エビデンス

人間科学専攻 富田 正恵

私が大学院に入って、はじめてであった言葉です。
最初のゼミの時に、分からない言葉をソッとノートに書きました。
その中でも何やら重要そうで、皆さん知っていて当たり前のようで、
でも、質問しにくい雰囲気の響きでした。
 こんな状態で私の大学院生活は始まりました。
 論文を読むのも書くのもはじめて、でもなんでも知りたがりの私は、眞邉先生の「真面目ならば」の言葉を胸に格闘を始めました。
先輩方から「まだ提出回数の新記録にはとどかないよ」と励まされながらの、リポート提出でした。
 ゼミ、サイバーゼミ、面接ゼミ、スクーリングと学生生活を楽しみました。(今思うとですが)
 自分の研究したいことを見極めて、スローな私も6人のお子さんと出会い、修論作成に向けての活動を始めました。毎週6人のお子さんそれぞれに合わせたプログラムを考え、教材を作る生活でした。実験は土曜日ですが、前日は準備におわれました。この頃には「エビデンス」の意味もわかり、自分の取り組みのエビデンスを考えたり、先行研究を読んだりしました。しかし、実際には迷走したままで自分がどこを目指しているのかも分からない状態でした。本当にM2の夏の浜松ゼミでも、目標が定まらずにいるような状態でした。浜松からの帰りの新幹線で先生が隣に座っていらっしゃるのに何も話せませんでした。
 先輩方・同級生のささえで何とか中間発表に臨むことになりました。当日の明け方までスライド作りと見直しをしました。それなのに行きの東海道線の中で、スライドの変換ミスを見つけて中間発表会場のパソコンを使って修正する騒ぎでした。
 中間発表後は、毎日修論の作成に取り組みました。気がつくと先生のご指導のおかげで、少しずつ出来上がっていきました。「できるところから少しずつ目標に向けて」という応用行動分析学の実践をしているという実感でした。
 暮れも押し迫った頃、職場で立っていられないほどのめまいに襲われました。救急車を呼ぼうかと思うほどでしたが、なんとかタクシーでかかりつけの病院に行きました。医者に「血圧がタカイデスネー。MRIをとりましょう。」と軽く言われました。MRI と聞きビックリして大慌てで夫にSOSの電話をかけて迎えを待つ間、頭の中は「修論」「眞邉先生」の2文字がぐるぐる回っていました。そして先生にもSOSの電話をかけていました。
 こんな大騒ぎを繰り返し、私の奮闘は終わりました。今我が家では普通に「エビデンス」が通用しています。

先生を始め、先輩同期そして後輩の皆さま本当にありがとうございました。とても充実した毎日を送るとができました。



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