学は光!

文化情報専攻 山中 眞子

<はじめに>
 レポート提出の締め切りと論文提出の締め切りと、とにかく締め切りを目指して走り抜いてきた二年間であった。1月29日に口頭試問を終えて最後の修正作業、2月14日の締め切り日に若干の余裕を持って正本を宅急便で送った後は完全な燃え尽き症候群状態に陥っていた。そんな折、松岡先生から「修士論文奮戦記」への投稿を勧められ、再び締め切りを目指してパソコンの前に座ることとなった。

<研究の目的と内容>
 私の研究は、「日中の古典詩文における色彩語」についてである。日本と中国の色彩感覚と色彩語に含意される象徴性の相異点と類似点を明らかにし、両国の相互理解に役立てたいという目的で取り組んだ。日中両国の文化的差異に関する専門的な知識を身につけることは中国人学習者に日本語を教授する上で大切な要件であると考える。

<60歳の発心!>
 私が本研究科に入学した時には既に62歳であった。夫の闘病生活で経済が行き詰まり、自分たちのこれからの生活を考え中国で日本語教師として働く決意をした。創価大学の通教で日本語教師の資格を取得し、就職に際しての年齢的なハンディキャップを補うためにさらなる専門的知識を身に付けようとインターネットで検索、本研究科の資料を取り寄せて呉先生を探し当てて弟子入りした。授業料を工面するため人材派遣会社に所属し、百貨店で婦人服の販売員として働くことにした。日中文化の相異を研究する切り口として“色彩語”を選んだのは、仕事の関係上、日頃から色彩には深い関心を持っていたからである。

<悩み>
 勉学を続ける上での一番の悩みは、勉強と仕事と家事の三本立ての時間調整であった。当初、会社から長期の仕事を依頼されてもレポートの締め切りが迫っていて断ることが多く、やる気のない我儘な販売員と思われ仕事が貰えなくなった時期があった。 このままでは学費が払えなくなると思い、首を覚悟で上司に会い、家庭の事情や大学院で学ぶ現状と日本語教育にかける夢と希望について語り、理解と協力を求めた結果、会社ぐるみの応援を頂くことができ、以降、勉強の日程に合わせて仕事を入れてくれるようになった。本当に涙がこぼれるほど有難かった。

<研究方法>
 中国文化と思考様式については、南山を見るが如く、また蒼天の如く悠々とした呉先生のお人柄から多くを学ぶことができた。日本の色彩史と古典文学については小田切先生が数多くの貴重な文献を紹介して下さり多くの知識を得ることができ、唐代漢詩と『源氏物語』『枕草子』の世界に魅了された。研究を進める中、思いがけず古田奨学金が支給され、昨年、夫と二人で4泊5日の上海旅行に行って、中国文化に直接触れることができたことは研究の上で大変大きな収穫となった。
 「中間発表」と「オープン大学 in 東京」と2回も研究発表の機会に恵まれた。修論を作成しながら研究発表の準備をするのは時間的にも体力的にもかなりきついので、どうしようかと一瞬迷ったが、松岡先生から「修論完成に至る一過程と考えてはどうですか。」と優しく背中を押されて挑戦することにした。
 研究発表をしたことで、@文章で書くのと、言葉で話すのとでは全く勝手が異なり、自分の研究内容について本当に理解していないと理路整然と話せないこと、A決められた時間内で自分の研究内容について的確に話さなければならないので、論文の構成を見直し、整理することができたこと、B2回の発表を通じて先生方の前で話すことに馴れ、その経験を口頭試問の時に活かすことができたこと等々、貴重な体験ができた。
 また、発表に際しては、生まれて初めてパワーポイントにも挑戦した。カラー写真を多く掲載し、P.Pのデザインやアニメーションの編集にも工夫を凝らして視聴者を画面に注目させ、視覚に訴えるという方法は功を奏したと思う。

<夫に最敬礼!>
 副本提出までの二ヶ月間は仕事も家事も一切休んで修論作成に全力投球した。体力の限界までパソコンの前に座り続け、目の疲れからか右肩に刺すような痛みが走るようになった。痛みに耐えられなくなるとベッドに転がり込んで休み、痛みが治まるのを待って再び机に向かうという日々の連続であった。過酷と言えば過酷な毎日であったが、家事から解放された喜びと、「死ぬほど勉強してみたい」という長年の思いが叶い最高に幸せな二ヶ月間であった。その間、文句ひとつ言わず勉強に専念させてくれた夫に最敬礼である。家族のために働き続け、病に倒れた夫を今度は私が守ってあげなければならない。

<学は光!>
 私の学問に対するエネルギーの源は、人生の師匠から贈られた数々の励ましの言葉である。我が家の部屋の壁のあちこちに貼ってある箴言の中からいくつかを紹介したい。

「初志貫徹!」
「最後まで徹底的に!」
「何でもいい、自分の決めた道に徹し抜こう! 徹すれば使命の舞台はきっと広がる!」
「世の中に天才というものはない。ただどこまで努力するかがあるだけだ!」
「前進あるのみ!」

 私にとって「学は光!」「学は希望!」「学は勇気!」である。挫けそうになった時、「忍耐」と「努力」を教えてくれた恩師の言葉を思い出しては、その真心に応えるべく自分自身を叱咤し続け、ついに修論完成に辿り着くことができた。

<おわりに>
 中国の格言に「決意は天をも動かす!」とある。一生懸命勉強して松本亀次郎先生のような立派な日本語教師になって日中の相互理解のために残りの人生を捧げようと決意した。
 この修士論文を自分一人の力で完成させたなどと思ったらそれは大変な思いあがりであろう。大勢の方々の直接、間接の支えと、励ましがあったからこそ頑張れた苦学の結晶であり、改めて深い感慨が込み上げるのを禁じ得ない。
 最後に、二年間ご指導下さった呉先生、小田切先生はじめ、他の科目の諸先生方、お世話をかけた事務局の皆さま、職場の皆さま、家族、友人、全てのお一人お一人に満腔の謝意を表して我が「修論奮戦記」とさせて頂きたい。

謝謝  




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