『スキーも縮退の現地に訓えられて』
−センチメンタルなジャニー−
国際情報専攻 4期・修了 長谷川 昌昭
はじめに
今やバンクーバーオリンピックの熱も冷めた頃、スキーに関わる感傷的な2つの国内著名スキー場の一端を伝えるものである。
スキーは何故面白いか、何故スキー人口最近減少化を辿るのか。
スキー客の減少で苦境のスキー場は、冬場の雇用の場までも不況下に晒されているところを垣間見る機会があったところから、閉鎖に揺れる山間の町の実態も伝え、今後のスキー場の統廃合のへの端緒となれば幸甚である。
北海道スキー場には既に豪州資本によるスキー場の活性化が図られて久しい。今シーズンは未踏破で、来期は是非、自分の目で実態を見たいものである。一昨年の岩手北上郊外のスキー場は既に豪州資本による運営がなされていたのを目の当たりにした。
1 何故スキー?とよく聴かれる。
その歳で ? 骨折の危険 ? あんな遠いとこへ何が面白い ?
第一に、対応力涵養には最適のスポーツであること。
スキーは滑走の場面を捉えても、迫りくる雪面の状態は、決して同じ状態ではなく、その激変は迅速に変化して迫りくる斜面に自己の身体全体で、積極果敢に対応する処に醍醐味がある。
所謂、危機管理能力が試される最たるスポーツである。スポーツの総てがそうである如くに積極性を試されるものである。実に、何が待ち受けているか解らぬ斜面に積極的に対処して滑り降りた時の達成感と充実感は、何物にも替え難い爽快さを大自然の中で満喫できる。
従って、危機管理能力養成には最高のスポーツであり、各界で名を成した方々も時折、冬季の紀行・エッセイに想いを寄稿していることからも、納得いただけるものである。
第二は、事前の情報収集の適否が試されるスポーツであること。
大自然の中でスキーは、事前に気象の把握を前提とした装備の事前準備を精緻に実施して臨まないと、面白くないばかりか、時には怪我や命までも落とすこともある。
具体的には、例えば、気象の急変は、冬山の常識である。
従って、朝晴天でも午後には風雪が強くなった場合は、ウェアーの選別からサングラス・手袋、最重要のスキー滑走面のワックスの選定と当面の気象変化に合わせた携行品の選択を間違えると折角の楽しさも、寒さに震えたり、雪焼けや雪目、時には凍傷に襲われ兼ねない厳しさがある。
その反面、自己の判断・選択が的中した時は、その快感は筆舌に表せない満足感に浸ることが可能である。
バンクーバーからの中継、特にクロスカントリーや大回転では、スキーの滑走面に塗る蝋(パラフィンの一種)の選択如何が勝敗を決める程の重要性を持っている。1987にノルウェーのSWIXは「魔法の粉」とまで呼ばれる程に、これを塗布しての選手は驚異的成績をだしたことでも知られている。
第三に苦労を克服後に達成感と健康感には掛替えのない自信を持てるものであること。
スキーは『用具』としてのスキー、ブーツ、ウェアーに加えて、滑降場所への相応の『旅費』、『宿代』そして『当日のリフト代』と道具と費用が馬鹿にならないものがある。
加えてオフシーズンが年中の3/4程で、その間の『道具の手入れ整備』と『保管場所』を占めるという「6苦」を耐え忍ばざるを得ないスポーツでもある。
反面、それを克服した時の爽快な達成感は格別で、危機管理能力と健康と体力気力への自信を付加してくれるものである。
2 スキー客の変遷
スキーは前述の効用があると言うものの、最近の傾向は、レジャーの多様化と雪山離れが進み、縮退の一途を辿っている厳しい現況にあることは否めない実態である。
スキーの歴史を横軸とした概観すると’64の東京オリンピックの4年後の’64〜’72は、スキー関連の内外映画がヒットしたのを切っ掛けに’72は札幌五輪開催、’80 〜‘87は全国的にスキー場新設が相次ぎ国鉄(現JR)は「シュプール号」を運行、’97にはリゾート法施行( 仏は100年前に施行済み)、’90 〜‘03は、’90にJR東日本が本邦初のスキー場直結のガーラ湯沢駅開業、翌年は東北・上越新幹線東京駅の乗り入れ、スノーボード・カービングスキー登場で人気拡大、’97長野新幹線長野五輪前に開通、2000スキー場破綻相次ぐ、’03北海道・ニセコ豪州資本と豪・韓等外国人スキー客増加、等々である。
実際、栂池スキー場で乗り合わせたリフトゴンドラの相客は豪州シドニーから10日の海外旅行客で向こうは夏、日本は反対の冬で北海道よりも寒くないと北海道経由のスキー客と乗り合わせたことからも解る。「交通費は高い、しかし空いているので快適。また来たい。」と漏らしていた。
レジャーの多角化は’70ボーリングブームに続き、’78「スペースインベーダー」が社会現象化に続き、’83TDL開園、’80sカラオケブーム、そして’93Jリーグ開幕、2000s若者にゴルフ人気が拡大、等々である。
レジャー白書によれば、’93頃のピーク時には1500万人のスキー人口と750ものスキー場があつた。現況は概ね1/3程度である。
当市には’64創立のアゼリアスキークラブがある。
今シーズン2度目の参加は、入会承認を得て、次のスキー場で、2年振りのスキーを堪能したものである。
3 白馬
長野県の白馬村北城落倉高原所在の栂池・岩倉スキー場で3泊4日のスキー行となった。
この地は大変に想い出の地で、大学二年の正月に冬山合宿に参加した時、五竜岳への登頂を果たした翌朝に向側の峰、鹿島槍で大量遭難に遭遇した地である。半世紀ぶりの五竜岳は、好天に恵まれて、その姿はスキーリフトから眺められ、そこには遭難した若き大学生の遺影が滲んで想い出され涙が込み上げる感無量も味わった一コマである。
当クラブの日程は厳しく午前と午後に1回の休憩のみで、朝8時30分から夕方4時までのレッスン・スケジュールが組み込まれており、スキーリフトに乗った時のみが休憩で、厳しいがとても充実したスキー行で、リフトから眺めた五竜岳、鹿島槍ケ岳は半世紀前に冬山で登頂した尾根筋が見渡せて思わず「山男良く聞け----。」が過ぎったものである。
ここではアゼリアスキークラブの2割の参加者に混じって、新参入者へも温かい案内と指導を賜り、有意義であった。
特に、全日本スキー連盟のテクニカルの資格者の辰島さんは、新入会員の私にも分け隔てなく、懇切丁寧に指導していただいたことが、何よりの収穫である。
「凄い」「上手だ」「綺麗」を連発しながら、一行13名の後から2番目をどうにか脱落せずに、行動を共にした。到着翌日は何度か「ここで辞めよう。」と思うほどに我が技量と体力は、一行の最低基準にやっとの処と自覚させられた。
しかし、一行13名が一糸乱れず1級検定コースを滑るのは、他のスキーヤーに脅威を感じさせる程に整然としていたのは、クラブ員の精進と技量の高さの証左である。
それは宿で自己紹介と名簿で納得する実力は、3割が1級、3割が2級、2割が準指導員・指導員、残りがテクニカル・インストラクターで何とその宿”ペンション雪割草”は20年来の定宿で、創立1964年のAZALEA SKI CLUB(日本スキー連盟加盟)とのことで理解できた。もう少し考えてからの参加と反省させられましたが、クラブの面々は流石に技量もさることながら、人間的にも素晴らしい方で、昼の疲れは夜のミーディングでは懇切丁寧に翌日に役立つポイントを教え込まれた次第である。
教育訓練の基本は、教わる側の実態に応じたものでなければ、効果が無いばかりか、時には反感を買い、教育訓練は逆効果さえ生むものであることを踏まえた「生徒の心に灯を灯す」極めて効果的なメソッドには感服させられた一コマである。
4 菅平
長野県上田市菅平高原所在のスキー場の中心地のホテルニューダボスを拠点に2泊3日のスキー行となった。スキーよりも夏場はラクビーの合宿地でも著名な地である。
ここは20年前に当市のボーイスカウトの冬季合宿で子供たちと来て以来である。
当時は3シーズン連続で3日間のボーイスカウトの冬季合宿に子供たちと寒さも忘れて、文字通り子供たちの手をとり、足をとり、時には抱えてスキー指導に熱中した地で、地元から個人指導の限界を超えているあまり懇切丁寧は、他のスキースクール受講者の顰蹙を買ったことがあることを思い出した。当時は50歳前後で可能であったが、今回は、ここでは暴風雪警報下でのスキーで-14℃を久々に体験した。
指導員の宮島さんは、自分は風に向かって、私共4名は風を背中に受ける様な態勢での、寒さに配慮した自己犠牲の姿勢での実技の説明には、肌理細かい指導には感激した。
兎に角寒いことが印象に深く、装備の選択は冬の生き残り策の筆頭である事を痛感した。
風で曲がった私のウェアーの帽子を手袋を外して寒い中整えてくれたことが、感激させられたスキー行であった。
途中に何度か、リタイヤ中止との思いがある程に寒く体力の限界と自己鍛錬の不足を痛感させられたが、終わっての達成感は之に勝るものは無いとの感無量である。
流石に46年の歴史を誇るクラブは、夜のミーティングも最新のスキー情報から、海外のニュージランドでのスキー1級取得の話しやバンクーバーオリンピック、そして地元の長野オリンピックの想い出と多彩・多岐に亘りクラブの歴史の深さと豊富な経験に裏打ちされた内容と昼間のスキーの長所を挙げて短所を矯正する理想的な初心者も納得する技法には、何度も感心させられて夜の耽るのも忘れる程であっても11時の消灯は厳守された規律ある” Ethics & Compliance”には感銘を受けた夜である。
5 反省検討と提言
今次は事前の体力の維持へのトレーニング不足と年齢的限界を再認識した。
途中、スキーヤーとスノーボーターが衝突する場面で、怪我をリフトから目撃した。スキー場に拠っては区分しているところもあるので、区分がベターと思うものである。今年は既にスキー場での死亡事故も報ぜられているところから、スキーヤーの立場からは区分すべきがベターであることを早急に実現することを危機管理の観点から提言するものである。
思わずリフトから用具を地上に落とすこともある。” Lost & Found” も” Give & Take”で。例えばストック等を拾って届けた者には、報労金をスキー場側が支払い、落主は、慰労金を払って取り戻す制度を敷いていた米VailAのスキー場が思い出された。これはスキーリフトに乗っている間に、手袋やストックや時にはサングラスなどを落とすことがある。特にストックを落とすと滑降は危険極まりない状態になる。前記Vaillでは、長さの異なる数本のストックがリフト降車地点にある。落としたものはここのストックを借りて自分の落下地点で自己のものを取得して、借りたストックはリフト乗車地点で返還、此の時他人のストックを拾ったものは、パトロールに提出すると数ドル貰えるシステムには感心した。たった一度の外国のスキー場で’91に感心したことが過ぎった。このシステムは如何なものであろうか。
今後の活性化と発展は魅力あるスキー場づくりであると確信するものである。
“対応力と躾の要請は、時代の要請でもある処に魅力ある環境への先駆の知恵が潜む。”
【注釈】
- 注(A) Vail CO米国コロラド州 州都デンバー西北160Km所在の北米随一の豪華スキーリゾト地