ロバート・F・ケネディーにふれて

文化情報専攻 期生 牧田 忍

 ロバート・F・ケネディー(Robert Francis Kennedy, RFK)は、実兄の第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディー(=JFK)政権下において司法長官を務めた人物である。我が国でケネディーと言えば兄であるJFKのイメージが強いが、弟ロバートも兄と協力し政治分野で相当な活躍している。彼はJFK大統領が暗殺された後にニューヨーク州の上院議員となり、1968年に民主党大統領候補指名選に出馬し、大統領選の雌雄を決するとも言われるカリフォルニア州予備選に勝利し大統領の座に王手をかけた。輝かしい経歴の人物だ。
 ロバートは地位や経歴に安住する人物ではなかった。正義感が強く、社会の不条理に対しては非妥協的な態度を貫く彼は人種差別主義者や戦争利権、マフィア、労働組合幹部などを激しく追及した。それ故に敵も多く、大統領候補者指名選挙中にロサンゼルスのアンバサダーホテルで厨房を訪れた際、サーハン・ベシャラ・サーハンに暗殺され悲劇的結末をむかえるに至った。ロバートが厨房に訪れた理由は単に演説会場の移動に近道を選んだためと言われる一方で、厨房スタッフへの激励も兼ねていたと見る向きもある。暗殺者サーハンの供述には謎が多く、暗殺の背景にはCIAやマフィア関与説などの陰謀論が囁かれ、JFK暗殺の真相とならび世界史ミステリーに数えられている。
 ロバートは世の中の不条理に対してはシビアな印象を呈する一方で、人種差別や貧困といった社会問題の解決に尽力し、マイノリティーや貧困層から熱烈な支持を得た人物でもあった。だからこそロバートの葬列には人種を問わない多くの老若男女が集い非業の死を悼んだ。多くの大衆が葬列を見送る光景はキング牧師や日本では田中正造の葬儀と重なる。地位や名誉を投げ打って庶民と共に闘い力尽きて斃れた田中正造の遺品には三冊の日記と聖書しか残らなかった。けれども正造の悲報に接して駆けつけた〈名も無き〉庶民の葬列は数万人を数えたという。
 キング牧師の活躍もケネディー兄弟との結びつきが強い。「I have a dream」の名演説が成しえた背景にもケネディー兄弟の助力があることは有名だ。ロバートは白人によるキング牧師銃撃直後、悲痛と憎悪が煮えたぎる黒人たち観衆を前にして、状況を危険視する側近たちの制止にもかかわらず即興のスピーチを行った。彼は〈私の家族(=JFK)も白人の手によって殺された〉とした上で、〈悲劇は憎しみや悲しみに向かうこともできるが、互いに理解しあい、思いやり、愛しあう努力へと変えることもできる。私たちに必要なのは暴力でも無法状態ではなく、キング牧師が願った同じ人間に対する愛や知恵、そして互いに思いやる気持ち、いまもなおこの国で苦しむ人々に対する正義の心ある〉という主旨を発言した。
 その際ロバートは詩人アイスキュロスの一節を引いて、夢の中でも忘れることができないような苦悩の胸中を重ね合わせている。それでも彼はキング牧師の家族のため、自分たちが愛するこの国家のために、互いが理解しあい思いやれる日がくるよう祈りを捧げて下さい、と説き多くの人々の心を惹きつけた。もしも僕がロバートと同じ立場であったならば同じ状況で同じことが言えたであろうか。崇高な魂に触れると胸が熱くなる。
 彼はあまりにも偉大だ。その一方で壮大な魂に接すると僕は自分がちっぽけでとるに足らないみすぼらしい存在に見えてしまう。誰かのために〈何かをしたい〉と思っていても、何もできず、誰かの足を引っ張ったり、引っ張られたりしながらあくせく生きている自分の姿ばかりが鏡に映る。世界には不安や悲しみが溢れているのに、僕はやさしい手を差し伸べることができないでいる。日常生活を営むのに精いっぱいで、誰かを羨んだり見下したりしながら、自分を守るのに躍起で、貯金通帳の残高ばかりを気にしている。あまりにも無力だ。
 その一方、ロバートは名演説として名高い南アフリカのケープタウン大学での演説Day of Affirmationでこのようにスピーチしている。

 First, is the danger of futility: the belief there is nothing one man or one woman can do against the enormous array of the world's ills -- against misery, against ignorance, or injustice and violence. Yet many of the world's great movements, of thought and action, have flowed from the work of a single man. 〈中略〉

 Few will have the greatness to bend history itself; but each of us can work to change a small portion of events, and in the total; of all those acts will be written the history of this generation.
Speech in Capetown, South Africa (6 June 1966)

 語学が得意でない僕はロバートの演説調のように格好よく訳すことはできないが、たぶん、世に蔓延する不幸に対して無力感を感じてはいけない、という意味だと思う。ロバートは、〈私たち個人個人をとりまくささやかな出来事は変えることができる。そうした活動の一つ一つの積み重ねが歴史に刻まれるのだ〉と群集に語りかけた。強く重い言葉は時空を超える。無力感にとらわれがちな僕はハッとさせられる。僕らが生きる世界は悲しみと無縁ではいられないのかもしれない。けれどもささやかな日常の出来事を良いほうに向ける努力はできるのではないだろうか。そんな思いを起こさせてくれる言葉だ。

Some men see things as they and say, why.
I dream things that never were and say, why not.

 ロバート・F・ケネディーにふれて・・・息苦しい現実社会で生きる僕はさわやかな風を感じた。希望に満ちた彼の言葉を胸に携え、僕は勇気を前面に出して、自分自身のできることで世の中と関わり、人間の持つ愛や正義、思いやりの努力に生涯を捧げたいと願う。



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