「いわきの日々」が意味するもの


 6月のプロジェクト始動から2カ月余り、皆様のご厚意でいわきの子供たちの元に200冊以上の本が届けられた。本だけではなく、玩具や文具、折り紙などの心づくしの品々も。企画した同窓会設立準備委員会を代表し、心よりお礼申し上げる。
 現在、委員会では平成25年3月25日の同窓会設立に向けて、ホームページを構築中なのだが、「いわきの子供たちに本を送る」プロジェクトもテクスト化し、掲載したいと願っている。それは、3.11およびフクシマダイイチをどう理解し、語り伝えていくかということでもあるのだが、研究成果を社会に還元するという総合社会情報研究科の教育目標達成に向けての営みでもある。文化情報専攻の長谷川正江先生ゼミの修了生吉田裕美さんがいわきから情報を発信してくださったことがプロジェクトの起点としてあり、また、子供たちの読書を支援するという活動の性質から、まずは文化情報専攻に集う者が「いわきの子供たち」やフクシマをそれぞれの観点から書き紡いでいくことにする。


松岡 直美
 「いわきの子供たちに本を送る」プロジェクトは、福島第一原子力発電所事故の後、放射能線量が高いために、子供たちが外で遊べない、本を読むことで不安や恐怖に何とか対応していこうとしているようだとの吉田裕美さんからの現地報告を受けて始まった。その後、メールで届く吉田さんの文章や写真からは子供たちの健気で元気な様子が伝わってくるが、同時に事故後の、微妙にずれてしまった非日常的な情景も見えてくる。仮設住宅での避難生活、スーパーマーケットの駐車場でのラジオ体操、毎日変更される通学路、「還暦に近い幹部、結婚を諦めた者など」の有志による通学路の除染、「プールサイドに鉄板を敷詰め、人口タイルをはり、期間中は父兄総出で毎回除染作業」が行われる学校プール、夏祭りのない二度目の夏。
 目に見えない放射性物質から子供たちを守ろうとする吉田さんのような地域の大人たちの頑張りに、報告を読む者は救われ、子供たちの屈託のない表情や言葉に希望さえも感じる。これはひとえに吉田さんのお人柄と心配りによるのだが、それでも、読む者は変わってしまった世界の情景に愕然とし、傍観者であることに深く恥じ入る。
 7月10日の参院予算委員会で、双葉町長と浪江町議会議長が参考人として出席し、改めて政府が米国エネルギー省から提供された放射線分布地図を公表しなかったことに対して憤り、「大勢の町民が受けなくてもよい被ばくをしたことが、被ばくしていない人にどうして分かってもらえるだろうか」と訴えている。(2012年7月11日 福島民友ニュース)分かるためにはどうしたらよいのだろう。
 ヘレン・カルディコットはヒロシマとナガサキの原爆犠牲者や世界各地で繰り返される核実験・原発事故の犠牲者だけでなく、核開発・原発従業員、ウラニウム鉱山労働者ら、すべてがhibakusha [ヒバクシャ]であるとし、放射性物質に汚染された地球環境の危機と脱原子力を強く訴え続けている。小児科医でもあるカルディコットをはじめ、多くの科学者たちは、ここまでは安全という放射線量の「しきい値」はない、被ばく予防の観点からは子供たちの移住が原則だとも主張している。
 一方、日本には幾つかの事情がある。「唯一の被爆国」でありながら、戦後のGHQ占領政策以来、被爆関連情報の検閲と秘匿は徹底されてきた。ABCC(現放射線影響研究所)が広島で黒い雨に打たれた人々1万3千人の聞き取り調査を行いながら、データの公表が66年後の昨年12月であったことは記憶に新しい。次に被爆者に対する差別。井伏鱒二の『黒い雨』など、多くの原爆文学が語る通りである。そして、「被爆国の核アレルギー」を封じ込め、「原子力は未来のエネルギー」として日米が共同で推し進めてきた原発政策。
 いわきを、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、・・・と、次々に局地化してきたように、「わたしたち」から切り離してはならない。いわきの子供たちに本を送り、何とか無事に成長することを見届けていくこと、「わたしたち日本の子供たち」として育てていかなければならないと思う。吉田裕美さんは、5月下旬のメールで「お忙しい事とは存じますが、・・・近況を報告してもいいですか?」と、遠慮がちに尋ねてくださった。「分かる」チャンスを得るために読ませてくださいとこちらからお願いすべきであるのに。吉田さんの近況報告メールを読み続け、レスポンスを返し、語り続けること。それをテクスト化して、より多くの人々と共有していきたいと願っている。


大塚 奈奈絵
 今から2か月程前、私は、自宅にある児童書を前に悩んでいました。この古い本を送ってもいいのだろうかと。
 国立国会図書館の国際子ども図書館のホームページには、「被災地に本を送る活動(全国の支援者への案内)」のコーナーがあり、そこにはこんなふうに書いてあります。
 「本を送る際の注意点ですが、「送る=贈る」と思いましょう。残念ながら、古く痛んだ本が現地に寄せられるという話も耳にします。もし、あなたが逆の立場なら、どう感じるでしょうか。辛い体験をしてそれをこらえる状況にあったとき、届いた箱を開けたら、古本だらけだった、というのはやっぱりいやですよね。」
 「もちろん、必ずしも新品を届ける必要はありません。でも、せめてなるべくきれいな本を選んで、あるいはきれいにして現地に渡しましょう。それが「送る=贈る」ということだと思います。」
 きれいに埃を払っても、やはり、古い本は、色が変わったり、シミが出たりしています。悩んだあげくに、私は本の写真を吉田さんにメールで送ってみました。吉田さんからは「りっぱな本ですよ」というメールをいただきました。「子供達はもっとボロボロの本を読んでいますから」と。このやさしい一言の中に、被災地の計り知れない大変さが透けて見えました。
 気を取り直して、一冊づつ、埃を払い、送り出した本の中に、古い日本児童文学全集がありました。そこに収録された児童文学の中には、若かった私の母が編集に加わった雑誌に初出された作品も入っています。母の昔話によく出てきたその雑誌は、終戦直後の昭和21年4月に創刊された『赤とんぼ』という児童雑誌でした。
 「子供たちの世界をいつも美しい豊かな読み物でいっぱいにしておきたい―それはわれわれの常に抱きつづけて来た強い願望であった。」という文章で始まる『赤とんぼ』巻頭言には、大仏次郎・川端康成・岸田国士・豊島与志雄・野上弥生子という当時の著名な文学者5人が名を連ねていました。「どん底に落ちた日本を美と力に満ちた国に作り上げて行かねばならぬ今の子供たちに、どちらへもかたよらぬ豊かな情操を養い、暖かい心と正しい判断力を持った人間にするように、あらゆる努力を傾倒したいと思っている。」という文学者達の言葉には、次の世代に対する希望と、自らの責任についての自覚とが込められていました。そして、この言葉には、今、被災地の子供たちに本を送ろうとする私達の気持ちに通じるものがあるように思います。
 「子供達は寝る時以外はず〜〜っと店にいます。」という吉田さんの言葉に、原発に日常を奪われた重さをひしひしと感じながら、何もできない自分の無力を噛みしめながら、それでも、私達が送る本が、東北の将来の復興を担う子どもさん達の生活を、少しでも豊かにする手助けになればと願ってやみません。


宮澤 由江
 ある偶然によってこの夏からこのプロジェクトをお手伝いすることになりました。遅ればせながら活動内容のキャッチアップに努めている次第です。活動内容を読ませていただくごとに、当地から300km離れた横浜にいる自分が、如何に「フクシマダイイチ」を傍観者として見ていたのかを痛感しています。
 メディアによる報告は常に政府の対応の悪さや「大きな物語」への不審を訴えてはいましたが、それを受け取る私は「小さな」、あるいは「自分の」物語として受け止めていなかったことをこの報告は気付かせてくれました。
 プロジェクト参加の皆さまから届く報告は感慨深く、また添付されている子ども達の写真はポジティブなエネルギーに満ちています。中央の大人たちがいつまでも過去の事象に対しての責任のなすり合いを繰り広げているうちに、現場の子ども達の眼はすでに未来に向かっています。画像の中の彼らは私の中のペシミスト的な部分を大いに叱ってくれました。「問題はそこなんだよね」と。
 一つひとつの報告がこうしてテクスト化され、発信されることに大きな意味があると思います。一つの小さな発信でも、やがて体系化されることで大きな流れとなるかもしれません。そんな可能性に期待しています。



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