E.M.フォースター雑感
第4回 土地の霊(3)

博士後期課程満期退学 博士(2010年) 松山 献

はじめに
 今回も前回に引き続いて、〈土地の霊〉をとりあげる.フォースター最後の小説作品である『インドへの道』(A Passage to India,1924)において、〈土地の霊〉はいったいどのように描かれているのだろうか。じっくりと考察していくと、これまで見てきた作品におけるそれとはかなり異なる描かれ方をしていることと、そしてより一層ダイナミックになってきていることとがわかるだろう。

空と大地
 『インドへの道』では、空と大地が大きな役割をもつ。イギリス人居留地とガンジス河岸の町とに唯一共通するものは、両者をともに見下ろす「広大な穹窿」(4-3)である。空は「何者にもまして公平な空」(4-49)と形容されるように、全ての地上の事物を分け隔てなく見下ろしている。空と大地は、次のように描写される。

この空がすべてを決める。気候や季節ばかりか、大地を美しくする時まで。大地だけではほとんど何もできず、せいぜいたよりなげな花を咲かせるくらいのものだ。しかし、空がその気になればチャンドラボアのバザールにも栄光が降りそそいで、地平線から地平線まで一気に祝福されるのである。空にはこれだけのことができる力と広がりがある。力の源は日中その真ん中にすわりこんでいる太陽、広がりの源はどこまでも平坦につづく大地である。この眺めを遮るものは山ひとつなく、いかに遠くまで目を走らせても平たい大地がつづいているばかりで、それもわずかに持ち上がったと思うとまた平らになってしまう。(4-5)

 空と大地の対照が見事に描写される。空は大地よりも遥かに優位に立っている。すべてを決定するのが空であると端的に述べられる。作品の最後に、空がインド人アジズとイギリス人フィールディングの友情を認めないとする描写があるが、これに呼応する。空の絶対的優位と大地の広大無辺さが誇示されるのである。空に力がありそれが巨大であればあるほど、人間の知性が及ぶことのない無限の何か、すなわち〈見えないもの〉の存在を人間の心に想起させる。「空の彼方にはあらゆる空の上にひろがる何かが、こういう空よりもっと公平な何かがあるのではないか。そして、さらにはその彼方にも・・・」(4-49)と語られる。空が全てをあまねく見下ろしているからこそ、人間はどこからも空を見上げることができ、その彼方に存在する偉大な力を発見できるのである。

異様な洞窟
 インドにおいて出来事が起こる場所が洞窟である。空の彼方に存在する沈黙は、大地に位置する洞窟の中に反映される。空の遥か彼方に存在する何かを、洞窟の存在によって地上で垣間見ることができるのである。洞窟内に入った者に聞こえる 反響(echo)によってである。これがマラバー洞窟の〈土地の霊〉である。


インドのボパールの南にあるビンペトカの洞窟(マラバー洞窟のモデルではありません。©photolibrary)





 『インドへの道』は、「マラバー洞窟をべつにすればチャンドラポアの町には目ざましい(extraordinary)ものは何もなく、この洞窟も町から三十キロは離れている」(4-3)という一節から始まる。マラバー洞窟が奇妙なものであることがまず印象づけられるのである。空と大地の絶妙な対比的描写のなかで、「それでも南のほうにだけは土のなかからいくつか握り拳と指が突き出していて、ここでようやく果てしない広がりを遮っている。この握り拳と指こそマラバール丘陵で、そこにはめずらしい(extraordinary)洞窟がたくさん潜んでいるのだ」(4-6)と詳しく説明される。広大無辺な大地を唯一遮るものが「指と拳」なのである。これは作品の中で一貫して用いられるマラバー丘陵を指し示す比喩である。さらに、「周囲の平原や上を飛ぶ鳥たちがしきりに『異様だ!(extraordinary)』と叫ぶ」(4-167)とも語られるように、マラバー洞窟はどこまでも「異様」(extraordinary)と形容される様相なのである。洞窟の形状が奇妙だからだけではなく、洞窟には訪れた人々に人生における変革の危機をもたらす奇妙な反響(echo)が響くからである。
 それは、「聴覚以外の感覚にも侵入してくる精神的沈黙」(4-188)である。洞窟における闇と沈黙がそれである。人間が中に入り込むや否や〈土地の霊〉の作用は頂点に達し、沈黙は反響となって人間に何か啓示に似た作用をするのである。
 『果てしなき旅』で、大地は広大無辺であっても理解可能なものであり、空は大地よりは地上の因習と対置される。『ハワーズ・エンド』で、大地は広大無辺さよりは地上に立つ屋敷の佇まいとして描写される。しかし、『インドへの道』に至ると、大地は理解不能な上に広大無辺ながらも洞窟によって遮られた混沌としたものとなる。作品の冒頭で描かれた空と大地の対照は次第に、空と、空の彼方にある何かと、大地との三者鼎立となっていく。その三者の媒介物が洞窟なのである。

魅力と混沌との錯綜
 マラバー丘陵は、イギリス人居留地から程遠い位置にあるため、多くのイギリス人が遠巻きながらそれを眺め、それぞれに多種多様な影響を受ける。 「夕暮れにはきまってずっと近くに見えたのである」(4-56)と描かれる洞窟は、イギリス人社会にとって近いようで遠い存在である。遠くても常に定位置に存在してイギリス人社会に何らかの作用を及ぼし続けるのである。これがマラバー洞窟に漂う〈土地の霊〉である。マラバー洞窟は遠望すればたいへん魅力的に見える。しかし、近づけば恐ろしい混沌の世界である。居留地からの遠望により多くのイギリス人を魅了するが、近づけば彼らを苦悩のどん底に突き落とすのである。
 自らの結婚問題に決着をつけようとインドを訪問したアデラにとって「丘陵がとつぜん、ほんとうに寂しく見えた。だが彼女の手はそこまではとどかなかった」(4-58)と語られるように、マラバー洞窟の遠望が印象に残る。洞窟への遠足は、彼女が独特の魅力を感じた洞窟に一度行ってみたいと切望することから実行されるのである。しかし、洞窟は遠望とは全く異なる様相と衝撃を訪れる者に与える。洞窟訪問を終えると、「汽車がマラバー丘陵地帯を離れると、この丘陵のささやかながら不気味な小宇宙は消えて、有限でロマンチックな趣のある、遠くから見たマラバー丘陵がこれにとってかわった」(4-217)と描写されるように、洞窟は再び元の姿に戻るのである。
 フォースターの自画像ともいわれる教員フィールディングにとっても、「ちょっと二階のベランダへ出てみたが、するとまっさきに目に入ったのはマラバー丘陵だった。これだけ離れた距離で、それもこの時間に見る丘陵は、ふしぎに美しかった」(4-260)と語られるように、マラバー洞窟の遠望は魅力的なものと映る。フィールディングの心情は次のように語られる。

光はついに消えようとして、彼がじっと見つめていると、マラバー丘陵が自分のほうへ女王のように優雅に近づいてくるように見え、その美しさが空一杯にひろがった。それが消えた瞬間にマラバー丘陵は辺り一面にひろがり、涼しい夜の祝福の訪れと共に星がきらめきはじめると、全宇宙がひとつの丘になった。美しい至高の瞬間である。(4-261)

 フィールディングに〈土地の霊〉が作用する瞬間である。ここに示される宇宙との一体感はムア夫人も感じたものであった。息子の赴任地インドを訪問した、文字通り敬虔なキリスト教徒ムア夫人は、インドの空と大地に接して 「色彩や動きの陰に隠れている力」(4-58)を見抜くことができた。アデラは、インドを「浮き彫りの模様」(4-58)としてしか見ることができなかったが、ムア夫人はインドを「精神」(4-58)として見ることができた。インドの空と大地の深奥に潜む〈土地の霊〉を見抜くことができたのである。

訪れる人を変える洞窟
 「マラバー洞窟がガンと銅鑼を鳴らしたのだった」(4-286)と語られるように、現実的で日常的な課題の解決に辟易していたムア夫人を大きく変革させるのはマラバー洞窟であった。ムア夫人はこれまで自分が信じてきたキリスト教の教義や教会組織、教えられてきた因習や人生訓といったものすべてに疑問をもち、それらが無限の力の前には何の意味もなさないことを悟った。それを悟らせたのがマラバー洞窟だったのである。
 このように、マラバー丘陵あるいは洞窟は、多くの登場人物の心を動揺させたのである。それはインドにおけるイギリス人社会そのものを揺るがせたともいえる。「マラバー洞窟はこの地方の行政府を極度に緊張させた。多くの人生を変え、出世の望みを失わせた。だが、この大陸を分裂させることもなければ、この一地方を混乱させることすらできなかった」(4-325)と語られる。マラバー洞窟は、イギリス人社会に大きな動揺を呼び起こし、登場人物の人生にも大きな変化を与える。
 しかし、それは個人の人生を変えることはあっても、インドの地そのものを根本から揺るがすことにはならない。インドという有史以前からの土地に、イギリス人という新参者が侵入してそれを支配しようと様々な悲喜劇を引き起こすが、それでもなおマラバー洞窟は不変であり永遠なのである。「イギリス人居留地から見てもはっとするマラバー丘陵は、ここまで来れば神々で、それに比べれば大地は幽霊である」(4-183)とまで語られるほど、それは不変不動なのである。
 インドという土地は全生物を分け隔てしない。「インドの生物は、屋内ということがわからないのだ。コウモリにせよ、鼠にせよ、鳥、昆虫、何でもたちまち家の中に巣をつくってしまう」(4-42)と語られるように、インドは元来人間も動物も区別しない非差別的な土地である。しかし、そこに立つ人間に対しては、人間と人間の関係を引き裂くような作用が働く。それは「人びとをそれぞれ別の部屋に入れておこうとするインドの大地の精霊」(4-171)と表現されるほど人間関係の構築を阻止する力として作用する。インドは歩きにくく、歩くとすぐ疲れるという理由を「その土が何か敵意を秘めているのである」(4-18)とされる。これらはいずれも〈土地の霊〉に他ならない。しかし、イタリアやイギリスにおける〈土地の霊〉が人間と人間との関係構築を促すのと違って、インドにおけるそれはそのような関係の構築に阻害要因として作用する。作品の随所に示されるように、インドの地において繰り広げられる敵対的人間模様は、〈土地の霊〉が人間関係を引き裂こうとしているかに見えるほどである。インドの地では人間関係は成就し難く、友情も成立しにくいのである。

宗教を超える洞窟
 マラバー洞窟は有史以前の時間を超えた空間である。宗教は有史以前のものではなく、人間によって作られた時間の中に存在するものである。人間が誕生する以前に宗教は存在しなかったのである。フォースターは宗教がまだ存在しなかった時代に想いを馳せる。土地自体を研究対象とする「地質学」(4-165)は「宗教よりもはるか昔に目を向ける」(4-165)と語られる。マラバー丘陵は、「これよりも遥かに古い」、「世界中のどこよりも古い」、「変化をつづけている」、「沈みかけている」(4-165)と、比較級と現在進行形を用いながらたいへんリズミカルに表現される。宗教以前から存続してこれからもなお続いていく永遠性、宗教を必要としない理想的な極致としてマラバー洞窟は表現されるのである。
 洞窟で起こる反響は説明のできないものである。ムア夫人がマラバー洞窟の中で感じたものは「何か非常に古い、非常に小さいものだったのだ。時間よりも前、空間よりも前のものだったのだ。何か獅子鼻をした、優しさなどとは無縁のものー 死ぬことのない虫そのものだったのだ」(4-287)と表現される。マラバー洞窟は、イギリスに発展した庭園や幾何学的田園都市とは対照的な混沌の象徴であり、知性を超えたものの象徴である。したがって、『果てしなき旅』や『ハワーズ・エンド』で描かれたものとは全く異なる〈土地の霊〉を発するのである。

おわりに
 以上、3回にわたって、フォースターの主要作品のそれぞれに見られる〈土地の霊〉について考えてみた。それぞれに異なる様相を示す〈土地の霊〉であるが、いずれにも共通するのは、それを感知する人間にたいして、人生における一大変革をもたらすという点だ。〈土地の霊〉は一個の人間の変革の要因となるのである。それがどんな変革なのか。それは、作品を読み進めていくうちに、だんだん解けてくる。
 フォースターが生涯や作品のなかでひじょうに大切にしたもののうち、まず〈土地の霊〉をとりあげたわけだが、次回以降はその二つ目として〈象徴的瞬間〉について、これも主要な各作品それぞれについて考えていくことにする。

※ 引用の翻訳文は、すべて『E.M.フォースター著作集』(みすず書房)を使用し、文末に巻数とページ数を記した。



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