芦澤唯志著『1か月で偏差値20伸ばす芦澤式学習法』(産学社・2012年)

人間科学専攻 准教授 古賀 徹

 著者(芦澤氏)は本大学院修了生であり都内葛飾区で“翼学院”という塾の学院長をつとめている。その翼学院には他塾と違った学習指導メソッドとして“芦澤式”と呼ばれる方法論があり、それを紹介したのが本書ということになる。
書棚に『1か月で偏差値20伸ばす芦澤式学習法』というタイトルを見たとき、何らかのハウトゥ本やノウハウもの、受験対策本を想像されるかもしれない。しかし手にとって読んでみれば、著者が教育実践を積むことで編み出された教育論が展開される硬派な内容となっている。“教育論”とはいっても「○○が正しい」「○○である」といった“理論”を大上段にかざし言い切るような権威的なものではなく、“実践例”として「対話」の事例を紹介することで、読み手側も共感的に理解を深めることができるように構成されている。この“わかりやすさ”や「うん、うん」と共感的に読んでいける文章(内容)をみると、「1か月で偏差値20伸ばす」ということの説得力も感じられる。
 ちなみに「教育」の世界については、商業ベースでタイトルがつけられることも多い。話題になった『「ニート」って言うな!』(本田由紀ほか・2006年)などもそうであろうし(統計資料を活用した問題の指摘が見事な一冊です)、最近では例えば「フィンランド・メソッド」と呼ばれる“思考力を育てる方法論”に関する書籍もかなり多く刊行されている(2005〜2010年)。他にも“オール1先生”、“ヤンキー先生”、“夜回り先生”など教員のキャラクターを示す言葉も目を引くものがつけられやすい。私もこのような教育学界の住人のひとりであるため、本書についても大きな違和感や先入観をもたずに読み進めることができた。
この本の優れた部分は、著者自身の“論理を展開する力”が優れていることと“教育(学習)場面に関する真剣さ”が感じられることだと思う。前者(“論理を展開する力”)については、すでに書いたが共感的に読んでいける構成、何よりも紹介される「ケース」(具体的な対話・授業の展開シーン)がわかりやすいのだ。「芦澤式」の学習指導メソッドは、他で行われている「会話」とは異なる対話中心の方法であり、それは「基本的な知識を定着」あるいは知識を“暗記”ではなく理解・整理させることで「記憶」させる方法であると評価されている。この手法により観察が行われ適切な対応・指導が可能なため、生徒に個別の対応をしていくことができるし、またそれは「子ども達と共に創り上げていく理想的な授業のあり方」(105ページ)となるとされている。そして、それは著者自身の「理解する立場」にたちかえっての実感から修得された方法であり、実践で試行することで研ぎ澄まされ形づくられたものであろう。この“実際のやりとり(事例)”は教育界における先哲「大村はま」にも近いものを感じる。“子どもがどのように反応するのか(どのように感じているのか)”をみとりながら学習活動を構成していくというもので、もちろん「学校教育」でも重要な観点となるものだ。ちなみに著者は子どもたちとのコミュニケーションにおいて「キレイ事」を言ってきかせるより「なぜそのように感じるのか」をきくことを大切にすると書いているが、これも教育現場で求められる実践的なカウンセリングの方法(論理療法)とも通じるものであり、毎日生徒に対面して問題対応・解決に従事する現場の教員にも求められる方法論である。この論理療法は「自尊感情」「自分が変わる」ことを実感できることにより解決するというカウンセリング方法であるから、そこが著者のねらいとも一致・共通することにより類似するのであろう。
 以上に述べてきたように(一部分のみしか示せなかったが)、著者の指摘は“学校教育”でも通じるというか、学校にこそ強く求められるものでもある。それが後者(“教育場面に関する真剣さ”)として感じられるのだ。著者は翼学院を経営面で独立させ、子どもの在籍する学校の授業を必ず見学し、地域社会の様々な組織に参加し連携を図っている。そして「教育者」として、塾にやってくる子ども(家族)に応えるよう“真面目”に考え、行動をしているのだ。塾や教育機関の選び方、家族としての子どもへの対応など、普通はふれない(あえてふれないのか?)部分にも踏み込んで提言をしている。そこに真剣味が感じられる。
 ちなみに私も「学校」現場にいくらか関わっているが、著者と同様の意識をもち、高い指導技術をもって生徒に対応している先生方も多くいることを知っている。そういう意味では「学校教育が不十分だ」と否定する立場ではない(もちろん本書でも全面的に否定されているわけではない)。いわゆる学校以外の選択肢として1980年代以降「オルタナティブ」な教育が主張され、世界的な潮流であることも理解はしている。ただし@公設のもの、A民間にまかせられるものでも「競争」や進路のための選択されるためのものもあれば、Bフリースクールやフリースペースのように“学校に行けない(行かない)子ども”たちのためのものもある。本書の翼学院は、「学校で何ともしてくれない子」「学習困難な児童・生徒」のための塾であり、そこで様々な個性の子どもに個別に対応しながら、「自尊感情」やモチベーションのアップのために適切な学習支援をして成績をあげていくというのがBでもありAの要素も含むという独自性がある。そういう地域なり社会なりの実態のなかで、そういう子どもたちに真剣に向き合うことで、彼らの苦手を克服させていこうと真面目につきそうなかで得られた実感が、この本(教育論)を生んだのではないかと考えている。
実践者の言葉は重い。子どもたちとのユニークで軽妙なやりとりを再現されているが、その背後にある実践者の思いや主張が感じとれる、教育者の想いがつまった骨太な一冊である。



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