古い学問と新しい学問

国際情報分野 青山 周

(「支那学」)
 冒頭から私事にて恐縮ながら、筆者の亡父は京都大学「支那学」を支えた一人狩野直喜の薫陶を受けた、我が国最後の漢詩人・阿藤大簡の門下「藤門」の一人である。
 戦時色が深まる中、若き一高生らは阿藤先生の語る唐詩選に心を奪われた。英語、フランス語、ドイツ語が外国語として幅をきかしていた当時の高等教育の風潮の中、中国文学のすばらしさと文学そのものの崇高さへの「覚醒」がその後各界で活躍する藤門の学生の一つの原点となったと言っていいだろう。阿藤先生の話は、昭和40年4月4日4時44分に阿藤先生が亡くなられたあと、亡父から教わった。
 日本と中国との交流の歴史は古い。長い交流の中で、日本は中国から文化、学問、宗教、文学など自らの発展にとって必要なものを吸収した。その結果、日本には中国の中核的価値を理解する力が脈々と流れている。こうした日本の歴史伝統を「支那学」は受け継いでいるのである。
 「支那学」は今の学問からすればたしかに古い学問の範疇に入るかもしれないが、中国に対する卓抜した研究水準の高さは我が国中国研究の輝かしい軌跡であり、今の中国研究の基礎をなしていると言って過言ではない。
 象牙の塔でない市井にありながら、「支那学」なしに今日の筆者はない。かかる意味において筆者も藤門の一人であり、「支那学」の系統に属する研究者である。
 2000年の交流を基礎にして「中国」をいかに理解していくかが筆者としての40年来の研究テーマであり、博士課程における研究もこのような伝統によって通貫されていたと認識している。

(「国際環境学」)
 オリジナリティを求める研究であるならば、その行き着くところは新しい学問分野の創造である。
 筆者の「支那学」は実践躬行の学問を目指したところから、21世紀の日中関係をいかに改善し、強化していくかを探求してきた。現在の学問には専門分野の追求が不可欠であるため、何を以て日中関係を改善し強化できるかについて、天安門事件以降、その分野が何であるかを考え続けてきた。
 日中両国が関係を強化することで、周辺地域に危惧を与えるのでは意味がない。第3国にとって、さらには世界に貢献できる分野は何だろうか。こうした思考を深め、突き詰めた結果が「環境」であった。早速、職場で自ら志願して4年間にわたり環境関係の実務に従事し、政府、企業、市場における「環境」の問題について身を以て体験した。
 中国の環境問題を政策から理解し、これを日本の政府や企業における行動に結びつけるために、一つの「空間」概念を提唱したのは以上のような背景があってのことである。もとより、中国の環境問題を専門とする研究者は多い。しかし、「環境」と「経済」を切り口として日中関係を考えようという研究者は一部の中国人研究者を除くと、極めて少ない。これが現状の学界に対する筆者の認識である。
 内外の研究者との交流などを通じて培われた問題意識には大きなものがあった。その一つが、伝統的な学問領域である政治学、経済学には「国際政治学」「国際経済学」というものがあるのに、環境分野には「国際環境学」という領域が未だ確立していると言い難いことである。
 地球は一つであり、環境問題には時として人為的に策定された国境は無意味である。中国をテーマとしつつ、中国の存在が地球規模になっている今日、国際的な視点からの環境学というものを日本から発信することができないものであろうか。これが博士論文執筆における問題意識であった。
 故きを温ねて新しきを知る。これこそが学問の醍醐味であり、研究のダイナミズムだ。知的分野における創造的破壊と発信がなければ、世界は変えられない。
 博士論文の意味は重くて、深い。知的創造の成果をひとえに期待する次第である。



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