「私の国際交流」

文化情報専攻 研究生 高梨光子

 千葉県の市原市は人口28万人、県北西部東京湾に面している都市で、国内最大の石油化学コンビナート群が連立する工業都市である。グローバル化が加速している昨今、市原市でも年々外国人が増え、国際化が進んでいる。現在外国人登録をしている外国人は5200人ほどいるが、企業で働く外国人、研修生、日本人と結婚して市原市民として暮す人など多種多様である。
 日本人50人に対し外国人1人という市原市は、多文化共生社会の構築を目指し、様々な活動を行っている。その担い手の一つとして市原市国際交流協会の活動がある。会員数は、団体会員12、賛助会員2、外国人を含む個人会員420名ほどから成り立っている。国際交流協会は、国際交流、国際協力、国際親善に寄与し、多文化共生社会の構築という目的を掲げ、6つの専門部会に分かれ様々な活動を行っているが、主な活動として日本語教室、各種語学講座、各国の料理教室、セミナー、青少年海外派遣・受け入れ事業、交流事業、ボランティア活動などがある。
 私は国際交流協会理事として関わっているが、主に日本語教室部会に所属し、外国人への日本語支援ボランティアをしている。1993年、ボランティア・グループにより発足した日本語教室では、日本語を解さない外国人に、日常生活に必要な日本語、生活習慣などを学ぶ場を提供し、共に学び、理解を深め、交流をはかっている。教室では、中国、韓国、フィリピン、タイ、ブラジル、インドネシア、ベトナムなど、十数カ国に及ぶ国籍の学習者が熱心に日本語を学んでいる。ここでの共通語は日本語である。ボランティアのほとんどは日本語指導講座を受講し、指導資格所得者や海外での日本語指導経験のある人もいる。教室で学ぶ学習者は国籍の多様性は既述のとおりであるが、日本語能力にも個人差がある。日本語を全く解さない人、コミュニケーションはなんとか出来るが書くことが苦手な人、子供が学校から持ってくる手紙が解らなくて困り、教室に来たという母親等々。こうした学習者に対して、日本語指導を中心に、日本の生活習慣や文化を紹介し、さらに、こちらから一方的に教えるだけではなく、学習者のニーズに応えることも忘れない。日本に長く住み、日本語に不自由していないある学習者は、「教室で文法を学び、自分の日本語の間違いに気づいた」と言っていた。学習者の中には日本語教室を修了した後、仕事に就き、あるいは協会の各種事業に参加し、自国の文化を紹介する者も多数いる。日本語教室の学習者、修了者による外国文化紹介は、地域の公民館からの依頼も多く、市原市民に喜ばれている。日本語教室では、ボランティアと学習者の親睦と研修を兼ねたバス旅行、クリスマス会なども実施しているが、楽しい交流の場である。
 市原市で外国人が増えているということは、必然的にその子供の数も増えることになる。日本語を母語としない子供たちへの教育は大きな社会問題である。ある小学校では、外国籍の生徒と、国籍は日本国籍だが外国から来た生徒を合わせると100人に及ぶ子供たちを抱え、そのうち40人の子供が日本語の特別指導を受けなければ授業についていけない状況にある。親の都合で全く言葉の分からない国に連れて来られ、知らない言語を強いられている子供たちはある意味では被害者と言えよう。そのような子供たちとどう向き合うかは大きな問題である。協会としてどんな協力が出来るのか教育委員会と相談しながら現在検討中であるが、のんびり考えている時間は無い。
 市原市は、1993年、アメリカ合衆国アラバマ州のモビール市と姉妹都市締結し、隔年毎に青少年の派遣と受け入れ事業を行い、交流をはかっている。姉妹都市モビールとの交流事業はその多くを国際交流協会が担っている。派遣、受け入れの訪問団はそれぞれモビールの家庭に、そして日本の家庭にホームステイし、それぞれの国の生活を体験する。今年の夏は市原市が受け入れの年にあたり、随行員2名と11人の青少年の訪問があった。我が家にも15歳の少女を招き、楽しい時間を共有した。日本が大好きな明るい彼女は、日本語の勉強をしていてほとんど日本語でコミュニケーションができた。将来は日本に関係のある仕事に就きたいと言っている。来年は日本の高校への留学を希望しており、4月から4ヶ月程、我が家から高校へ通い勉強することになっている。市原市とモビール市との交流事業は、日本人とアメリカ人の交流を通してお互いの理解を深め、両国間の友好と平和という大きな目的への一助となることと確信している。
 秋から冬にかけては、外国人と日本人との交流、そして、国際交流協会を幅広く知ってもらう目的で「市原市国際交流フェスティバル」、「市原市国際交流パーティー」を計画し、現在構想を練っている。来年は市原市国際交流協会設立20周年に当たり、さらに活性化をはかるべく様々な案を募集し、実行に移していく。
 こうした私の十数年に及ぶ国際交流協会でのボランティア活動は大学院での勉強によって大いに深められ、自信と確信を得ている。文学の研究を通して学んだこと、それは、人々が人種や民族、国家、宗教、イデオロギーの壁を超えて共に暮らす可能性についてである。 人々が触れ合い交流することは多文化理解の第一歩である。しかし、多文化共生社会とは、相互理解と尊重だけでは成立しない。外国人も日本で活躍できる場が与えられる社会となって初めて多文化共生社会の実現といえる。私の国際交流活動が多文化共生社会の実現へのささやかな寄与となれば幸いである。



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