良き師と仲間との出会い

人間科学分野 小泉 博明

 たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。(『歎異抄』第二章)

 親鸞にとって叡山の修行では、懊悩する心の安心立命は得られなかったのである。そこで山を下りて、終世の師となる法然と出会ったのである。この師弟関係は信仰に基づくものであり、あまりにも堅固なものであるが、博士論文を作成するに当たり、良き師(指導教授)との出会いとは、まさにこのような運命的なものであるとも言えよう。言うまでもなく、良き師とは学問的な業績と人柄を併せもっていなくてはならない。人柄とは、学問的には厳格であり、人間的には温厚で包容力があり、論文を仕上げるまでサポートをする忍耐力である。ここに、私にとって良き師(小坂國継先生)との出会いがあったことを衷心より感謝申し上げる。
 私のテーマは、かつての修士論文とは別テーマであり、一からの出発であった。本来ならば、修士論文を基礎に、博士論文を仕上げていくのが王道である。論文作成には十分な仕込みが必要である。ここに時間をかけて、資料、参考文献を読み込み、そして論文に必要な文献を精選する時期である。これが揃えば、一気呵成に仕上げることが肝要である。しかし、時間の自己管理を厳密にしなければ、執筆の時間を確保することはできない。これは誰もが直面する最大の課題であろう。繁忙なのは自分だけではない。繁忙を極めることを言い訳にしてはならない。ここが正念場なのである。その後、しばらく醸成する期間や、さらに隠し味も必要である。そして、最後に点検作業となる。私は5年間を費やした。
 次に、研究会やゼミ合宿、研究会終了後の飲み会で、年齢、職業も違う男女が切磋琢磨しながら、論文の完成に向けて、激励し合った仲間との出会いも大きな財産であった。さらに、禅宗では「放下著ほうげじゃく」と言う。すべてを投げだし忘我することも必要であろう。心の余裕がなければ、良いアイデアは浮かんでこない。私のテーマは「精神病医斎藤茂吉の研究」であったので、筆が止まると茂吉の故郷である山形県上山かみのやま金瓶村をはじめ、斎藤茂吉記念館、大石田聴禽書屋、また浅草三筋町、青山脳病院跡地、都立梅ヶ丘病院、都立松沢病院、さらに長崎医学専門学校教授時代の寓居跡、そして茂吉の眠る青山墓地などを巡検した。茂吉の原風景ともいうべき金瓶村で蔵王を、大石田で最上川を眺め、人間茂吉への思索を深めたのであった。
 また、論文の執筆中に父の臨終、母の介護があり、一時的に執筆を停止せねばならぬ状況もあった。予期せぬ事態にも素早い対応がせまられる。博士論文は「足裏の飯粒」に譬えられる。ようやく飯粒を取ることができたのであるが、研究の起点に立ったにすぎない。今後も謙虚で誠実な気持ちを忘れずに、研鑽を積み重ねる所存である。そして、すべてに感謝する。



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