新たな目標に向かって

文化情報分野 毛利 雅子

 「私の選択は間違っていたんだ・・・。」そんな気持ちで新幹線での帰路についたのは、博士後期課程1年次最初の中間発表を終えた時だった。
 念願の後期課程に入学し、まだまだ楽しい気分のまま半年を過ごした私に突きつけられた現実は余りに厳しく、「やっぱり無理だったんだ・・・やめようかな・・・。」という思いが頭をよぎった。「研究する」ということの厳しさを再認識し、余りの疲労に新幹線では崩れるように席に着き、自宅に戻ってからも何もする気が起きなかった。
 その後、修了するまでの4年間、何度「やめよう」と思ったかわからない。加えて、2年次に病を得て、気力・体力とも衰え、この時ばかりは本当に退学しようと考えていた。全く何も出来ず、また全く何をする気にもならず、文献を手に取ることすら気が重く、ただただ漫然と時を過ごしていた。「もういい加減、やめてしまおう・・・。」この気持ちがずっと、心の底で澱のようになっていた。
 そんな私のことを、指導教官は温かく、そして本当に辛抱強く待っていて下さった。ゼミに参加すれば、気持ちの整理がつくだろう。行ってみれば、このまま続けられるか、それとも退学するか、自分でけじめがつけられる・・・そう思って参加した1年ぶりのゼミでお目にかかった指導教官からの温かい励ましがあって、ようやく私も重い腰を上げ論文に取り組む気持ちになった。
 しかし、やはり1年遅れの学生生活は、正直辛い日々だった。萎えてしまった気持ちをもう1度取り戻すことも容易ではなかった。フルタイムで仕事をしながら、改めて先行研究に取り組み、紀要や学会誌に投稿という生活は、物理的にも厳しい状況であり、私のなかで「やめてしまおう。」という声が再び響き始めた。
 それでも続けることが出来たのは、ひとえに指導教官からの温かくも厳しい励ましであり、また周囲に支えてくれる人がいたからだった。自分の頑張りではなく、周囲の力で何とか進むことが出来ていたのだ。
 ようやく、博士論文を提出しよう、博士号が取得できるのであれば最高だけれど、もし無理だったとしても納得できるまでやろう、という気持ちに切り替わったのは学生生活も4年目になろうとする頃だった。当座の目標を博士論文提出として、それに向けて走り出したのである。
 提出締切直前の頃は、肉体的にもボロボロだった。神経炎、ヘルペス、ストレスから来る顎関節症、蕁麻疹などなど、ありとあらゆる「拒否反応」が出た。食事も満足に喉を通らなくなり、慢性的睡眠不足から貧血を起こし、まさに気力だけで動いているようなものだった。
 そして提出、口頭試問、最終原稿提出・・・となったところで、はたと気づいた。かつては、博士論文提出そのものが目標になっていたのに、研究課題・アイデアが次々に浮かび、既に次のことに取り掛かろうとしている自分自身の気持ちの変化に我ながら驚いた。
 公私共にいろいろなことがあった4年間、「目標は博士論文提出」だったこの私も、今や新たな目標・課題を見つけることが出来たのである。
 まさに「苦しきことのみ多かりき」学生生活だったが、今となっては全てが良い思い出である。さらに、新しい目標を見つけることも出来た。博士号は目標ではあったが、それは最終目標ではなく、次へのステップへの通過目標となり、新しい世界への扉を開けてくれたのである。
 このような環境を与えてくれた大学院、そして特に4年間、温かいまなざしで見守って下さった指導教官の先生方に感謝し、奮戦記の筆を置くこととする。
 先生方、本当にありがとうございました。


総合社会情報研究科ホームページへ 電子マガジンTOPへ