対立と矛盾の弁証法(9)・対立と相互制約

人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司

 G・シュティラー(1924―1989)は「対立物の実在的関係は、対立物を覆うある全体の基本的な構造的要素であり、それゆえそれの存在からしてもまさにこの全体によって制約され、規定されるのである。------この因果的結合は、一連の中間項によって媒介されている。与えられた対立物の一体性を成就させるものは制約条件の全体的な結合なのである」(7)と述べている。たとえば、生産と消費という社会的な関係は、資本制社会における資本の蓄積と貧困の蓄積との相互制約が相対的な過剰人口とが、絶えず資本の蓄積の発展と均衡させておく法則の作用の結果であることを、指し示すことができる。このような、因果的な結合関係は、一連の中間項によって媒介されているのであってこのことが対立概念を形成する基盤ともなっている。対立を吟味するには、こうした対立物の実在的な関係が対立物と関係する或る全体の基本的で構造的な要素を捉えることが求められる。それ故に、対立物の実在的な関係は、存在からして全体によって制約され規定されるのである。もちろん、この制約条件の結合は、歴史的にも社会的にも相互に制約され相対的なものであり動的で可変的なものである。だから、対立物の内的な連関の考察は、対立物の両極項の基礎にある諸々の合法則性を前提としているのである。

 それ故に「対立物の相互制約は、一方の極の存在が他方の極のそれを前提とするという点にある」(8)われわれ人間は、歴史的にも社会的にも生産と消費という関係から資本が一つの社会関係であると言うことを認識している。資本が生産物や生産手段等を意のままにすることは、それらに対立的な補完物である賃金労働者がいなかったらば資本家は発生しなかったのである。このようなことから資本は、資本制社会における両極端のあいだの相互的で共同的な関係であり、資本家たちの存在は賃金労働者たちの存在が前提条件となっている。こうした相互的な前提は、あらゆる実在的な対立物に本来的なもので本質的な条件でもある。こうした関係は「対立する諸関係とは両極端の諸々の一体性のことであり、したがって両極の相互制約、相互的な前提によって規定されている」(9)のである。対立物が互いに条件付け合うことは、一方が他方なしには存在できないという関係を対立物の統一という事態のうちに把握することである。そのことは、対立物の相互浸透と矛盾という関係を捉えて対立物が互いに排除し抗争し合っているという事態を、認識するのである。生産手段の私的所有が支配的である資本制の社会体制においては、この関系の枠の中での相互補完物として搾取するものと、搾取されるものとの間のこうした関係は現代の貧困と格差社会の現状を見ても、抗争と対立の発生することを意味している。

 こうした「対立物の相互制約は、両極が直接的に現実的な姿をとって対立しあうということによって、いつでも特徴づけられているわけではない。それはまた、一方の極の存在とともに他方の極が可能性からして与えられると言う場合にも成り立つものである。------反対極へ移行する傾向は固有のものであって、対立物の相互制約は両者のそれぞれが他方への転化として実現される」(10)だから、対立物を吟味するには、すべてにおいて両極の対立項が各々の他の方向への具体的な作用が可能性からだけでも、成り立つものである。もちろん、或る仕方においては、実在的な関係が基礎となっている対立物だけが概念的に把握され得るのであって、対立物の相互制約とは単なる論理的な関係ではなくて実在的な関係なのである。したがって、一方の対立項に他方の分極による単に可能的に過ぎない定立は、普遍的に関係する各々の個別的な現象が様々な形態に関係するものである。一般的な対立物の概念的な把握は、両極端の対立する相互の実在的な関係を基礎にして成り立っているのである。こうした対立物の相互制約の一体性は、常に異なった具体的な条件のもとで実現されるものである。分極的な対立物が相互に制約し合うと言うことは、極めて一般的で抽象的な認識なのである。

 シュティーラーは「対立物の関係にとっての尺度は、両者の客観的な交互作用であり対立物の一体性は、両者の実在的な相互制約において実現される。------対立物の相互制約の一体性は、すでに明らかなように、常に異なった具体的諸条件のもとで実現される。分極的対立物が相互に制約し合うという確認は、極めて一般的な、いまだなおはるかに抽象的な認識である」(11)と述べている。このことの意味は、生産と消費の関係において社会関係における経済活動と人々の生活過程の中で、相互に制約しあい統一され一体性を形づくるという事態は一般的に、確認できることである。すべての社会構成体において消費は、生産されることを前提にしており再生産は個別的な消費が生ずる時にだけ可能となる。だが対立物の相互浸透という一体性は、各々の社会構成体の関係における異なった時点ではまったく異なる対立した、性格をもつのである。社会構成体の経済原則は、生産と消費との連関の特殊な現象様式を表現することでの生産の社会的な基準を、表現するのである。そして、その抽象的な認識は、或る程度において対立の根本構造の一つの側面を定義することである。しかし、そのことの確認は、実際に用いられるためには何時でも具体的な対立物の諸関係に関わる具体的な、分析によるのである。

 こうした「諸対立は、つねに、その他者(同一性)を即時的に持っている。この同一性は、対立物が一つの関係の両極端であることによって条件づけられる、本質的な両側面の一致において現われる。------つまりそれは、一体性、相互制約性の内部での排除なのである」(12)だから。われわれ人間は、対立物の実在的な関係のこうした内的な弁証法を我々が生きている社会生活の中で、生産と消費との関係を捉えて分析し検討するのである。われわれは、その対象である事物や事柄を吟味することで対立物の矛盾に満ちた現実的な関係の一般的で哲学的な本性にかかわる一連の契機を、導き出すことになる。だがしかし、同一なる両側面の一体性は、両極の対立項の直接的な二重性と対立物は同一になると同時に区別されたままであるという直接的な二重性を、存続させるのである。換言するなら、こうした事情は、対立物の関係を相互の反照と認識することで否定による対立物の相互規定の特殊な表現として捉えるのである。こうした対立物相互の反照は、生産と消費との関係において生産が同時に消費であり消費が同時に生産であるという特殊な表現を、認識するのである。このような関係は、対立物の間に存在する媒介運動と両極が交互に媒介しあう運動から生じるものである。或る事物の両極の対立項は、実在的に制約し合い生み出し合いながら各々が相互に前提し合う関係を指摘している。

 そのような見方は、交互作用を同等の意味を持つ一対のもので単なる反復的な反応として捉えるのと同じように、表面的なものである。生産と消費の関係においては、生産活動が現実的な端初であり生産があって消費があるという関係で、生産が優越的な契機であるように一切の具体的で実在的な対立関係において、能動的に交互作用しあう関係にある。このことの意味は、生産と消費との関係において消費が二重の仕方でもって生産を生み出すと言う点を把握することである。消費において生産物は、人間の日常的な生活過程のなかで現実的な生産物となり同じように消費は、新たな生産の要求を生み出すと言う関係にある。もちろん、対立物の具体的な同一性においては、対立する両者の地位の同等性としてあるのではなくこれらの関係を誤って理解してはならない。客観的な対立の場合には、常に一方の側面が決定的なものとして登場するがこの関係は諸条件が変化することによって、逆転することもある。このような考察から一般的に明らかになるのは、客観的な認識が対立物の実在的な各々の対立した諸要因の関係が、内的な方向へと複雑で機械的に探求する必要性が発生するのである。

 こうした問題は、生産と消費との関係についての分析と検討されることのうちに取り上げられる。この方法的な原理は、如何なる結果が生じるかを思い知らせてくれるのはこの世のなかでは、万事が絶対的な機械的に決定されていてどんな偶然も存在しないことを、考慮しなければならないのである。シュティラーは「対立物の相互制約、相互浸透は、普遍的意義を有する、一つの客観的に与えられた事態である。その事態を踏まえて弁証法的論理学は、両対立項を硬直的に対置すべきではなく、動的な、相互に浸透し合い、相手のうちへ移行し合うものとして、理解しなければならない」(13)と述べている。こうした問題は、様々な認識においても常に個別的な現象を取り扱うことで、普遍妥当的なものと主張する形而上学的な見解である。このような形而上学に反対することは、対立物の相互浸透と矛盾を捉えることのうちに可動性や流動性を確認することで、弁証法的な方法を把握することである。そのことの意味は、固定的で形而上学的な傾向と流動的な傾向を持った弁証法的なものを区別することである。

 このように、われわれ人間の認識は、哲学の発展のうちに二つの傾向である固定的で不変的なカテゴリーを持った形而上学的な傾向と、可変的で流動的なカテゴリーを持った弁証法的な傾向のものを内的に捉えることで、対立と相互制約のカテゴリーを吟味することにある。そして、形而上学的な思考には、固定した固有な硬直した対立性として前提することには根拠がないことを、明らかにすることである。さらに、両極端の対立項は、いずれもが萌芽の形で各々の相手のうちに含まれていることを証明することにある。われわれは、弁証法的な方法が対立物の統一と一体性を把握することで、弁証法的な思考が概念の全面的な発展と対立物の一体性にいたる屈伸性によって、特徴づけられることを捉えることである。このような弁証法は、如何にして対立物が同一的であることができたかを検討することで、如何なる諸条件の下でそれらは互いに転化し合いながら同一的であるのかを、捉えることにある。われわれ人間の認識は、これら対立と相互浸透の関係を可動的で変化するものとして互いに相手のうちへ転化し合うものと、把握すべきものである。


【引用文献】
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