竹野一雄著『C. S. ルイス 歓びの扉――信仰と想像力の文学世界』
(岩波書店・2012年12月)

博士後期課程 修了 川原 有加

 近年、映画化もされている『ナルニア国年代記物語』(The Chronicles of Narnia, 1950-1956)の作者C. S. ルイス(Clive Staples Lewis, 1898-1963)の研究にとって待望の本が出版された。
 本書における特に興味深い点としては、別世界を舞台としたルイスの「別世界物語」の作品群を網羅している研究書であること、研究者だけでなく幅広い読者層を獲得できる本であること、などが挙げられ、これらは本書の大きな特色とも言える。
 これまでのルイス研究は、彼の多彩な活躍を裏付けるかのようにキリスト教的弁証家としての研究や代表作の一つ『ナルニア国年代記物語』を始めとした物語世界の研究など様々な側面から行われてきた。わが国において『ナルニア国年代記物語』の以外の作品も邦訳されているが、その研究は多くはないのが現状である。しかし、本書のように別世界が物語の舞台となっているルイスの「別世界物語」すべてに等しく光を当て、詳細に検証した研究書は希少である。さらに画期的な研究書でありながらも、研究書という堅苦しさや難解さが前面に出ていない。それは、ルイスの作品を読んだことがない人でも理解できるようにという著者の心配りが随所に見られるからである。最初に、ルイスの略歴、ルイス作品の概要などに触れた後、ほぼ出版順で章立てされた「別世界物語」の検証に移る。そこではまず、各物語の展開や要約が提示され、さらに物語技法や中心的主題などの核心部分に迫っていく。読者はそれぞれに似合った立場で信仰と想像力が織りなすルイスの物語世界からルイスの全体像をとらえていくことができるのである。
 構成に対するこだわりを勘案して、以下、章ごとにその内容と注目点を紹介させていただく。
 プロローグはルイスの略歴、わが国におけるルイス研究やルイスの受容について、英文学におけるルイスの位置について簡潔に記されている。
 第1章はルイスの文学の特質として、ルイスの作品の創作方法や主要テーマ、ルイスの作品の多くの形式に用いられているファンタジーについて、さらに文学や文化活動、芸術家に対するルイスの考察などがまとめている。プロローグと第1章は、第2章以降のルイスの「別世界物語」の導入部分として、読者はルイスに関する適切な情報を得ながら、信仰と想像力が原動力となっているルイスの姿勢を垣間見ることになる。
 第2章から第6章は具体的に作品の検証になるが、各章にはその物語の内容を一言で表わすタイトルが付けられている。
 第2章は『天路逆程』(The Pilgrim’s Regress,1933)である。この章は本書の中でも特に意義のあるものの一つと言えるかもしれない。『天路逆程』は、ルイスがキリスト教に回帰したのち最初に発表した重要な作品であるが、現在、邦訳は出版されていない。さらに哲学やラテン語なども登場するアレゴリー(抽象的なものを具体的なもので表わす)形式の難解な作品であり、多くの人々の前に壁となって立ちはだかってきたのではないだろうか。本書では、『天路逆程』の要約が章ごとに実に丁寧に記され、『天路逆程』がぐっと身近なものとなった。
 第3章はルイスの宇宙三部作と言われる『沈黙の惑星を離れて』(Out of the Silent Planet, 1938)、『ペレランドラ』(Perelandra,1943)、『かの忌まわしき砦』(That Hideous Strength, 1945)である。これらは1938年、1943年、1945年という第二次世界大戦の時代に出版された作品であるが、現代社会が抱える諸問題が浮き彫りとなっており、ルイスの揺るぎない信仰と豊かな想像力がすでにこの域まで達していたかと驚かされる。本書では、一作品ずつ物語の展開を整理するとともに、ルイスが構想した三作品に通底している〈深い天界〉の神話をキリスト教との関連から解読している。
 第4章は『悪魔の手紙』(The Screwtape Letters, 1942)と『天国と地獄の離婚』(The Great Divorce, 1946)である。隠居した老人の悪魔が人間を誘惑する務めに就いた若い悪魔への書簡集『悪魔の手紙』と地獄の住人(亡霊)が天国の郊外にバス旅行に向かう物語『天国と地獄の離婚』。このユニークな展開を有する両作品を同じ章で取り上げていることも他ではあまり見られないことであるが、ルイスの天国観や地獄観、悪魔観など明確にするためには実に有効な試みである。
 第5章は『ナルニア国年代記物語』である。『ナルニア国年代記物語』に関しては、著者はこれまでにも『C. S. ルイスの世界――永遠の知恵と美――』(彩流社、1999年)などにおいて検証を行っているが、本書ではこれまでの研究成果を踏まえつつ、聖書との関連性や物語の特色、主要テーマについてさらなる検証を行うことで『ナルニア国年代記物語』が「ルイスによる福音書」であることをより明確に提示している。さらに『ナルニア国年代記物語』における賛否両論の紹介は、様々な角度から『ナルニア国年代記物語』を見つめ直すことができる。
 第6章は『顔を持つまで』(Till We Have Faces, 1956)である。まず、物語構成、時代、舞台などの物語の背景や物語の要約を整理し、次にプロット構造や物語技法などを確認し、最後にルイスの手紙を検証しながら、物語の中心的主題である愛についての論述へと続く。
 そして、単なるルイスの「別世界物語」の研究書としては終わらない際立ったエピローグが添えられている。エピローグでは、これまでの長い歴史の中で幾度となく問題視されてきたキリスト教と文学との対立の歴史が実に簡潔にまとめられ、第1章でも触れられた文学とキリスト教に対するルイスの立場をここで再確認し、最後に、キリスト教と文学との問題にキリスト教的立場からルイスがいかに取り組んできたかが明示されている。実は、キリスト教と文学との関連性について、第1章で問題提示がされ、第2章以降で具体的に作品に触れながら検証していき、エピローグでその答えが導き出されているのである。
 本書は、今後、C. S. ルイス関連の必読書として位置づけられるのは間違いないであろう。ルイスの作品はもちろんのこと、多種多様な文学世界とキリスト教の世界に精通している著者だからこそ、ルイスの魅力を最大限に引き出すことができ、著者のこれまでの研究成果を本書にぎゅっと凝縮することに成功しているのではないだろうか。ルイスの物語世界の「歓びの扉」の入口への導き手である著者の優しさがあふれている一冊である。



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