COP10の表と裏
− 通訳者として見た生物多様性条約締約国会議

博士後期課程 毛利雅子

 松本環境大臣の振り下ろした木槌から音が響き、参加者全員が立ち上がり拍手。CBDのジョグラフ議長が、リンゴをモチーフにしたガラス製オーナメントを松本大臣に手渡し、硬く握手―――。

 名古屋で開催されていたCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)は、テレビで何度も繰り返し放送されたこのシーンで、幕を閉じた。
 当初から討議が難航し、最後の閣僚級会議でもなかなか折り合いがつかず、未明までもつれ込んだ会議だが、最終的に名古屋議定書を採択しようやく決着した。玉虫色で曖昧さが残る議定書であり、拘束力はなく今後は各国の努力に期待、さらにアメリカの不参加などから、果たしてこの議定書はどこまで実効性があるのか会議終了時点から疑問の声が上がっているが、ようやく資源保護に向けての第一歩が踏み出せたことは意義のあることではないかと思う。
 私は、大学講師をしながら通訳者として稼動している。ただ、本年度に限っては博士論文提出を予定していたため、10月に入ってからのAPECやCOP10関係の仕事は全く引き受けられなかった。が、COP10会議最終週は論文提出時期だったこともあり、そこならば何とか仕事に行けるのではないかという期待だけで通訳の依頼を引き受けていた。
 その結果、予定通り(いや、死ぬような壮絶な戦いのあと?)論文は製本に出すところまでこぎつけ、既に3週目に入っていたCOP10にようやく私も加わることになった。
 会議の様子や結果は、連日報道されていたので、私が改めてここで詳細を述べるまでもないだろう。また私自身、通訳者としての守秘義務があるので全てを公開というわけにはいかないが、今回は報道されなかったCOP10の一側面をお伝えしたい。

 このような国際会議が行われる場合、大抵はランチタイムと夜にレセプションが開かれる。食事をしながら息抜きをして、また非公式・非公開の打ち合わせや会談が生じる場面でもある。
 今回のように参加国・参加者が多く、更には政府関係者のみならずNGO/NPOの参加も多いと、何事も予定通りには進まず、突発事項の連続が日常茶飯事になる。当然、全てのイベントが予定通りに始まらないので、終了も予定があって無いようなものになる。
 まず、レセプション会場への移動1つ取っても、全員の移動が完了するまでに1時間近くを要する。そして、多くの場合、先に移動してくるのは「お金のある国」「北側」「先進国」からの出席者である。逆にこれまで搾取されてきたと思しきものを別の形で取り返したい、資源保存に必要な資金援助を得たいという国からの出席者、つまるところ「お金の無い国」「南側」「発展途上国」からの出席者は、ギリギリまで打ち合わせをして文書作成に携わっているため、かなり遅れての移動・到着になる。
 さらに、近年の国際情勢を鑑み、レセプション会場でもセキュリティチェックが行われる。会議参加者であっても持ち物検査に金属探知機と、空港と同じプロセスを必要とするため、会場内に入るまでにまた時間がかかる。
 そうしてようやくある程度の人数(決して全員ではない)が揃ったところで、来賓挨拶や乾杯が行われ、レセプションが始まり、カメラ・記者など報道陣は退出しなければならない。
 しかし、本番はここからである。カメラが回らなくなった瞬間、「本当の交渉」が始まる。会議上、またマスコミ報道では対立していることになっている参加者が一緒にお酒を酌み交わし、談笑し、握手をしている。搾取されたという先住民と、植民地支配を行ったという国や政府関係者が、仲良く記念写真を撮っている。
 会議そのものは非常に重要であり、シリアスであり、一言発するのも非常に神経をとがらせる。しかし、それだけが交渉ではないし会議でもない。こうした見えない一面でも、着々と交渉は行われている。
 加えて、最近の急激な円高で海外からの参加者にとっては、この半年で通貨が以前の60%くらいの価値にしかならないところも多い。切り詰められる経費は、少しでも抑えたいというのが本音のところ。となると、レセプション会場のあちこちで、「フリーランチが食べられる場所だ。」とか、「これで今晩の夕食は完了。」という「本音」がちらほらと聞こえてくる。レセプションには予定外の参加者(招待されていない参加者)と思しき賓客も混じっているということである。
 こうなると、出されているお料理は一瞬にして消える。「まるで難民キャンプのようにお料理が消える。」と私達通訳者はヒソヒソ。さらに、「生物多様性と本来の種の保全を大切にする目的なんだから、ブラックバスバーガーでも出したらいいのにね。」と続けるなど、傍から見たら「とんでもない発言」が繰り出す。それくらい海外からの参加者は円高に苦しめられ、「フリーミール」を求めてレセプション会場にやって来るのである。

 いろいろ紛糾した会議だったが、とりあえず「名古屋議定書」という一定の成果を得て閉幕した。
 これまで資源を搾取されてきた国や地域・先住民からの要求は、過去に遡って補償を行い、今後は保全に協力して欲しいというものであり、逆に先進国・開発側は全てが利益に繋がっているわけではないし、過去のものまで補償するとなれば国家や企業そのものの存続が不可能になる、と真っ向から対立した状況だった。
 「お金の無い側」の話だけを聞いていると、非常に過酷な現実と向き合い、どれだけ搾取されてきたのかと考え確かに心が痛む。だが一方で、「お金の有る側」、特に今回は製薬企業が取り沙汰されていたが、これまでの全てを補償することは不可能である。確かに薬品の開発に成功すれば、それは莫大な富を生む。しかしそこまでの研究開発費用や臨床に掛かった経費もまた天文学的数字になる。実際に特許期間中に回収できる利益でこれまでの補償を行うなど、全く不可能な話である。

 現実は厳しい。厳しい現実に直面しているからこそ、対立が起きる。誰にとっても満足する回答は得られないというのが事実である。だから、Best for everybodyではなく、Better for everybodyになるべく皆、必死に戦っている。けれど、戦う土俵が全く異なっていることも、明確な事実なのである。

 会議最終日に、CBDからVIP出席者に記念のリンゴが配られた。松本大臣に手渡されたオーナメントのモチーフにもなっていたが、リンゴは会議の実り、困難な状況での一抹の希望を表しているのだろう。この美しいリンゴのように、いつか世界にも明るい光が差し、本当の意味での実りがもたらされることを祈るばかりである。

  
VIPに配られた箱入りのリンゴ




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