3年の歩みを振り返って

人間科学分野 小川 邦治

 GSSCのことを知ったのは2007年の春だった。20代に修士課程を修了し,働く人のメンタルヘルス問題に取り組むようになっていつのまにか8年が経っていた。カウンセリングとメンタルヘルス教育を柱とした活動に取り組むにつれて,個人と組織のあり方そのものを問いたい気持ちが強くあった。そのうちにただ漠然と「個人の健康のみを問題にしても解決せず,組織そのものを健康にしなければならない」という「答えにならない答え」にいきつくようになっていたのだが,そもそも健康とは何か,組織とは何か,どうしたら人は元気で幸せに働けるのか,当時の私にはそもそもよくわかっていなかった。
 私は自らの疑問への答えを見つけるためにGSSCに入学した。もちろん学位も欲しかったのだが,学位取得は私にとって「逃げ出さないための」アンカーになった。とにかく3年で博士課程を疾走する覚悟を決めた。自ら考えていたことを学問の枠組みで検討してみたかった。
 実社会で培ってきた疑問はなかなか手強い。当たり前と言えば当たり前なのだが,誰かがこの疑問に答えてくれたり,やさしくサポートしてくれたりするわけではないことを私は直ぐに悟った。己の思い込みや未熟さが壁となり,その道程は一進一退だったように感じている。
 この3年間を振り返ると私は一体何をしていたのだろう?それを振り返ってみたい。

「こだわる」
 初志貫徹である。私はとにかく知りたかった。個人と組織の関係を心理学の枠組みで見てみたかった。例えば私なりの枠組みには「健康」というキーワードが欠かせなかったのだが,中間発表会ではその用い方や解釈について幾度となく建設的な指摘を受けた。それでも私はこだわった。その努力は,なんとかして学問の俎上に乗せようとする努力につながり,独りよがりに陥ったり学問からかえって孤立してしまったりすることを防いだ。

「覚悟してやってみる」
 躊躇はその分だけ時間を失うことを意味する。3年という限られた中で,その遅れは後で致命的なものとなるかも知れなかった。しかし決断を誤ると研究計画自体を大きく見直さなければならなくなるかもしれない。修士課程から引き続き研究している訳ではないため,私はほとんど垂直立ち上げをしなければならなかった。私はいくつかのヤマをターゲットに選び,相応の覚悟をして臨んだ。その結果得たものは「深い学び」体験であったと思う。

「活用する」
 使えるものは徹底的に使う。それは私の場合,ひとえに時間圧縮のためであった。もっともありがたかったのは,机上のPCからアクセスできる大学の電子図書館で,多くの文献はここから直接pdfでダウンロードできた。図書館の複写サービスを使えばだいたい1週間かかるところ,その場で瞬時に入手できるため,作業効率は飛躍的に向上した。
 次に活用したのはインターネットや携帯電話であった。メールは原稿書きやメモがわりであり,するべきことは全てweb上のto doリストで管理した。携帯電話が途中からスマートフォンになり,効率は更に上がった。統計解析ソフトだけでなく,様々なアプリケーションを活用した(これは資金が必要なものもあり,家族の承諾を必要とした)。一方で,熟慮を必要としたり,全体を把握したい時には,様々なものを試したが結局従来のペンとノートに勝るものはなかった。
 指導教授の主催する定例会での発表,そして博士後期課程中間発表会での発表は重要であった。言葉で伝えようとすることで,自ら考えていることの脆弱な部分や無理のあるところがよくわかった。博士後期課程中間発表会は私にとってはまたとない機会であった。特に,分野の異なる教授陣からの指摘は問題の核心をついたものが多く,そこからヒントを得て研究が深まるということもしばしば体験した。先生たちはどのような気持ちでコメントをされていたのか私は知る由もないが,私にとってはすべてありがたかったし,発表ではいつの間にか指導を受ける気持ちで臨むようになっていた。

「捨てる」
 覚悟して登ったヤマが残念ながら不毛に帰すことも何度かあった。同時並行とはいえ,数ヶ月かけて辿り着いたと思った頂上には何もないことを見つけ,ただ空を見上げたくなる気持ちを味わうこともあった。捨ててはいけないこだわりと,捨てなくてはいけないこだわりの違いをなかなか見極められる事ができず,苦しい時もあった。堂々巡りをし始めたら,自らのこだわりを捨てることにした。かなり後になって,「捨てる」作業によって研究の質が高まる事を私は理解した。

「得る」
 これは枚挙にいとまがない。時を得る,機会を得る,師を得る,友を得る,理解を得る,資金を得る!研究は一人の力ではなし得ない。運や縁はとても大事である。そして時にはまとまった休息を得ることも必要である。理解が必要なのは何より家族である。そして職場である。私はこれらの点で恵まれていた。


 実態としてはすぐにはエンジンがかからず,あっちへウロウロこっちへウロウロ,投稿論文が不採択になってガッカリ,予期せぬトラブルの連続で途中下車,よくもまあ3年で走り切ることができたものだと思う。風邪もよくひいた。
 口述試験を終える頃,博士号がゴールではなく始まりなのだということを強く感じた。「学問を修めた」というよりも,どちらかと言うと「学問の入り口が見えてきた」,というような気持である。学位を得て,今まで以上に「学問と現場」の両立を重視した実践家としての道を歩んでいる。
 今こうして3年間を振り返ると、授与された「総合社会文化」という学位は私にとってとても意味が深いものに感じられる。3年経って,私は知識がいくばくか増えた。初めてのことにも挑戦できた。それまで私が抱いていた健康観や個人と組織に関する視点も随分と変化し少しは成長した。 同時に学問の厳しさや自分の無知さ加減もよくわかった。欠けているものを探せばキリがないが,3年間かけた分に相応する収穫は得られたと思っている。
 一方で,「3年で学位取得」というハードルは大変な努力と時には大きな犠牲を必要とした。これからはそのようなハードルを課すことなく,学問を楽しむゆとりを持ちながら歩んでいきたい。

 3月11日,職場で私は被災した。翌日は指導教授主宰の定例会で3年間の総括をする予定だった。学位授与式も残念ながら参加できなかった。送られてきた学位記を大事に受け取りつつ,どこか節目を感じ取れないままの自分もいる。この原稿がいささか長くなっているのもそのせいかもしれない。
 震災によって私の人生の軌道は“ 若干” ずれた。仕事の面では,今は心理職としての通常業務に加えて,従業員に対する震災ストレスケアの問題に向き合っている。現在進行中の問題と自分なりに向き合いながら,この3年間で身につけたことを実践の場でも生かしていきたいと思う。


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