わたしの中国生活 つれづれなるままに
国際情報専攻 5期生・修了 森 浩典
◇ 中国での仕事
わたしは現在中国で日本語教師をしている。早いものでこの3月でちょうど3年になる。最初の1年目が湖北省 武漢の日本語学校だった。その後、江蘇省 揚州の3年制の実業大学で1年半勤めて、昨年の9月から吉林省 長春大学に赴任し、現在に至っている。
今から思えば、25年間の日本でのサラリーマン生活からの中国行きは人生における大きな決断のひとつであった。大学の講師への転身はかねてからの目標であったので、いつかは必ず第一歩を踏み出さねばならないと常々思っていた。だがいざアクションに移すとなるとそれなりの勇気が要った。なにしろ資格や経験も全くないゼロからのスタート、しかも外国でのスタートだったのでなおさらであった。
そして第一歩を踏み出したものの、指導している学生たちと歯車がうまく噛み合わなかったりして最初からつまずいてしまった。この世界(大学や日本語学校)では学生たちの講師に対する要求も厳しく、支持がなければ立ち行かない。そのあたりは日本よりもはるかに顕著だ。この先この仕事をやっていけるのか、早々と日本へ戻るわけにはいかず、など考えつつ、なんとしても続けていかなければと奮闘した。
こうしてだんだん慣れてきてなんとか自分なりの型もでき、日本語学校から3年制の実業大学、そして4年制大学と思ったよりスムーズにステップアップできたかにはみえる。だが実際には日々の授業をこなしていくのは現在の自分にとってはきつく感じる。一回一回の授業が苦痛に思えることもある。授業のスキルが未熟であることの証左でもある。自分が苦痛に思うぐらいの授業であれば学生たちにとってその授業はもっと苦痛に感じるのかもしれない。手抜きやごまかしは通用しないのは言うまでもないことだが、まず自分自身が納得できる授業の内容にしていくことが何よりも重要であることを痛感した。
いささか大げさな言い方にはなるが、現在の仕事は人の将来と向き合う仕事であると思える。特に学期末、学生たちの成績をつける際に強く感じる。それだけに学生たちに対しても自分自身に対しても悔いの残らないように心がけていきたい。
◇ 学生たちの就職事情
最近の学生の就職活動は日本も中国も非常に厳しい状況だ。大学生の就職内定率を見てみると、日本が2008年度で86.3%、2009年度で73.1%、中国が2008年で82.1%、2009年で75.5%である。学生にとってこうした厳しい状況は教育の現場にいるわたしにもひしひしと伝わってくる。
長春大学に赴任して4年生の授業を3クラス担当したが、11月末から12月にかけて、会社の説明会・面接と授業の日程が重なった場合、学生たちは必ずといっていいぐらい授業には出席せずに会社の説明会・面接に向かった。しかもほとんどの学生たちが参加して、授業に出席する学生は2,3人といった有様である。結局、学期末試験までそういった状況が続いた。企業が大学生を採用するにあたり、重点大学や名門大学の学生から優先的に採用していくので、日にちが経てば経つほど就職の門戸が狭くなっていく。まだ就職先が決まらない学生たちの焦燥感が日増しに強くなっていくのである。これから卒業するまでの約半年、あるいは卒業後も引き続き就職活動を継続しなければならない。大きなプレッシャーが学生たちに圧し掛かっていくのである。
中国の経済発展に伴い、格差問題が大きくクローズアップされてきている。こうした現在の中国における社会の歪み、矛盾が新しい人生のスタートを切る学生たちに少なからずしわ寄せをもたらす構図が伺える。と同時に大学卒業生=エリートだという意識、とりわけ現在の学生たちの親の世代にはまだ根強く残っているのではないかと思える。確かに1949年中華人民共和国成立以降、大学卒業生はエリートとして扱われてきた。ところが、99年を起点に大学の入学枠が拡大され、以後年々大学生の数も増加して、従来のエリートの地位が色あせたものになってしまった。
しかし、親たちは大学卒業生=エリートという従来の意識がそのまま残り、無理をしてでも子供を大学へ入学させて卒業後の将来に過大な期待を抱く。子供たちはこれに応えようと努力するが、就職は思い通りにいかず、就職戦線をさまよってしまったり、就職できたとしても、描いていた想像とはおよそかけ離れた現実に遭遇してしまったりする。
第一線で学生たちを指導している今、学生たちにはこうした社会の大きな動き、時代の流れに翻弄されることなく、人生の新たな第一歩を踏み出してもらいたいと、指導した学生たち一人一人の顔を思い浮かべながら願っている。
◇ 中国の姿をありのままに
ところで、アメリカの民間調査機関PRC(Pew Research Center)の2008年3月17日から4月21日に実施した隣国に対する意識調査によると、日本の調査結果 対中 好ましい⇒14% 好ましくない⇒84%、逆に中国の調査結果 対日 好ましい⇒21% 好ましくない⇒69%であった。好ましい(対中)の数値の変遷は2002年⇒55%、2006年⇒27%、2007年⇒29%、2008年⇒14%と年々悪化している。これは日中間での政治・経済などあらゆる面でネガティブな出来事が背景にあるのは事実だし、またそれを日本の各メディアが偏向した報道をして、ますます反中・嫌中感情が増大していった結果かもしれない。
しかし、私自身の感覚からすれば、このような単なる数値に対して実感が持てない。現在は中国でいち庶民として生活をしており、食堂のおやじさんや果物屋のおばちゃんと親しくなったり、行きつけのスーパーの店員と顔見知りになったり、日常生活の中でいろいろな人たちとの触れ合いがある。片言の中国語でもそれなりにコミュニケーションがとれるものだ。日本人・中国人を問わず、善人もいれば悪人もいる。嫌な思いをしたことも多々あった。日本人として理解に苦しむところや批判すべき点もあれば、辛口な評価をしたくなる点があるのも確かだ。
だが心が通じ合いさえすれば、日本人以上に浪花節的な感覚が強く、義理と人情に溢れている中国人も多いと思う。大都会の武漢でもわたしの住んでいた近くで一歩裏通りに入ると、夕方になれば店先にあるテレビを、人が見に集まって和気あいあいとした雰囲気になる。ひとり一人素朴な人たちばかりで、まるで昭和30年台にタイムスリップしたような感じがしたのを覚えている。
現在、中国は政治・経済、さらにはスポーツなどあらゆる方面で注目されており、話題性豊かである。今後もさらに続くことであろう。わたし自身このような舞台に立っていられることは非常にありがたいめぐり合わせであると感謝している。同時に現地にいるいじょう、正しい見識で真の中国の姿を見ていきたいと思う。