国道134号線で
文化情報専攻 古田 順子
国道134号線で起こる朝の渋滞の時間帯を外しているはずなのに、駅に向かう道がその日は渋滞していました。車を出して直ぐの信号で停車したら、そこに警察官であられる息子の剣道の師匠が交通整理の任務に就いておられて、私どもの車に気付き目礼を交わしました。その朝は年に数回ご静養にお見えになる天皇陛下と皇后さまご到着の交通整理が行われていたのです。徐行運転が続く中、反対車線ではパトカーの先導の中、両陛下は窓を開け沿道の市民の歓迎にお手を振り応えておられました。その時、二十数年前東京駅東海道新幹線ホームでごったがえす人波の中、私は偶然にもご公務先から戻られた両陛下の御姿を拝見し、その後電車を乗り継ぎ、来日されていたD. バーンランド博士のご講演を聴講する為会場の青山学院大学へ向かった時のことを思い出しました。
修士論文「異文化間コミュニンケーション研究―日米異文化トレーニングの検証―」がやっと完成し、前期課程の修了を目前に控えたこの頃、改めて深く感ずる思いは、長いブランクを経て博士前期課程に入学し、国際関係学部でお世話になった松岡直美先生のご指導を受ける機会に恵まれたことへの感謝の思いです。時間の経過を全く感じない程に当時のままの松岡先生からご指導を受ける度、私の心も(心だけは)当時の女子大生の心に戻っていて、それだけでも幸福な経験でしたが、他にも多くのwonderful surprise! がてんこ盛りの2年間でした。
昨年は、学部のゼミ生の集まりがあり、全国各地の大学で教鞭をとられていたり、実業界で活躍されている先輩・同級生・後輩と時間を持つ機会があり、とても刺激的だったこと、執筆にあたり文献を探していると西宮・苦楽園口に住んでいた頃近くにあった大学で「コミュニケーション論」を 聴講させていただいた正村俊之先生の本を見つけ懐かしく嬉しく読み進んだこと、その聴講した授業での社会学的見地からのコミュニケーション論はその違いからとても新鮮に感じた記憶を思い出したこと、その頃携わったW. グディカンスト博士の翻訳本『異文化に橋を架ける』を出版した後、95年に発表になった「不安 / 不確実性制御理論」について、今回じっくりと研究できたことなど、たくさんの嬉しい経験ができました。しかしながら、最終章でこの理論を基盤に置くトレーニング・プログラムを検証していく中、ご教示願いたいことがたくさん出てきて、天国のグディカンスト博士にはメールが届かないことが今更ながら残念に思うことが度々あったりもした日々でした。
あの頃に心が振れると、国際関係学部でのグディカンスト博士、S. ティンツウーミ博士の招聘特別講義や西田司ゼミでの講義、短期で聴講したアメリカ大学でのM. ハマー博士の講義の印象的なシーンが蘇ったりして、また、J. ドーシィ先生の緻密なアメリカ文学講義や松岡先生のスピード感あふれる通訳法講義も懐かしく思い出しました。そんな数々の思い出が、2年間の研究を支えてくれた要素の1つでもありました。かなりの年月が経ってしまいましたが、年齢を重ね、必然と‘コミュニケーション体験’を今日まで重ねたので、今回再び勉強を始めてのメリットとして、思い出の当時よりは、コミュニケーション論を少しは深く理解できたのではないかなと思っています。(デメリットは、20代と比べると、本を読むスピードが恐ろしくスローダウンしていました。)
忙しい社会人にとって通信制での大学院教育は、いかに時間を有効活用できるかにかかっていますが、それによって得られる達成感は絶大で、例えば最近の事業仕分け作業の対象として大学院生の立場からみた場合、優良の評価を受ける事業、学習手法であると感じました。この機会に恵まれたことに深く感謝申し上げ、日本大学研究室在職中から持ち続けた研究の夢を、今後更に次のステージに繋げていけたらと思っております。ご指導ありがとうございました。