田部俊充著『アメリカ地理教育成立史研究−モースとグッドリッチ−』(風間書房・2008年9月)
人間科学専攻 教授 北野 秋男
本書は、2007年に日本大学大学院総合社会情報研究科に提出された学位論文「アメリカ合衆国における地理教育の成立過程に関する研究」を加筆・訂正して、2008年9月30日に風闖走[から出版されたものである。本書の内容を簡潔に述べれば、18世紀後半から19世紀前半における米国地理教育の成立過程を明らかにすることを目的とし、当該期の地理書・教科書の執筆者として著名なモース(Morse,Jedidiah 1761-1826)とグッドリッチ(Goodrich, Samuel Griswold 1793-1860)を中心に、その思想、及び地理書・教科書の内容分析を試みたものである。本書の内容の一部は、日本地理教育学会及び地理科学学会の紀要にも掲載され、その研究成果は学界でも高い評価を得ているが、評者から見た本書の学術的意義を挙げれば、以下のようになる。
(1)本書は、これまでのアメリカの地理教育史研究においては未開拓の分野であった18世紀後半から19世紀前半にかけての地理書やコモン・スクール教科書の内容分析を行い、その構成原理や特色を解明した独創的な研究となっている。さらには、本論文において分析対象となった地理書やコモン・スクール教科書は、当該期に刊行された一次史料であり、本研究は著者自らが調査・収集した一次史料に基づく実証的な研究である
(2)本書は、これまでの地理教育史の先行研究では十分に解明されてこなかった歴史的事実が指摘されている。たとえば、筆者はモースが会衆派牧師でありながら、科学としての地理教育を確立するために、歴史的な記述や自然地理・産業地理を重視したという指摘を行い、その背景や要因を当時の世界の地理学の学問状況から分析している点が特筆される。さらには、これまでの先行研究がグッドリッチの著作を歴史教科書として位置づけてきたが、新たに地理教科書執筆者としても評価すべき点や日本の地理教育の成立にも一定の貢献を果たした、という新たな評価も加えられている。
(3)本書は、1990年代以降に見られるアメリカの地理教育復興運動の中で地理教育が再評価されつつある研究動向を紹介しながら、アメリカ独立革命期における「社会科の原型」としての地理教育の形成がなされたという仮説を見事に検証している。これまでの先行研究は、「社会科の原型」は19世紀末であるとする評価が一般的であるが、その原因は、社会科の成立を「歴史教育」という側面から解明してきたためである。しかし、本書では社会科の原型を「地理教育」に見出し、地理教育の成立期に焦点を当てた新たな視点での研究を展開している。
次に、本書の概要を紹介しておきたい。
序章においては、本論文の研究の課題と構成が示されているが、とりわけ、アメリカにおける地理教育復興運動の中で地理教育が再評価されつつある研究動向が紹介され、アメリカ独立革命期における「社会科の原型」としての地理教育の形成がなされたという仮説が提示される。
第1章では、18世紀後半における地理教育の萌芽とその内容が述べられ、建国期のアメリカにおいて、共和主義思想による国家統合と共和国市民の育成という観点から地理教育が着目された点が指摘される。
第2章では、アメリカの地理教育成立に多大な貢献を果たしたモースの地理教育思想、及びコモン・スクール教科書の構成原理や内容的な特色が解明されている。モースが18世紀後半に執筆したコモン・スクール教科書は、当該期のアメリカ地理教科書として名高い『易しい地理』(Geography Made Easy,1790)、『米国万国地理』(American Universal Geography,1793)であり、これをもって、モースは19世紀のアメリカの地理教育成立に多大な影響を与えた人物として、「アメリカ地理学の父」として評価された点を指摘する。
第3章では、モース以降の地理教育の成立期(1820年代〜1850年代)の形成過程を解明することを目的とし、当該期において中心的役割を果たしたグッドリッチの初期の地理教科書である『学校地理の体系』(A System of School Geography,1830)を分析対象としている。さらに、グッドリッチに対する新たな歴史的評価も提示している。
終章では、上記の内容をもとにした本論文の各章の概要、ならびに成果と課題が簡潔に述べられている。また、21世紀の地理教育の役割として、国内外の情報や事情を正確に伝えるべき点が示唆されている。最後に、本書において用いられた多数の一次史料を含めた国内外の参考文献一覧が提示されている。本書は、一次史料に基づく実証的で独創的な研究となっているが、この点こそが高く評価されるべき点でもある。
最後に、本書が刊行されるまでの経緯と研究経歴も簡単に紹介しておきたい。筆者が初めてアメリカの地理教育に関する論文を執筆したのは1989年であり、同年には上越教育大学大学院にも入学されている。修士論文のタイトルは「初等社会科における地図・地球儀指導の日米比較」であった。その後、1995年には上越教育大学に教員として採用され、2002年には日本女子大学人間社会学部教育学科に移っている。日本大学大学院総合社会情報研究科博士課程に入学されたのは、2004年4月であり、その際に評者である北野が指導教員になっている。筆者は大学院博士課程に入学された時には、すでに日本女子大学教授であったが、3年間の特別研究指導、年2回のゼミ合宿は全て皆勤であった。つまりは、本書は約20年に及ぶ筆者の努力の軌跡であり、学問成果の結実でもある。筆者の人柄も誠実そのものであり、学問内容にも人柄が反映されたものとなっている。実は、評者が研究指導した院生の中の学位取得者第1号であり、本書は記憶と記録に残るものであったことを記しておきたい(風間書房、A4版、102頁、4000円+税)。