対立と矛盾の弁証法(11)・対立と矛盾

人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司

 対立物の相互関係は、単に対立物の統一的な一体性の契機や相互制約の契機によってのみならず、それは両極の各々の側面からする相互排除の契機によっても、特色づけられるものである。対立物の一体性は、両者の本質的な側面における同一性において表現され、対立物の相互排除は両極の対立項に見られる両者の本質的な側面における相互区別と分極の相手が、反対項である点に示されている。対立の各々の両極は、分極的に相互に対立し合い否定的に相互に関係し合っている。そうした、対立物の両極端は、分極的に相互に対立し合い客観的な各々の側面から否定する関係になるからである。対立物の内在的な否定性は、事物全体の否定を意味するものではない。そのことの意味は、事物に内在する対立物が両極の対立項に見られる相互制約と相互排除との同時的な関係によって、特色付けられているので常に否定性の反対項をなす、肯定と結びついている。だから、こうした対立物は、全体的に排除し合うわけではなく事物の関係する両者の相互排除は同時に別の関係の下では、両者の一致を条件付けている。その際に対立項に見られる肯定と否定は、常に両極の本質的な側面に関わっているのである。

 つまり、両極端の対立項に見られる分極は、本質的な側面において一致した本質的な側面で反対し合っているという関係にある。G・シュティラー(1924―1989)は「ヘーゲルは、各対立側面が同時に肯定的かつ否定的である相手の側面への関係によって内的矛盾を表現することを示して、対立概念と矛盾概念との論理的関係をつくりだした。ヘーゲルが、両対立項間の関係はなにか抽象的同一性を具現するのではなく、それ自体が、対立的本性に基づくものであることを確認したとき、彼は確かに正しかったのである」(1)と述べている。このような両極の対立項は、それらの相互関係の本質に関わるような両極の一致にしてかつ同時に不一致が現存しているという事態のうちに、表現されているのである。もちろん、両極の本質を構成する矛盾は、単に両者の相互関係からではなく両極がその他の諸現象と共に実現する関係から生ずることを、指摘しなくてはならないだろう。だがしかし、「対立物の相互排除は、一方の側面が他方のそれの直接的否定である。と言うことのうちに表現され得る。たとえば化学において吸熱と放熱の両過程は区別される。前者は熱を消費し、後者は熱を発生する」(2)のである。このような事態は、各々の両端の出来事の場合において熱に関して全く反対の事態なのである。

 このような否定は、形式的な否定から次のような仕方で区別される。すなわち、後者の場合には、諸々の事物の現象が二つの或るものに分割されることによってこれらの事物の現象は、或るものを構成する。こうした本質的な現象は、欠如によって特色付けられることを通して相互に規定しあっている。事物の分極的な両側面は、相互否定や相互排除によってだけ関係しているのである。これに対して、対立関係における弁証法的否定の場合には、否定は肯定と不可分に結びついている。各々の両現象は、或る与えられた関係形態によってしっかりと互いに結びついている。こうし分極的な対立項は、両者がこの関係形態の構成的要素である限り本質的に相互に一致している。なるほど両者は、本質的な現象によって相互に区別されるがしかし同時に両者はまた本質的な側面において一致している。こうした弁証法的否定によっては、分極的な対立項の内在的な矛盾は条件付けられ実現されるのである。副次的な関係の場合には、両側面は諸現象のどんな具体的な形態をも構成せず両者はかけ離れた、外的な相互関係のうちにある。

 こうした「対立物の相互排除とは、一般的には対進的なもろもろの過程、傾向、微表が両側面に固有なことであると言うように規定できる。一方の側面の肯定には、他方の側面の否定が対応する。そのためヘーゲルが、肯定的なものと否定的なものとの関係を対立諸関係の根本構造として規定できたことには、なにがしかの正当性があったのである」(3)こうした対立物の両極は、諸過程の対進的な性格について索引と反撥といった諸現象のうちに対立物の相互浸透の関係する顕著な表現を、見出すことができる。事物の内在的な過程性は、両側面のいずれもが一つの過程を表現するところに根拠をおいている。一方の過程の否定は、他方の肯定をまたそれ故に過程的な活動性の定立を運動や変化と発展過程のうちに、定立を表現するのである。過程ではなく状態を具現する対立物の場合には、この対抗的な運動の傾向はつねに相対的で条件的なものであるが、いわば静止へと凝固している。対立物の関係においては、問題となる否定は極めて不均質な性格を持つことがある。諸々の社会的形態における対立物の相互排除の本性は、その具体的・歴史的・本質的な性状によって条件付けられて根底的な区別を、提示するのである。

 そこで、シュティラーは「対立物においては、相互制約が決定的意義を獲得したり、また相互排除が決定的意義を獲得したりするが、これにともなって肯定と否定とはその時々に異なった地位を持つ。対立物のうちそれらの関係が------形に当てはまるようなものとは異なっている」(4)と述べている。たとえば、弁証法的な世界観と宗教的信仰とは、互いに敵対的で非和解的に排除しあっており寿命を終えたものに対する発展的なものとしての抗争が、表現されるところで対立物を形成している。このような科学の発展における総合と分化とは、同様にまた対立物を形成する関係にある。だが両者の相互排除は、生産的で促進的な本性を持っており両者の相互制約と一体性において、発展の条件となるのである。両極の場合には、対立物のあいだには否定的な関係や相互排除が存在するとはいえその否定的な関係は、何時でも異なった性格を持っている。この場合には、対立物の相互制約に対して異なった非一致が決定的であって、否定は絶対的であり対立物の一体性は相対的で一時的なそれも局部的であり、両者の抗争という形で実現される。こうした対立物について両者は、互いに排除しあうと云う関係にある。

 このことは、すでに指摘したような性格ではなく相互排除が相互制約に比較して支配的であると言うことの、端的な表現である。弁証法的な世界観と宗教的な信仰との関係の内にある否定は、敵対的な関係という性格を持っておりその対立物にはどんな場合でも調和的な共同作業も存在せずに、闘争の形で実現され一方の側面の勝利と他方の側面の克服とを持って、終結する相互排除なのである。この場合には、異なった世界観を持つ人々が一定の歴史的な諸条件のもとで、積極的かつ生産的に共同作業をおこなうことができるという事実は、度外視されるのである。この場合には、対立物の関係した相互否定は内容的に異なったものとなる。同じように対立物は、互いに分極的に排除しあっておりしかも両者が発展的な傾向を表現する限りにおいてそうなのである。だが対立物の否定は、対立物の肯定に従属している。つまり、対立物の調和的で優越的な一体性は、存在している科学の発展そのものによって体現されるのである。諸々の対立の内には、それらの普遍的な性質と構造とからして現実の社会構成体においても現れるのである。

 シュティラーは「対立物間の諸関係は、すでに述べたように、実に多種多様でありあり得る。これらの諸関係の最も一般的な形態は、対立物が交互に否定しあうがそのさい直接的な交互作用を構成しはしないというような場合に問題となる。こうした一般的かつ抽象的な在り方における対立物は、それらが根本的に常に相反した諸正常を持つ二つの現象を確定するということによってだけ、特徴付けられる」(5)つまり、対立物の実在的な相互関係の問題は、これまでに吟味され規定されていないのである。もちろん、この現象が対立物として規定されるときには、すでになんらかの性質の客観的な相関関係が前提となっているが極めて間接的である。一般に対立物の交互関係が成立するのは、両者がその作用において或る特定の全体を構成することにある。各々の対立物は、特定の諸現象の内部の諸々の複合体の対極的な現象のうちに傾向としてある。だから、すべての事物の現象は、それらが普遍的なものと個別的なもの・本質と現象・必然的なものと偶然的なものや生成と消滅等の対立を具現している限り、或る分極的な構造を提示するのである。これらの対立物の間には、対立物の交互関係のうちに成立する様々な交互作用が成立する。

 シュティラーは「対立物の間には、あらゆる形態や関係において交互作用が成立する。たとえば、或る事物の現象とは、本質の表現された外的な姿を現すものでそれに引換え生成と消滅との関係においては、互いに相手との対立の状態にある反対し合う諸傾向のダイナミックな自己発展的な、関係が存在する」(6)としている。したがって、諸々の事物の現象の分極的な側面や傾向は、相互に関係なく並列的に存在するのではなく通常の場合で異なるとはいえ何らかの実在的な交互作用が、行われるのである。すべての事物の現象は、それらの生成や発展と消滅という過程においてもまた存在においても対立し合う諸契機によって、規定されるのである。つまり、これらの対立物は、諸現象の本質に関わっており総じて世界が或る分極的な構造をもっていることを示すのである。諸々の事物の現象や現実的な存在と発展は、一定の必然的な関係において実現される対立物の変動に結びつくことは、現実のあらゆる領域において示すことができる。シュティラーは「合成と分解・索引と反撥・作用と反作用は、対立物の協同が事物の運動・変化・発展を保障するような、対立物の最も一般的な諸タイプである」(7)としている。だから、こうした協同は、対立物の一体性という性格を持っているのである。



【引用文献】
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