それでもわたしは歩き続ける

人間科学分野 小林 敦子

 あなたは論文を書くための基本的な資質を有しています
 あなたの研究の視点はオリジナリティに溢れています
 あなたの研究の方向性は間違っていない
 だから、毎日、規定の研究スケジュールをこなしていけば、きっと博論を仕上げることができるでしょう

 後期課程を受験するとき、調査を実施するとき、投稿論文の査読者から厳しいコメントを頂いたときなど、さまざまな困難に直面する度に、本当に自分に博士論文を完成されるだけの資質があるのかと不安に打ちひしがれることがあった。だからこんなふうに、誰かが自分の能力を保証してくれたり、「大丈夫だよ」と請合ってくれるのなら、どんなにか気持ちが楽になるだろうと思うこともあった。でもそれは間違っている。

 論文執筆には文章表現力や理解力といった基本的な能力が必要であって、それらは客観的に推測可能だろう。しかし、それらを一応兼ね備えたからといって、博士論文を完成まで導けるかというと、必ずしもそうではないように思う。研究には、滴る水が石を穿つような忍耐力と精神の強さが必要であり、同時に、好ましくない出来事に遭遇しても自分を客観視して落胆せずに受け流せるような、楽観的柔軟性も必要である。また、研究の内容に独自性が重要なら、創造的な資質も問われなければならない。
 一体、誰がそのような総合的な能力を見極められるだろう。また、仮にそれらの力が備わっていることが判ったとしても、その人の研究にオリジナリティがあると誰が保証できよう。オリジナリティとは他人からはそうやすやすと理解されないところに存在するものであって、そこに研究を継続する際の醍醐味と孤独の苦しみがあるように思う。研究の方向性が正しいかどうか?そんなことが果たして誰に分るのだろうか。取り分け世間がタブー視しているような偏見や差別の問題に切り込んだ研究テーマでは、研究の方向性が正しいかどうかの判断を現代の社会に委ねることは妥当とは思えない。

 誰にも答えを出すことが出来ないのなら、自ら問うていくしかない。

 私にも論文を書くための基本的な資質は備わっているだろうか
 私の研究の視点にオリジナリティはあるだろうか
 私の研究の方向性は間違っていないだろうか
 研究スケジュールを日々こなしていけば、論文は仕上がっていくだろうか

 私は論文執筆にあたって様々な困難に直面して自信をなくし、不安に打ちひしがれ、執筆を続けることが辛くなったとき、そんな質問を自分自身に厳しく投げかけてきた。勿論、答えは簡単には出せない。しかし、論文執筆を決意した私には、答えの出ないような問いであっても、その答えを求め続ける責任がある。
 自分自身を冷淡に観察し、「本当は間違っているのかもしれない」という不安を常に抱え、それを素直に受け止めながら、研究に先入観なく向き合っていくしかない。とても孤独な苦しい作業だ。でもその苦しみは誰にも肩代わりさせることはできない。上手くいかないことがあっても、失敗しても、何が起こっても、何も起こらなくても、決してそれを他人のせいにせず、すべての結果は自分の責任として潔く腹を括るしかない。どうあっても私は論文を書き抜きたいからだ。

そういうことを考え続け、私は博士論文の執筆を終えた。


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