗り越えた先に見出す一本の細い道であったと改めて感じています。
A学会、ゼミに参加すること
では、その細い一本の道を見失わずに進むにはどうしたらいいかといえば、テクスト研究、資料研究もさることながら、学会などに参加して先達の発表を聴講することではないかと思います。自らの研究を進める過程で聴講する先達の発表は、アプローチの仕方、独自性の出し方、批評の仕方、用語の使い方など大いに参考になり、刺激になります。
日常的には、毎月の面接ゼミ、サイバーゼミに参加して発表を重ねるのが理想的ですが、それが叶わないこともあります。研究は孤独であり、一生懸命やればやるほど遠回りをしてしまいます。その点、三回の中間発表は、方向を軌道修正するよい機会になるかと思います。同時に、遠回りも決して無駄ではなく、無用の用として研究を支えていることを知る機会にもなるかと思います。
B思い切って休むこと
体力、精神力に頼って努力を重ねていると体調不良に陥っていても気付かないことがあります。私の場合、気付いた時には、年齢的にも体調不良は身体の各所に及んでおり、三つの科を受診し、通院を重ね、不調から回復するまでに数ヶ月を要しました。よって、研究への努力、忍耐もさることながら、思い切って休む勇気を持つことも大切なことではないかと思います。
最後に、博士論文を提出して見て初めて分かったことは何かと問われれば、文化情報分野の研究に完全は望めない以上、独自性が認められたら、ともかく形あるものに仕上げて提出することが肝心だということです。不完全ではあっても、形あるものに仕上げるという一歩があればこそ、社会に還元でき、研究が意味をなしてくるのであり、それによって自らも次のステップに立てるのだということを実感しているところです。
末筆になりましたが、指導教員の竹野一雄教授を始め、お世話になったすべての皆様に心より感謝申し上げます。