場所や空間への執着
フォースターの小説を読んでいると、その土地土地の場所や空間へのこだわりを感じとることができる。たとえば、短編小説「コロノスからの道」において、水の滴る大木を発見したルカスは「この場所をおれのものにしてやる。入り込んでやる」(5-151)と熱狂的に語る。ギリシアの〈土地の霊〉が強く作用して、ルカスは場所に徹底的に執着するのである。『果てしなき旅』で、主人公のリッキーは「家の内部に関して極度に鋭敏で、それをそこの住人たちの意識的かつ無意識的なさまざまな思想を表現する有機体と見なしていた。リッキーは場所に関しても同様に鋭敏だった。彼はケンブリッジをソーストンと、またこの二つを第三のタイプの生活とよく比較したのだが、後者は、ほかによい名称がないので、ウィルトシャーという名前で呼んでいた」(1-249)と語られる。リッキーは生活を場所によって分けて考えていたのである。リッキーの人生にとって場所が精神的に大きな位置を占めていたことを物語る。
直接〈土地の霊〉という表現を用いていないが、『ハワーズ・エンド』で、マーガレットは大都会ロンドンからの自動車の中で失ってしまった「空間の感覚」(the sense of space) (3-321〜322)を回復する。ロンドンに向かうと再びそれを失うのだが、戻ってからハワーズ・エンド邸を想起することでまたその感覚を回復する。この感覚も〈土地の霊〉であり、自然が十分に残されたハワーズ・エンド邸には存在しても、都会化したロンドンには消滅してしまった霊である。『果てしなき旅』において語られる、ウィルトシャーに漂う「無限なる空間の感覚」(a sense of infinite space)(1-177)も、〈土地の霊〉を表現している。これらはすべて場所や空間が〈土地の霊〉なのである。空間の感覚という言葉は、〈土地の霊〉をうまく表現している言葉だといえる。