一月十四日 木曜日、(略)出羽嶽勝ツ。 一月十五日 金曜、暖シ。(略)出羽ケ嶽勝ツ。 一月十六日 土曜。クモリ。寒シ。(略)出羽ケ嶽大蛇山ニ負ク。足ヲトラレテヒックルカヘル。 一月十七日 日曜。クモリ。後天気吉。(略)出羽ケ嶽勝ツ。 一月十八日 月曜(略)輝子、茂太相撲見ニ行ク。出羽ケ嶽下利シテヰル。若葉山ニ敗ル。 一月十九日 火曜日。小雨降ル。(略)出羽ケ嶽小野川ニ敗レタ。腹ノ工合ガ悪イト云フカラドウモ力ガ出ナイラシイ。 一月二十日 水曜日、天気吉、寒シ(略)出羽ケ嶽負ク。4 |
昭和五年一月某日、出羽嶽は突然玄関から這入って来た。するとそれを一目見たこの男の子は大声に泣叫んで逃げた。畳を一直線に走って次の間の畳を直角に折れて左に曲って、洗面所と便所の隅に身を隠すやうにして泣いてゐる。ある限りの声を張あげるので他人が聞いたらば何事が起ったか知らんとおもふほどである。 狭い部屋に出羽嶽は持てあますやうに體を置いて、相撲の話も別にせず蜜柑などを食ってゐると、からかみが一寸明いて、 『無礼者!』 と叫んで逃げて行く音がする。これは童が出羽嶽に対って威嚇を蒙ったその復讐と突撃とに来たのである。突然この行為に皆が驚いて居ると、童が泣じゃくりしながら又やって来た。唐紙障子を一寸またあけて、 『無礼もの!無礼もの!』と云った。8 |