私の研究課題より ―比較文化・文学における義経伝承―

文化情報専攻 倉橋 正恵

 修士論文における私の研究課題は「江戸文化に見る義経伝承」です。江戸文化の中でも特に錦絵・武者絵・絵本挿絵等の絵画資料における源義経伝承を研究対象にしています。今後は研究材料として幅広い範囲の絵画から的を絞ることが必要となりますが、すべての絵画資料の背景となっている義経の物語は史実とフィクションが入り混じった文学です。この義経の文学について、比較文化・比較文学の観点から文学理論、特にカルチュラル・スタディーズとの関わりについてお話ししてみたいと思います。

 まず最初に、文献としてかなりの高い信憑性で歴史的事実を語っているであろう記録文書は、鎌倉時代の関白でもある九条兼実の日記『玉葉』と、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鑑』の二つが挙げられます。他に義経の嘆願書である『腰越状』や、僅かに社寺に残された文書なども残っていますが、公式の記録文書として有効なのは前述の二つです。
 『玉葉』は兼実個人の日記であるため内容に著者の主観が入ることは当然ですが、平安末期から鎌倉初期にかけて日本の政治体制が院政から武家政治へと変わる過渡期30数年間を記した記録として評価されている日記です。公家の年中行事を後世に伝える役目も担っており、朝廷側から見た歴史的基礎史料と位置づけられています。
 一方の『吾妻鑑』は1180年から87年間の鎌倉幕府の記録を編年体で綴ったものです。編纂当時の有力者である北条得宗家を称える記述が目立ったり、他の記録や伝承からの編纂記事も見えるため、リアルな記録とは言い難い部分も見受けられますが、鎌倉幕府側の記録として今なお研究されている史料です。
 この二つの文献を文学というカテゴリーに入れて良いものかどうかは迷うところなので、あえて史料と呼びますが、共通して言えることは政治的圧力が影響する立場で作成されたものだということです。政治で色づけされていることを考慮したうえで、歴史的史料として考察していかねばなりません。
 次に義経を扱った文学です。『平家物語』は鎌倉時代、1200年頃の成立と言われ、主に盲目の僧・琵琶法師が口承で伝承してきた語り本として世に広まりました。『源平盛衰記』は鎌倉後期から南北朝時代の成立と言われる軍記物語の読み本。説話・挿話が多く、後世の文芸に大きな影響を与えたとされています。この二つの文学作品における義経の存在は、平家を滅亡へ追い込んだ源平合戦の立役者として共通しています。共に物語の中心が源平合戦を背景にした人間描写に置かれているということもあり、劇的な合戦シーンにおける奇襲作戦の名人としての源義経が華々しく描かれています。
 一方『義経記』は室町時代初期の成立と言われ、義経の孤独な幼少期と源平合戦後の流浪・没落の時期に焦点があてられた伝奇物語で、源平合戦の華々しい合戦シーンはほとんど省略されています。親に甘えることもできずに育った少年時代から、鎌倉方に疎まれ命を狙われて放浪没落していく様は、『平家物語』・『源平盛衰記』に見える強い義経とは逆に、貴種の血を引く身でありながら重なる不運に翻弄される弱々しく幸薄い御曹司として描かれています。
 これら三つの「義経物語」がミックスされて文学作品における義経武勇伝が確立しました。そして室町時代以降の能・浄瑠璃・歌舞伎などの大衆芸能の発展・開花へとつながり、「判官物」と言われる義経を主人公にした一連の芸能作品によって、江戸時代における国民的英雄像が完成するのです。ところが、大衆芸能における「判官物」は源平合戦にまつわる数々のエピソードが脚色されたストーリーであるのとは対照的に、登場する義経のキャラクターは『義経記』に描かれた弱々しい義経がクローズアップされていることが多いのです。むしろ強い方のキャラクターは弁慶が担当しており、対比するか弱い義経との絶妙なコンビネーションが人気を博していたと表現する方がわかりやすいかもしれません。
 三つの文学作品から派生した大衆芸能としての「判官物」に共通するのが「判官贔屓」という思想です。この言葉の意味は「九郎判官義経のような不遇な英雄に同情し、ひいきすること」(『旺文社国語辞典』より)とありますが、この言葉の発生時と想定される室町時代末期頃より、日本の社会情勢を背景として言葉の真意が変遷していくこととなります。この時代、室町末期の日本は戦国時代であり、全国的にも下剋上の動乱期でした。この変革の時代に敗れた多くの者たちや、戦いの犠牲になった一般民衆の、敗北感・劣等感・閉塞感の中に起こった自己を正当化したい感情が「判官贔屓」という言葉に象徴されているのではないでしょうか。戦国時代と同様に、平安時代末期という日本の古代から中世への時代の転換期に、一気に栄光の座に登りつめ、一瞬にして転落していった敗者としての義経に、思うように生きていけない不幸な自分を重ね合わせる。時代や世の中の理不尽・非合理に対する割り切れない感情の中で、義経を不幸のどん底に落とし込み、その義経に同情することで、自分を納得させるための言いわけとして集約された言葉が「判官贔屓」であったと思われます。
 義経の没後400年近くをかけて文学作品と共に蓄積・形成されてきたこの「判官贔屓」という感性は、さらに時代が進んで豊かになった現代の日本では、その使い方にも変化が見られます。困窮した生活の言いわけや社会への不満という愚痴めいた否定的な感情表現としではなく、むしろスポーツやビジネスなど、勝負の場面における劣性側への応援の如く、平等主義に基づく肯定的な使い方の方が多くみられるようになりました。
 ただ、この敗者に対する感性の根底には、「謹み」や「遠慮」などを美徳とする、日本人の美的感覚に通じる考え方があります。アイヴァン・モリスは「西洋では自己の主義信念に生命を賭けて、しかも賭けたにすぎぬのではなくその上で勝利の栄光を勝ち得た人物が英雄らしい英雄となっている。主義に殉じたか生き残ったか、という生死のいかんが重要なのではない。(中略)ところが日本人には、具体的な行動の目標達成に挫折した英雄を特にひいき目で見る性質がある。この偏向性を考えることで、日本人の(そしてわれわれ西洋人の)価値観と感受性について多くのものを学び得ると思う。(中略)歴史上の敗北者に共感を覚え感情移入を行うという伝統をわれわれ西洋人は持っていないのは確かである。」(『高貴なる敗北―日本史の悲劇の英雄たち―』)と記しています。結果の勝ち負けではなく、「志」や「努力」という気持ち、プロセスを重視する日本人の感性が、人々の心を揺さぶるのです。
 この文学や文化の中で作られた義経は、江戸時代あたりにおいては人々の望む「義経像」であって、既に史実としての「義経」ではありません。この点を比較文化・比較文学の観点から見るとどのようなことが言えるのでしょうか。「文学は虚構である。しかし歴史もその時々の都合によって語られており、そういう意味では虚構である。語られたものすべてが虚構であるとも言えるが、そこには人間の本質という文学的真実がある。」という考え方に通じる部分があると考えられます。義経伝承における「判官贔屓」は中世以来の日本人と社会の本質であり、多くの文学と芸能(文芸作品)において繰り返し人々の記憶と感情に刷り込まれ、さらに発展して日本人的な気持ちや物の考え方として伝統的に日本人の心に残ってきたのではないかと考えられるのです。
 1980〜90年代に英国を中心に起こった「カルチュラル・スタディーズ」の活動の中に、義経伝承が戦国時代以降において成熟した理由を解く考えを見ることができます。ジョナサン・カラーの『文学理論』からキー・コンセプトを拾ってみると次の点が挙げられます。

・文化アイデンティティの構築・組織
・文学を文化実践のひとつとして検討するもの
・人々の表現としての文化と人々に押しつけられたものとしての文化(国家権力の働きを正当化するように作用する文化)の対比
・人々がどの程度まで文化的な力によって作られ操作されるかを明らかにする研究
・ポピュラー・カルチャーの研究と政治介入との密接な関係

 この中では大衆文化というものと、国家や政治との関わりを見逃すことはできません。前述した鎌倉幕府の公式記録『吾妻鑑』が、北条得宗家寄りに記述されており、都合の悪い年代の記録が欠落していることなども「国家権力の働きを正当化する」ことにあたると思われます。義経伝承の場合、悪用という意味での政治的利用は、諸外国との戦争の場における敵国征服の正当化、神がかり的な神秘性を持つ強い日本の象徴として明治時代以降の近代に見られる現象です。むしろ江戸時代は義経伝承にまつわる文化・文芸の領域を一般民衆のポピュラー・カルチャーと定義するとすれば、社会的にある程度の自由を奨励することで徳川幕府が懐の大きさを見せた一面であり、結果的に戦争のない平和な時代が長く続き、鎖国も手伝って日本的な文化が発展したことの象徴として取り扱われることの方が多いでしょう。まさに文学を文化実践のひとつとして捉えることに相当すると思われます。
 歴史の流れの中でこれらのことを考慮すると、正当な伝統に基づく文化・文学の継承だけではなく、その時代の文学や文化を構築している基礎史料となるべき歴史的史料が権力者の手により編纂段階で手を加えられていたり、史実が間違った解釈で政治的に悪用され一般民衆に流布されていたとしても、それこそが人の創り出した文化なのではないかと私は考えています。また、同じ文化や文学でも、受け取る側や読者の置かれた時代・社会的背景・個人の立場や状態によってその解釈はさまざまでしょう。それらをすべて含めたうえで、本や芸能など形の見える物としてと、人々の心の中の感情や考え方など見えないものとしても文学や文化が存在しているのだということを強く感じています。

 私の研究はまだまだ始まったばかりです。今後はこれらの日本の文化と文学における感性を、絵画資料の中で証明していく作業が待っています。

【参考図書】
ロバート・イーグルストン『英文学とは何か』 研究社 2003年
ジョナサン・カラー『文学理論』 岩波書店 2003年
アイヴァン・モリス 斎藤和明訳『高貴なる敗北―日本史の悲劇の英雄たち―』 中央公論社1981年
森村 宗冬『義経伝説と日本人』 平凡社新書 2005年
『日本史辞典』 数研出版 2006年




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