遠くで近い大学院

人間科学専攻 氣仙 裕

 3月11日、仙台で被災し、やっとの思いで下北(青森)まで帰った後、地震の影響も残っていた4月7日夜、大きな余震によって職場は停電となってしまった。アパートから職場に行き、徹夜で対応にあたることになった。東北新幹線はまだ不通だったので、東京へは飛行機しか使えない状況の中、9日の開講式のために8日は午前の仕事後、午後は有休をもらい東京へ向かった。しかし、途中の電車も停電の影響で動かず、空港までタクシーで行かざるをえなかった。
 このような大変な時期に、私の大学院生活がはじまり、前途多難となることを予感させるものであった。
 入学後、間もなく、パソコンと教材は送られてきたのだが、仕事の関係で毎月行われるゼミの定例会にはなかなか参加できなかったこともあり、何をどうすればよいのか、わからないまま、時間だけが過ぎてしまった。やっと課題への取り組み方がわかってからは、毎日が教材との闘いだった。開講式の後、先輩からのアドバイスで、1年次に5科目を選択したため、年間20篇のレポート作成は、平均睡眠時間を4時間という、厳しくも無駄のない、有意義な生活を送らせてくれたが、大学院は遠くに感じられた。
 そんな中、やっと参加できたゼミの定例会終了後、ゼミの皆さんとの飲み会の席で、研究の悩みを聞いてくれた先輩にアドバイスとともに発破をかけられ、研究への一歩を踏み出すことができた。これをきっかけに通信制であっても、直接会って話すことの必要性とともに、学びの場である大学院は近くに感じられた。
 2年の夏、軽井沢で行われたゼミの合宿では、先輩や後輩の発表を聞けただけでなく、様々な職業の皆さんといろいろなお話が出来たことはとても勉強になり、楽しい経験であった。
 いよいよ修論作成がはじまった。自分ではわかっていても、他人がわかるように書く事は非常に難しいことをつくづく思い知らされ、指導教授の田中先生が、何度も、何度も根気よく細かいところまで私の論文を直してくださった。仕事でも学生のレポートを直す機会があるので、自分が直していただく立場になると、先生の大変さはよくわかった。
 最終口述試験の当日、下北はまた雪であった。始発の電車で出かけたが、不安が的中し、電車は途中で止まってしまい、指定した新幹線には間に合わなくなってしまった。やはり大学院は遠いと思いながらも、やっとのことで東京へとたどり着き、試験は無事に終わることができた。
 今では、本州の北の果てからはとても遠いが、パソコンでのつながりと先生をはじめ、同期や先輩、後輩の皆さんとのつながりが、大学院を近くに感じることができたと思う。



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