E.M.フォースター雑感
第3回 土地の霊(2)

博士後期課程満期退学 博士(2010年) 松山 献

はじめに
 前回は、主としてイタリアの地で感じる〈土地の霊〉について考えた。今回は、フォースター自身の国である英国に戻って、そこで感じとることのできる〈土地の霊〉について考えてみたい。イングランドを舞台にした『果てしなき旅』(The Longest Journey,1907)と『ハワーズ・エンド』(Howards End,1910)という二つの作品のなかで描写される〈土地の霊〉である。なお、前回の最後に、今号でインドの〈土地の霊〉も考えると書いたが、紙数の関係で次回にゆずることにする。

『果てしなき旅』における〈土地の霊〉
 イングランドには、高い山はなく、ほぼ一面が丘陵地帯である。見渡す限り広大な丘陵地帯では、大地そのものを感じることができる。大地は自然の代表格である。大地は神の創造物であり、人間が生活を営む現実世界でもある。『果てしなき旅』において、主人公リッキーの乗った汽車がウィルトシャー地方に近づく風景は、次のように描かれる。

田野がなめらかで柔らかくなってきているのを、リッキーは見てとった。森は姿を消し、淡い青色の空の下で、大地の輪郭は流れるように続き、溶け込み、少し高くなってブナの木の冠をつけ、ちょっと分かれて緑の谷を見せていた。谷には、何軒かの田舎家が楡の木々の下や半透明の川のほとりに立っていた。とうとうウィルトシャーに着いたのだ。(1-424)

 何でもない描写のようだが、空と大地の対比が見事に描かれる。大地は常に空の下にある。緑溢れる谷間、木々、川など〈土地の霊〉を醸し出す要素が次々に示される。フォースターらしい見事な風景描写であり、〈土地の霊〉の作用を予感させる典型的な風景描写である。他の箇所では、空と大地について「空それ自体はこの上なく薄い青色で、大地に近づくあたりは白色に薄まっていた」(1-30)と描かれ、空と大地の対比が青と白の色彩的対照として生き生きと表現される。また「大地は褐色で、しめつぽく、かぐわしい香を放ち、朽ち果てていくという毎年の務めを大空のもとで果たしていた」 (1-30)と描かれる。空があって大地は生きることができる。空がなければ大地は生きることができない。空と大地は、雲を通じて互いに双方向の作用をしあう。雲は雨となって大地に水をもたらす。逆に大地から水蒸気が上昇して雲を作る。
 イングランドという大地のもつ最大の特徴は、白亜である。ブリテン島はかつて、ラテン語の白いという意味を語源にもつアルビオン(Albion)という名で呼ばれた。石灰質の地層が、島全体を白く仕上げたのである。その白亜の大地の様子は、次のように描かれる。

このさまざまな色彩の下に、不屈の白亜がひそんでいた。それで、土壌が乏しい場所では、白亜がきまって顔をのぞかせていたのだ。草の生い茂った道はマツムシソウやエムグラの草花で色とりどりの鮮やかさだったが、わだちの底部は真っ白だった。遠くの丘陵の側面には、オリュンポス山の聴衆に向けて刻まれた目の眩むような円形劇場が輝いていた。そして大地は、地表の作物がなんであろうと、あちこちで小さな土手、小さな溝、小さな塚に分岐していた。神々を慰安するドラマに不足はなかった。

 白亜の連続した描写に加えて、「神々を慰安するドラマに不足はなかった」という表現に、いかにも霊気が漂う雰囲気が見事に描写されている。それが〈土地の霊〉なのである。そして、その白亜は具体的な地名を示しながら、さらに詳しく、次のように描かれる。

白亜が埃を白っぽくし、澄んだ水を生み出し、きれいな、なだらかに起伏した土地の外形線を描き出し、草や遠くの鼻かんむりのような木々を目立たせていた。この地イギリスの中心部だ。チルターン丘陵、北部丘陵と南部丘陵がここから放射状に広がっている。イギリスを貫くいくつかの線はウィルトシャーで結合しているのだ。だから、イギリスを崇める気があるなら、この地に国のやしろを建立すべきなのである。(1-203)

 『果てしなき旅』の大きな舞台になるウィルトシャーには、かつて栄えたオールド・セーラムの街跡、今現在の中心地である大聖堂で有名なソールズベリー、そして奇怪な遺跡ストーンヘンジがある。もう、その丘陵地帯全体に〈土地の霊〉が漂流しているかのような描写である。オールド・セーラムは古代人の住んだ信仰の街であり、「その頃の人々は人生の危機をストーンヘンジで見出していたのだ」(1-395)と語られるように、ストーンヘンジは古代の人々にとって信仰の対象であった。


空と大地とストーンヘンジ(©photolibrary、転載厳禁)

 まさに、ストーンヘンジは、古代信仰の象徴であるとともに、そのゆえに今なお〈土地の霊〉を醸成するおおもとのように思われる。
 ところで、『果てしなき旅』において、何か重要な出来事が生起する場所に、冒頭の引用にも出てきた谷(valley)がある。マディングリーという場所の手前に「一面に草が敷きつめ、もみの木が生い茂る、ひっそりとした峡谷」(1-29)がある。主人公リッキーにとって、その空間に身を置くときは「束の間の神聖な時間」(1-29)であった。彼にとって、この谷は 「教会の一種」(1-29)とされる。この谷の奥底には「峡谷内部に宿る霊」(1-29)が隠されているのである。いわば〈土地の霊〉の発生源である。そこは、リッキーにとって特別な意味をもつ「自分の神聖な場所」(1-29)であったから、彼はこの谷間で自らの生育歴を訥々と友人たちに吐露することができたのである。後に、リッキーがアグネス(リッキーの妻)と触れ合う場所もこの谷間である。リッキーと呼ぶ声をめぐって「アグネスが谷あいから呼んでいた」(1-115)、「1羽の鳥が谷あいから呼びかけた」(1-116)、「鳥が1羽、谷あいに舞い降りた」(1-116)と、谷であることが強調される。谷あい(dell)は草木に覆われた谷であるから〈土地の霊〉が作用しやすい。
 リッキーにとって谷間は、「あまりに美しい谷あいなのである。彼がこれまで読んだものすべて、望んできたものすべて、愛してきたものすべてが、その谷あいのうっとりするような大気のなかでわなないているように思われた」(1-114)と感動的に語られる。谷は人生の全てを体現するものであった。さらに谷は人を回心へと導く。谷は人間存在の卑小さを実感させるからである。リッキーがこの谷あいに佇んだときの実感は「自分がひどく小さな存在だと感じたーひどく小さく、かつ、とても重要な存在だと」と描写される。自らを卑小な存在と感じさせるのは、人間が自己を変革させる出発点である。この谷が教会に例えられたのも、そのためである。
 このように、〈土地の霊〉は、そこに立つ人間にさまざまな影響を与えるのである。


『ハワーズ・エンド』における〈土地の霊〉
 〈土地の霊〉が作用するのは、『果てしなき旅』では広大な大地という場所であったのに対して、『ハワーズ・エンド』では静かに佇む民家を中心とした場所である。ハワーズ・エンドとは家の名前であるが、そのハワーズ・エンド邸に〈土地の霊〉が働くのは、建物だけでなく、それを構成している全体的な佇まいからである。佇まいを構成しているのは、木と家と丘である。
 ウィルコックス家のヘンリーの妻ルースにとってハワーズ・エンド邸は魂そのものであった。それは 「生涯の情熱はただ一つのこと-自分の屋敷-にしかないのだ」(3-132)と語られる、「神聖なうちにももっとも神聖な場所」(1-132)であった。ある昼食会で会話に消極的であったルースは、家の話題になると熱く反応する。シュレーゲル家の長女マーガレットが「家はただ煉瓦とモルタルだけで立っているのではありませんもの」(3-119)と語ると、「でもそれなしでは立っていられませんよ」(3-119)と即座に答えるのである。ウィッカム・プレイスという場所にあるシュレーゲル家宅の契約更新が難航している話題についても、ルースは家に対する執着をご自分のお家、お父様のお家と別れなくてはいけないなんてー許せないことですわ。死ぬよりひどいことですわ」(3-128)と熱く語る。家は単なる居住スペースではない。人間は自分が生まれた家で成長して死を迎えるべきなのである。家は過去から連続した何かが存在する場所なのである。


ハワーズ・エンド邸のモデルとなったルークス・ネストと呼ばれる家と屋敷(©Ken Matsuyama、転載厳禁)

 『ハワーズ・エンド』では、建物だけが大切なのではなく建物もその他の事物も人間も含めた全体の佇まいが大切なのだと強調される。建物だけであれば単なる目に見えるものにすぎないが、建物も含む全体的な佇まいとなることによって、その奥に潜む何か見えないものが示されるというわけである。ルースによって家の佇まいのもつ人生に対する影響力を学んだマーガレットは、場所が個人的人間関係に大きな力を与えることを確信する。そのゆえに、ウィッカム・プレイスの家について、語り手は「この家はこれまで彼らの生活の釣合いの要ともなり、いや相談相手になっていた」(3-234)と語り得たし、マーガレットは「家というのは生き物でしょう?」(3-242)と家の本質を言い得たのである。彼女は、家というものに何か見えないものを感じるようになる。彼女は、ハワーズ・エンド邸によって家の持つ力と神聖さを直接的に体感したからである。ハワーズ・エンド邸との出会いが彼女を大きく変えたのである。マーガレットとは異なる立場のヘレンも「この家は人が住んでいなくても、私たちよりずっと確実に生きている」(3-477)と語る。実利主義的なヘンリーですら、「家というものは一度住むと一種の神聖なものになる」(3-303)と、家のもつ神聖さを主張する。家には何物にも代え難い何か神聖なものが潜んでいるのである。そして、家というものは単なる居住のためだけの場所ではなく、住む人間の思想や姿勢を体現する場所なのである。
 ハワーズ・エンド邸の西側にある大きな楡の木は、その先に広がる丘とハワーズ・エンド邸とを結ぶ役割を果たすとともに、訪れる人々をいつも見守るという役割も果たす。楡の木は冒頭にあげられたヘレン(マーガレットの妹)の手紙に「庭と牧場の境に、とても大きな楡の木が、屋根の上にちょっとかぶさりぎみに立っているの。私もこの木がとても気に入ってしまったわ」(3-2)と感動的に記される。楡の木がハワーズ・エンド邸の中心的存在であることが最初に暗示されるのである。ハワーズ・エンド邸の楡の木の幹には豚の歯が何本か挿してあり、その木の皮をかむと歯痛が治るという伝承があったという。ハワーズ・エンド邸を長く知る実業家ヘンリーはそうしたことに全く関心がなかったからその伝承を知らなかった。しかし、その豚の歯が楡の木の外側から見えにくくなっていたにもかかわらず、ヘンリーに姿を見せる。その時、彼は思わず「こりゃ驚いた!」(3-324)と叫ぶ。迷信に全く関心のない実利主義者ヘンリーが、楡の木に伝わる伝承に感動的な叫び声をあげるのである。ヘンリーですらハワーズ・エンド邸の〈土地の霊〉の作用を受けて、何か見えないものを感知しつつあったのである。
 ところで、『果てしなき旅』においては、ウィルトシャーの丘陵地帯には、古代戦士の野営地で彼らの骨が埋葬されている場所や、中央に大きな木が生えている円環遺跡などが描かれている。『ハワーズ・エンド』においても、ハワーズ・エンド邸の西側に、古代の戦士たちが眠る古墳がある。あたかも死者が現実世界を見守っているかのように、そこに存在しているのである。マーガレットがハワーズ・エンド邸を初めて訪れた時に、まず目にしたのが これら美しい丘の風景であった。マーガレットはヘンリーとの会話中、その美しい丘の光景を見るために立ち上がる。ヘンリーの言葉にあきれ果てると「ヘンリーの向こうに見える新緑でいっぱいの六つの古墳を眺めた」(3-483)と、丘を眺める。そして今度は、ヘンリーとの会話が行き詰まると 「ちょっとのあいだ彼女は立ったまま六つの古墳、春の色をして乳房のようにふくれた戦士の墓を見つめていた・・・」(3-492)と、丘を眺める。行き詰まった時に、丘を眺めると何かが開けてくるのである。丘という目に見えるものを通して何か見えないものが見えてくるからである。息子の過失致死罪という衝撃的事実を耳にすると「マーガレットは指を草の中に突っ込んだ。足許の古墳が生きているみたいに動いた」(3-533)と語られる。大地に指を突き差したら丘が動いたというのである。マーガレットが〈土地の霊〉を直接感知する瞬間である。
 このように、ハワーズ・エンド邸の家と木と丘が織り成す全体的な佇まいは、〈土地の霊〉を醸し出すことによって、その地を踏む人びとに大きな霊的影響を及ぼすのである。

おわりに
 以上が、『果てしなき旅』と『ハワーズ・エンド』という二つの作品のなかに描出される〈土地の霊〉である。これは、それぞれの作品の中でも、あくまでほんの一例であって、作品の随所随所に〈土地の霊〉が描かれていることは言うまでもない。次回は、ところ変わって、遠くインドの地における〈土地の霊〉を考えてみたい。

※ 引用の翻訳文は、すべて『E.M.フォースター著作集』(みすず書房)を使用し、文末に巻数とページ数を記した。

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