Joyceと共に2年間

文化情報専攻 吉岡 映子

 修士論文奮戦は、松岡先生との出会いの時から始まったといっても過言ではない。
3 年前、日本大学通信教育部の文理学部英文科の学位論文を書き終え、午後の授業を受けるべく、数分前に教室に飛び込んだ。教室に入るやいなや、いつもと違う雰囲気に驚いた。通信制大学院への進学説明会が開かれていたのだ。あわてて外に出たが、「大学院に興味はありませんか。学位論文は何についてですか。」と聞かれ、興味本位で内容を聞いてみようと思い、説明を受けることにした。そして松岡先生に紹介され、私の学位論文「Dubliners における人々の過去への憧憬について」の主旨や今後もアイルランド作家James Joyceについて研究を続けたいと思っているとお話した。お話しているうちに、大学院への入学に気持ちが傾いていった。同時に、体力、気力を 4 年の間に使い果たした私にとって、さらに 2 年間机に向かうこと、そしてさらに厳しい執筆力が要求される修士論文を書き上げなければならないことへの不安が心の中で広がっていた。しかし、その不安を解消するかのような先生の「一緒に勉強しましょう。」という言葉に感動し、家族の後押しもあって入学を決意した。
 入学までの 1 段階を越えたものの、修士論文を執筆するに至るまでには、難題が山積みされていた。パソコン操作、面接ゼミやサイバーゼミでの発表、6履修教科24課題の執筆、そして修士論文のテーマの決定など、私にとって今までにないハードなものになった。James Joyce について修士論文を書きたいと思っていても何についてかと聞かれるといつも曖昧な答えしかできなかった私は、先生から「ジェンダーについて」という案をいただき、「比較文化・比較文学特講U」を履修して、教材『グローバリゼーションの時代における比較文学』第8章の“What's Happened to Feminism ?”を精読し、ジェンダー及びジェンダー研究について理解を深めることにした。しかし、「ジェンダー」を言葉として理解するに至っても、実際にこの言葉を使用する段階に入ると、「ジェンダー」、「ジェンダー意識」、「ジェンダー概念」「ジェンダー化」など、使い分けが容易でないことが分かってきた。また、友人に「James Joyceにおけるジェンダー」について書くと話すと、同性愛について書くのかと言われ、少々戸惑うこともあった。数冊のJoyceのジェンダーに関する評論を読んだが、卑猥な描出に触れたものが多かった。Ulysses においては、そういう部分に触れざるをえないことは理解できるが、「性」ではなく、「文化的社会的に構築された性差」にフォーカスして修士論文に取り組むことを考えた。それよりなにより、Dubliners はともあれ、A Portrait of the Artist as a Young Man と、Ulysses の読解ができていないことが一番の精神的負担となった。日本語訳は何度も読み返したが、原文は手間取り、通して読んだのは1度だけ、後は、重要なところを何度となく読むことになり、焦るばかり。時には、何日も机に向かうことができず、パソコンを開けても関係のないことを検索するばかりだった。こんなことでは、難解なJoyce文学の理解に至るはずもなく、自信喪失のうちに提出日が近づいたある日、偶然開いたRichard EllmannのJames Joyce のページにJoyceに宛てた心理学者ユングの手紙があった。

 Ulysses proved to be an exceedingly hard nut and it has forced my mind not only to most unusual efforts, but also to rather extravagant peregrinations (speaking from the standpoint of a scientist). Your book as a whole has given me no end of trouble and I was brooding over it for about three years. (629)

 『ユリシーズ』はたいへん難解な作品でした。私の精神は例のない努力を強いられたばかりか、途方もない遍歴(科学者の観点から言って)をさせられました。ご著作の全体によって私は際限のない労苦を与えられました。この本についてなんとか分かるようになるまで3年間考えました(宮田恭子訳 770)。

 ユングが3年かかったのであれば、私は10年、いや、もっとかかるはずだからと楽天的にとらえ、これまでに得た知識で出来上がった「James Joyceにおけるジェンダー」で良しと自分の中で納得をし、口頭試問に臨んだ。
試問での先生方のご講評の中に、Joyceと同時代を生きた日本のフェミニスト与謝野晶子や平塚らいてうなどの名前があり、懲りもせず、Joyce研究に闘志がわいた次第。未遂に終わったが、平塚らいてうの心中相手である森田草平は、Ulysses の日本語の訳者の一人であることを思い出した。その訳本が、昨年訪ねたダブリン郊外のJoyceタワーに展示されていた。まだまだJoyceへの興味は衰えず、研究を続けることになりそうだ。
 「なぜ、James Joyceなのか」と友人たちに聞かれる。私は、初め、ケルト文化に魅かれて、アイルランドを訪れたのだが、幾度となく行くうちに、アイルランド文学に興味を持ち始めた。W. B. Yeats、Bernard Show、Samuel Beckettなどノーベル文学賞受賞者をはじめ多くの著名な文学者がいる中で、Joyceを選択した理由はJoyce 文学の難解さへの好奇心であった。難解きわまりないから、Joyceは避けるべきであると友人たちに言われれば、言われるほどに好奇心が高まった。好奇心の結果が今回の修士論文となった。満足するものではないが、これからのJoyce研究へのステップとしたい。
 自分自身との苦しい戦いの2年間であったが、サイバーゼミ、面接ゼミ、軽井沢でのゼミ、また、大学院以外では、University College Dublinでの勉強も有意義であり、楽しい経験となった。
厳しくも和やかに指導していただいた松岡先生をはじめとする先生方に感謝いたします。



総合社会情報研究科ホームページへ 特集TOPへ 電子マガジンTOPへ