基本的人権と人間的自由
人間科学専攻8期生・修了 川太啓司
21世紀を歩み始めたわれわれ人間は、核戦争の脅威・地球的規模での温暖化と環境破壊等々の人類絶滅の問題を抱え世界的な規模での危機に直面している。このような状況の下での核戦争は、もはやこれまでの戦争の一種といったものではなく核保有国による核攻撃という脅迫はまさにジェノサイド・バイオサイド・エコサイド等々の人類絶滅を意味するものであるだろう。このようなことは、人類皆殺しを公言するものであってこの貴重で美しい地球上の人類とあらゆる生命とが破壊され消滅されてしまうことを意味する。今日的にもアフガニスタン・イラク・パレスチナ・アフリカ等々で人間の生命を粗末にする残虐な戦争が頻繁に勃発し継続している。他方我が国においては、ワーキング・プアに見られる貧困と格差社会という深刻な事態が発生し、多くの労働者が大量リストラの渦中にあって益々生きにくい社会となっている。われわれ人間は、こうした危機的な現実に直面している中で生きるための人間の権利と生存をかけた自由と民主主義の思想が求められているのである。したがって、われわれ人間は、このような人類の危機に抗して世界人権宣言に見られる基本的人権と人間的自由の思想を対峙させることで緊急の課題に対応することである。世界人権宣言に見られる基本的人権の本質は、人間的自由と民主主義的な側面における主権の完全な発展を希求するものである。
このような、自由と民主主義についての今日的課題は、自然権の思想を基底とした基本的人権と人間的自由を人間の権利として捉えることにあるだろう。われわれは、第二次大戦後に基本的人権の国際的保護の必要性を宣言したものに国連憲章があることを承知している。この国連憲章においては、基本的人権の尊重が世界平和の一般的な基礎をなすものとして各加盟国によって規定されたことは基本的人権の国際的な保障の理念からして画期的なものであったといえるだろう。こうした国連憲章は、その前文において「基本的人権と人間の尊厳および価値と男女および大小各国の同権とに関する信念を改めて確認し------人種・性・言語・または宗教による差別なく、すべての者のために人権および基本的自由を尊重するように------。」とされている。さらに、国連憲章を内容的に具体化したものとして採択された世界人権宣言は、各々の加盟国に対して法的拘束力のあるものではないがすべての人民と各国々とが達成すべき共通の基準として布告されたものであって将来において到達すべき目標を指し示すものである。
やがてそのことは、内実を求めて各国が保障すべく実施手段としての世界人権規約が追って採択され各国々に布告されたのであった。その世界人権宣言の内容は「第一条すべての人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利とにおいて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、同胞の精神をもって互いに行動しなければならない。」としている。ここにおいては、人間の権利が強調され第二条以下では個人的な人間の権利と自由の保障の問題が多くの項目で繰り返し取り上げられている。そして、それらの項目の思想的前提となるものは、人間の基本的権利の思想でありそれを保障するための法的根拠であるといえるだろう。こうした世界人権宣言の思想は、アメリカ独立宣言に見られるような抵抗権や革命権につながるような人間の権利の思想ではないが人間の尊厳と権利の思想であるということができるだろう。その意味から世界人権宣言は、基本的人権の思想であるから人間的自由の思想と関連させながら、今世紀に生きるわれわれ人間にとって現実の問題であり、今日的課題として捉えることができるであろう。
世界人権宣言は、このような人間的自由の思想としての人間の生きる権利と基本的人権という思想であるだろう。この基本的人権と人間的自由の思想とは、人間の権利の思想であり生命・自由・幸福追求の権利の思想でもある。そして、このような考え方の基底をなすものは、自然権の思想であり民主主義の思想と言うことでもあるだろう。人間の権利という概念には、生命・自由・幸福追求の権利と自然権によって根拠づけられた人格と人間の尊厳という思想が包含されている。人間の尊厳という思想には、人間の自由という側面があり人間の自由は人間の権利であるばかりではなく理性のある人間としての人間性あるいは人格ある人間の存在そのものを求めるものである。すなわち人間は、本質的に自由であり自らの行為を選択し意志を決定し、その行為をすることによって行為の主体として行為に対する責任を負うわけである。しかしまた、われわれ人間は、自由であればこそ人間の権利としての自由も成立するのである。だから人間の権利の思想は、人間の権利としての自由を拠りどころに真の人間としての自由が存するのである。
われわれは、基本的人権と人間的自由の思想を吟味するに最も大切なものとして人間の生命を捉えることにあるだろう。われわれ人間は、他に譲り渡すことも他に代わることも出来ないかけがえのない生命を自覚する時ここにはじめて生命の絶対的な価値を見出すことが出来るのである。そのことの意味は、一人ひとりの人間が歴然として保持するかけがえのない生命の本質的な意義であり、理性的で主体的な人間としての尊厳を求めるものであるだろう。その思想的な意味は、人間らしく生きる人間的で能動的な人間を尊重する思想である。基本的人権と人間的自由は、各人が自らの事由によってその行為を行う営みの中に存在するものなのである。人間の持つ生命が存在するということは、われわれにとって否定できない絶対的な事実といわねばならないだろう。われわれ人間の生命は、一度死んでしまえば決して二度と生まれ変わることは出来ないものである。さらに、人間の生命は、このような意味からして絶対にかけがえのないものであり、絶対に他によって代わることができないものである。だから、人間らしく生きていくと言う思想は、基本的人権と人間的自由の思想と連関し人間の尊厳を探求していくものであるだろう。
われわれ人間は、人間として一定のゆずり渡すことのできない基本的な権利を持つという認識が広く一般社会に成立していなければおよそ人間の権利という思想は成り立たち得ないであろう。かけがえのない人間の生命は、二度と生まれ変ることも他にゆずり渡すことも出来ないものである。われわれ人間は、人間であることによって人間として尊重されるための諸権利を生まれながらにして持っていると言う人間の権利という考え方は市民革命期に形成された思想である。このように、人間のもつ権利が基本的であるということは、それが国家や社会によって与えられた秩序よりも優先すると言うことである。国家や社会秩序の維持が優越しているところでは、権利はただ条件つきでのみ形式的に容認されるにすぎないだろう。人間の権利は、国家や社会によって与えられた秩序を犠牲としてもなおかつ権利が主張されなければならないと考える時にはじめてそれは基本的な権利となり得るのである。われわれが持つ基本的人権と人間的自由を保障する制度としての民主主義の実現は、一般的に民主主義的な国家においてであるとされている。こうした、民主主義的な国家であるためには、国民の基本的人権が尊重され人間らしく生きることが前提されていなければならないだろう。
われわれ人間には、全て人間らしく生きていく権利があるという人間的な価値意識に基づいてその人の生活と行為は直接的に繋がっている。この場合その人の行為は、一般的に行為自体が目的であって何らかの目的を実現するための手段ではない。しかしながら、われわれ人間には、人間らしく生きていけるような社会を求めるとするそう言う欲求は価値意識に基づく価値判断に従ってのそうした世界観にもとづく行為をすることを意味する。人間的な価値意識は、人間にはすべて人間らしく生きていく権利があり、人間が非人間的に扱われてはならないという価値意識は市民革命期の思想が自然権の思想として結実したものである。また、今日わが国で問題化している派遣村等の闘いは、派遣社員という非正規労働者の生存権を求める人間として生きるための闘いであり人格と人間性を無視した貧困と格差社会に反対する闘いでもあるだろう。こうした価値意識は、人々の日常的な衣・食・住を通しての生活と行動に密接に繋がっている。人間らしく生きると言う人間の権利の思想は、日常的な世界の価値意識として捉えられた人間的な価値意識の観念であり、言うまでもなく基本的人権と人間的自由の思想である。
われわれ人間の生命は、一度失われてしまえば二度と生まれ変わることはできないものであり、かけがえのない生命は他に譲り渡すことも他に代償されることもできない。こうした生命の絶対性を認めることは、そこにはじめて基本的人権という思想も真に基礎づけられることになる。もとより基本的人権は、単に生命の安全への権利のみではないしそこには思想・信教の自由・参政権および社会権などの人間の基本的な権利が含まれている。そして、人間の生命の権利は、基本的人権と人間的自由の根幹をなすものである。われわれ人間は、人生を全うし有意義に生きる権利をもつのであって先ず人間にとっては生きる権利が保障されなければならず何よりもそれが前提とされるであろう。他の基本的人権は、生命の権利の基礎の上にのみ成り立つものである。このことは、人間の生命のかけがえのなさから基本的人権が基礎づけられるのである。基本的人権というものは、一人ひとりの人間の生命のかけがえのなさを認めることによって成り立つものであるならば、各人の生きる権利は他人の生きる権利を尊重し、他人の生きる権利を犠牲にしない限りにおいてのみ自らの基本的人権と自由を行使することが許されるだろう。
人間にとって最も大切なのは、生命でありその生命を抜きにしては他のあらゆる権利や価値について考えることは不可能である。すべての人間は、充実した生活を営み天寿を全うする権利を持っている。われわれ人間にとって最も本質的なことは、尊厳のある生活を送り生きる権利を楽しみ自らの生存そのものが脅かされないことである。各人の自由と平等の行為は、その生きる権利を追求するすべての人間の平等に寄与しまた不平等を助長しない限りにおいてのみ自らの人間としての生きる権利の尊重を要求することが許されるのである。そのことの意味は、他人の基本的人権の尊重があってこそ自らの基本的人権を追及することが許されるのである。われわれ人間は、他人の生命を尊重することなくして自らの生命の尊重を主張することが出来ない。他人の基本的人権を尊重することによってはじめて自分の基本的人権というものが生じてくるからである。そのことの意味は、人間の持つ生命の絶対性を認めるという価値判断の基礎の上にはじめて成り立つものであるからである。だから、基本的人権と人間的自由の主張は、同時に他人の基本的人権と人間的自由をも重んずるという義務を伴うものとなるであろう。
参考文献:世界人権宣言1948年第3回国連総会で採択「国際連合と人権」(1945−1995)国連広報局発行