ライフワークの実現をめざして

国際情報分野 竹田 勇吉

 私は1942年生まれである。太平洋戦争の間に生まれた戦中派だと自称してきたが、最近では、戦争といってもどの戦争ですかと問われることがある。それだけ齢を重ねたことになる。とわいえ、小学校教育は教育勅語を規範とした戦前の教育を受けたわけではない。新たに制定された教育基本法のもとで教えを受けている。つまり、太平洋戦争は侵略戦争であり、間違っていたと教えられていた。ところが後年、太平洋戦争を決定した最高指導者たちが、全員、戦争を惹起することを欲していなかったし、戦争責任もない、と証言している事を知る。やる気もないのに、なぜ指導者たちは間違った戦争を引き起したのか、この矛盾した意思決定は何なのだと、心に留めざるを得ない疑問となった。
 戦後60年以上過ぎ、私もリタイアーする年齢になった。しかし、未だ太平洋戦争は総括されていない。この疑問をどうしても解きたい。くわえて意思決定過程を解明することは、開戦か否かの決定過程も明らかにするはずである。つまり戦争を防ぐ手立てを示してくれるかもしれない。これは次世代にとっても意味があると、考えるようになっていた。そして大胆にも私のライフワークにしようと決めた。先行研究を知らないが故の怖いもの知らずの状態で、案外簡単に決めてしまった。以上が博士論文テーマ決定のいきさつである。
・博士論文への第一ポイントは、自分にとって最も大事な課題をテーマにすることである。なんとしてでも解決しようと思っているから、研究での苦境に耐えられるのである。

 つぎに研究手法であるが、太平洋戦争開戦の原因に関しては、種々の視角から多くの先行研究がなされている。太平洋戦争の総括がされていないことでも明らかなように、いくつかの異なった見解が述べられている。ここに割り込むためには説得力のある研究が必要と考えた。そして科学的アプローチの採用を決めた。当初、統計的手法も試みたが、為政者の意思決定過程の解明には、認知科学が最適と判断した。確かに認知科学によるアプローチは、近年のものであり、体系だった視角をもつ段階ではなかった。しかし認知科学の手法は意思決定過程を科学的に、的確に、表すことができると思って採用を決めた。実際、歴史学会誌へ投稿した際、認知科学を評価する人がいないという理由で不採用になったりもした。それでも採用することに決めたのは、科学的アプローチにはなんといってもオリジナリティに富む、新たな手法が必要と考えたからである。一般的に、歴史の研究手法には、新たな資料を発見し、行動・事件を説明する方策か、あるいは既知の資料を新たな手法によって、行動・事件を再評価する方策がある。科学的なアプローチで、しかもオリジナリティに富む新たな手法は、新たな知見を見出すことになった
・博士論文への第二ポイントはオリジナリティに富む新たな研究手法に挑戦することである。新しい知見と思いもかけない展開が期待できる。

 さて博士論文の完成までの道のりだが、私は工学部出身である。政治的・社会的課題を取り扱っていることは頭で理解しているのだが、いつのまにか数式・数字で表して証明しなければという自分がいた。それでもなんとか論文をまとめることができたのは、指導教官の先生のおかげである。論文の書き方を丁寧に教えていただいた。現役時代に稟議書はかなり多く手がけたつもりだが、簡潔のみ優先していたのかもしれない。指導教官の先生だけでなく、その他の大学院の先生方にも紀要、論文ではお世話になった。英文アブストラクトの指導など、先生方の教えがなければ到底博士論文に行き着くことはなかった。改めて感謝申し上げたい。先生方の指導がなければ博士論文は完成していない。
・これが第三のポイントである。

 奮戦記のまとめにかわって、今後の研究方向を述べてみたい。先ごろ政府は、「社会保障と税の一体改革」案を提出した。また広井良典氏は「人生前半の社会保障の強化」、加藤陽子氏は「若年層びいきの政治」、そして江上剛氏は小説ではあるが、「爺捨山騒動記」というように、若い人が主役となるような社会、そのような社会への変革を唱える人が多くなってきた。大いに賛成である。私のライフワークも、意思決定過程の解明にくわえ、次世代の研究者が大いに活用できるような認知科学の手法の確立としたい。そのためには、認知科学の手法が体系だった視角をもてるよう、その一助となれるよう、さらに研究を進めていきたいと考えている。

 奮戦記の筆を置くにあたって、以上のような研究過程を語ることができるのも、指導教官の先生方や大学院の先生方のご指導の賜物である。さらに大学院事務課の方からも貴重なアドバイスをいただいた。本当に感謝申し上げたい。ありがとうございました。


総合社会情報研究科ホームページへ 電子マガジンTOPへ