6年間の学校生活

国際情報専攻 原 洋一

 私は2005年に今まで実務的に行ってきたマーケティングについて、論理的に学びたいと思い始めたのがすべての始まりです。実はその時思ったのが高卒で働いていたので、大学の資格もとれて、なおかつ、論理的にマーケティングを学べるなら、ということで、日本大学通信教育部に入学しました。通信教育ということで連休時や夏休みにスクーリングがある程度で、ほぼ自学習でした。卒業の単位も何となく見えてきたときに、何か物足りなさを感じて、卒業後は大学院に行ってみたいと漠然と思い、いろいろ探していました。ただ、社会人で仕事をしながらとなると、なかなか時間をとることができません。大学は通信教育だったので、自分でスケジュールを調整ができました。大学院は通いしかないだろうと考えていたので、夜間行っている大学院を調べていたところ大学3年の頃、通信制の大学院があると知りました。ホームページで現在所属しているゼミの階戸先生の経歴を見て、この先生しかいないと思い、説明会に出席しました。階戸先生にいろいろ聞こうと思っていたのですが、先生にはたくさんの人が集まって質問していたし、自分も大学3年生なので、その時は断念をし、後日メールでご挨拶と質問をしてみました。その時の質問は、“大学院の入試に向けてどのようなことを準備していけば良いか”、と“通学制と通信制の大学院の違いについて”聞いた記憶があります。丁寧に回答していただき、自分でもいろいろ準備をして挨拶ができたのは大学4年生になってからだったと思います。しかし、それまでにいろいろ大学院入試について自分でさらに調べるうちに、とても入学は難しいと言う気持ちになっていました。そのときに説明会で初めて階戸先生に会い、大丈夫と太鼓判を押していただいた時は、すごく気持ちがスッキリとしたのを今でも覚えています。それから翌年の4月めでたく入学が決まりました。
 大学院での生活は先生はじめ先輩にもいろいろ指導・助言をもらい、レポートを順調に提出していきました。私は直前まで通信教育の大学生だったので、自学習やレポートを書くと言う点では慣れていました。しかし、大学ではゼミという経験がありませんでしたので、できるだけゼミには出席してみようと決めていました。スクーリングと違い勉強という雰囲気ではなく、自分たちの研究について発表し、時には先輩の厳しい指摘をされている姿をみて、修士論文をまとめていくのは大変だなあと感じていました。1年生の時に先輩のそういった姿を見ていたにもかかわらず、いざ自分が2年生になっても何も進まず、のんびりしてしまいました。しかし、同期生の一人が4月の連休前には70ページの修士論文を書き上げているということを聞き、相当焦りました。私は1年生の時にゼミの出席率が高かったからでしょうか、ゼミ長になっており、ゼミ長なのにこんなことではいけないと思い5月の連休明けまでに、目次や概要、研究手法などの骨子を書き上げました。しかし、骨子をまとめたことで気持ちが緩んでしまい、結局、またしばらく進まない状況が続き、気持ちの上では焦るものの、どうして良いか悶々としていました。その中で、中間発表やオープン大学院での発表をすることが決まり、どうしても進めなければならない状況となりました。今度は論文と言うよりはパワーポイントでの発表です。この発表により自分の調べてきたことを口に出すことで、全体的な論理展開が間違っていないかを検証することができました。この時に中間発表を行っている意味はここにあるのかと感じました。その後は、そのパワーポイントで話したことを文章に落とし込み、検証が足りないと思うことなどを書き、各種インタビューや企業研究などを入れ込んでいき、ようやく完成にたどりつきました。そのとき初めて先輩の論文を見にいき、自分の論文の稚拙さを感じ少し動揺をしてしまいました。もっと早く先輩の文書を見て、参考になるようなものを知っておくべきだったと今更ながら思っています。口頭試問を終え修士論文を正本として提出した現在は、気持ちとしては何はともあれ修士論文をまとめられたことにホッとしています。内容的にはまだまだだと思いますが、自分にとっては、大学、大学院と6年間の学校生活の集大成だったと言う気持ちです。
 最後に指導教授である階戸先生はじめ諸先生方のご指導と事務局のさまざまなご協力、また、先輩、同期生、後輩の皆さまに感謝を申し上げます。



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