ただひとつのことを主張する難しさ

文化情報分野 松山 献

 私は昨年11月、「E.M.フォースターとアングリカニズムの精神」というタイトルの論文で、博士(総合社会文化)号をいただいた。今回、その奮闘記を書かせていただくことになったが、奮闘には内容面と生活面の二種類ある。生活面での奮闘は、字数が足りないほどあり過ぎるために割愛させていただいて、内容面での奮闘にしぼって書かせていただく。私が博士論文で主張したかったのは、E.M.フォースターという英国人作家はキリスト教を捨てたにもかかわらず、その精神的基盤が実は英国教会の考え方そのものであったという、逆説的な一点であった。たったひとつ、このことを言いたかったのであるが、そのためにあれほど悪戦苦闘するとは・・・というのが、今思う実感である。内容面の奮闘というよりは、執筆過程における精神的葛藤という方がふさわしいかもしれないが、思い返すことを三点書かせていただく。

(1)完璧をめざしてきた・・・しかし、最後には完璧を断念!
 博士論文はどこまでも完璧を目ざすべきである。と豪語したいところだが、完璧は不可能だという点を知ることが大切である。要は、完璧をめざすという気持ちだけは捨ててはいけないということである。博士論文は、それ単独で出版するに耐えうる内容でなければならない。とすれば、完璧を期すことが大切である。しかし、これはあくまで気概の問題であり、執筆当初の心意気の問題であり、進めるうちにこれは不可能だという思いに到達せざるを得なくなる。私の場合、完璧を期すためには、研究対象であるE.M.フォースターという作家が生きた時代の政治的経済的文化的背景を熟知しなければならない。そして、彼が読んだと考えられる作品は熟読し、彼が聞いた音楽や絵画も、彼が住んだ場所はもちろんのこと彼が旅した場所も、実際に見聞しておかなければならない。いわば彼の「追体験」をしなければならないのである。さらには、論文である以上、先行研究にもすべて目を通しておかなければならない。外国語文献、日本語文献、そして著作も論文もである。こういったことは果たしてどこまでできるのだろうか。答えは、100%は不可能だということである。大切なことは、無理とわかっていてもどこまでも完璧をめざす心だけは失ってはならないということだろう。完璧でないとわかっていることは、何が不足していて何が今後の課題であるかを、きっちり把握しているということであるからだ。博士号を取得された多くの方がすでに同じことをおっしゃっているが、博士論文といえども、終わりではなく出発だということである。私が葛藤を繰り返しながらも、どうにかこうにか論文提出を決意できたのは、この思いからである。

(2)寄り道をしすぎた・・・しかし、最後には必ず帰宅!
 研究・論文執筆には寄り道がつきものである。寄り道は悪のように思われやすいが、決して無駄なことではなく、むしろ大切なことである。ただし、これも前半戦でのこと。いつまでも寄り道を続けていたのでは博士論文は完成しない。どこかでやはり本道に戻らなければならない。できるだけ早いほうがいいのかも知れない。あることを発見すれば、それに関連することを追究したくなる。それは芋づる式に出てくるものである。本道をそれすぎない限り、寄り道は大切である。そこから新しい発想や関連性、時には重要な真理を発見するからである。そして、時には寄り道のほうが面白くて、そちらのほうに没頭してしまうこともある。本道に関連する限りそれも大切なことだが、限られた時間のなかで、それでは論文がいつまでたっても完成しない。どこかで戻って、また書き進めなければならないのである。私は、何度も何度も寄り道をしてしまったし、あまりにも遠くまで寄り道をしてしまったこともある。しかし、最後には何とか帰還することができて、論文を完成することができたのである。

(3)細部は気にせず執筆・・・しかし、最後にはきっちり推敲!
 論文というものは、いろいろ考えるより先にどんどん書き進めていくことが肝要である。細部を気にしていてはなかなか筆が進まないし、ひとつひとつ完成させてから次に進むという方法は、結局遅々として進まなくなる。ただ、細部を気にせず書き進めると、あとで構成がずれていたり、重複があったりと不都合が生じる。したがって、一段落のついたどこかの段階で、あるいは最終段階での推敲が必要である。誤植や文体の不統一はもちろんのことであるが、本文自体に不備がないかしっかりと点検する必要がある。私の場合、第一に重複になっている部分が多すぎたこと、第二に十分な根拠づけを示していないのに断定的に論じてしまっている部分が何箇所かあったこと、第三により一層詳しい説明が必要な部分があったこと、である。第一の重複部分は一部を削除するなり、いずれかの表現を大幅に変更するなりして策を施した。第二の根拠不十分な部分は、すぐに補足できるものは加筆し、それができないものは思い切ってその論自体を削除し、自分の次の課題とした。第三の詳細説明を要する部分は脚注を追加するか本文中で追加して補完した。そうすることで、どうにかこうにか提出できる論文を仕上げることができたのである。
 以上が、私の博士論文提出に至る内容面での奮闘である。最後に、多大なるご指導をいただいた先生方、たくさんのアドバイスをいただいた先輩、学友の皆さん、生活面で協力と応援をしてくれた家族に、感謝の気持ちで一杯であることを記して、稿を閉じることにする。


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